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キャパシティ

 他者との違いを知ることが自己客観化につながるのである。多様性の中で生き、多くの他者と接し、比べるということが深い自己認識となる。自己客観化が人間的成長をうながすのだ。多くの他者と接することで対人関係スキルが磨かれ、さらに多くのレベルの高い他者と接することができるようになり、さらに世界が広がる。せまい世界で生きている者に深い自己客観視はあり得ず、したがって人間的成長もない。だから他人に興味のない人間に未来はないのだ。
 人間幸せを手に入れるとその幸せをより強固なものにするために周りを見下すようになる。つまり自己欺瞞するようになるわけだ。自分より上がいるなんてことは実はわかりきっているのだ。排他性の根っこは恐怖。自分の世界を守りたいがゆえの他者批判。自己防衛のための批判。批判する人間は世界を広げる気がないだけ。コクーニングしているだけである。要するにひとりよがり。柔軟性のない人に忠告しても意味がない。世界を広げようとして行動しているのではなく、世界をせばめようとして行動しているのだから。
 仕方のないことなのだ。広い世界を認めたらせまい世界にとどまっている自分を否定することになる。
 せまい世界にとどまっている人たちなんて、みんなこんなものなのだ。前頭前野が発達しないからね。

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ツアー

「重要でないことでも誰にも話さず胸に秘めていると重要なことと錯覚してしまう。行き場のない言葉は肥大化してしまうのだ」
「人間が警戒緊張すると動物も警戒緊張する」
「人間も動物だから警戒緊張して人と接するとうまくいかない」
「心を支配されない自信がないから壁を作ってしまう」
「好奇心がなかったら知能は育たない」
「高級マンションに住んでても汚部屋じゃどうしようもない」
「整理整頓スキルと社会スキルは比例する」
「食べものに合わせて人間の身体も進化してきた。消化しにくい麦を消化できるような腸内細菌が発達したりね」
「抜けている奴は甘えが抜けていないのだ」
「愚痴は解決の外部委託である。外部委託してたら自力で解決するスキルは得られない」
「親の力だけで子どもに高度な社会性を身につけさせるのは不可能だから学校がある」
「シンメトリーであればあるほど美しく感じられるというのは嘘だと思う」
「シンメトリーの美しさは超自然的な美しさノーマルでない無機質な魅力」
「同族意識が高いほど人は干渉する」
「支配欲求が強いケースもある」
「脳の処理能力を超えた圧倒的な情報量にフリーズしてしまったのだ」
「みなさん部屋にお戻りください」

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甘え

 叔母が死んだ。享年三七〇歳。ずいぶん長生きしたものだ。
 叔母はわたしに金銭面でさんざん世話になっておきながらいつもわたしを小馬鹿にした口をきき、尊大な態度をとっていた。わたしが中年期にさしかかったころ。絶縁した。
 女性が男性に対して挑発的な口をきくのは男性に甘えたいという気持ちの裏返しである。つまりわたしの叔母はわたしに甘えていたのである。、預かった金を使い込んだり借りた金を返さなかったりしてもしれっとしていたわけが最近やっとわかった。わたしはわがままを許してくれる人だと考えていたわけだ。わたしの叔母は、究極の甘えん坊だったのだ。
 男女問わずふざけて挑発的な口をきくのは、甘えたいからである。弟や妹にそういうタイプが多い。わたしの叔母は末っ子だった。
 嫌われる人間ほど、自分は嫌われないと思っている。要するに甘えているのだ。嫌われる人間とは、甘えたやつなのだ。子ども時代に甘えられなかった反動というケースもあるだろう。
 だいたいわたしの一族はみんな甘えた連中ばかりだった。わたしも例外ではない。わたしも若いころは甘ちゃんだった。わたしの叔母も父も祖父母も妹も、甘えていただけだったのだ。甘えが行動に表れていただけだったのである。
 納得のいくこたえがやっと見つかった。すべては甘えだ。若いころのわたしの行動も、甘えによるものだったのだ。
 社会スキルが磨かれないのは甘えがあるから。甘やかされているからである。

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七夕祭り

 駅を出ると、いつも寂しい感じの商店街がカラフルに飾られ、賑わっているのが見えた。少し先を歩いていた彼が立ち止まり、振り返って言った。
「七夕祭りだ」

 むかし、織女という、まあまあ美しい娘がいた。織女の父は某大手企業のCEO。織女の母は、織女の兄には甘かったが、織女には厳しかった。織女は厳しい母から一刻も早く逃れたかったので、大学二年のとき、法学部の牽牛という男と結婚した。牽牛の実家は織女の家より格上だったから親も文句は言えなかった。それに織女はすでに身ごもっていた。
 子どもが小学校に入学するころ、大学時代の友人から、出版社の仕事をしてみないかと持ちかけられた。悪くない条件だったし、織女は幼少期から社会で自己実現したいと考えていたのでやってみたいと思った。牽牛に相談すると、猛反対された。牽牛の家は伝統的な金持ち。牽牛は、女性は家庭を守るもの。女性が家庭を守らなかったら家族は崩壊する。家族の幸せが持続的な成長につながる。家族が幸せだから財界は安泰なのである。といった考えにどっぷりつかっていたから、織女の考えが理解できなかった。
 この件をきっかけに、夫婦関係はぎくしゃくし始めた。ある日、孫の教育方針をめぐって姑と大喧嘩した織女は怒りにまかせ子どもを連れ、実家に戻った。
 織女と牽牛は離婚した。牽牛とは、年に一度、子どもの誕生日の七月七日に会う取り決めになっている。

「俺、昨日、誕生日だったんだ」
「そうだったね。おめでとう」
「何か、してくれよ」
「手、つないであげる」
 わたしは彼に手を差し出した。
 彼はわたしの手を握ると、商店街に目をやり、少し考えるような顔をしてから、「ちょっと行ってみる?」と言ってわたしを見た。
 わたしは黙ってうなずいた。

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自意識過剰

 利己的な人、利他的な人、どちらもほどほどの人、賢い人、そうでない人、クリエイティブな人、凡人と世の中には様々な人がいるが、ほとんどの人に共通しているのは自意識が過剰だということだろう。
 自意識が過剰でない状態というのは、重度の認知症で口をきくこともできなくなってしまったような状態をいうのだろうか。もっとも脳の中の状態は外からはわからないから何ともいえない。電気的に測定したところで本当に意識があるのかどうかは本人にしかわからないのだから。
 仏陀が目指したのは過剰な自意識を捨てるということだろう。つまり心の自殺である。なぜ過剰な自意識を捨てようとするのかというと、自意識が過剰だからである。
 人は過剰な自意識のおかげで後世に名を残したり、平凡なまま終わったりする。
 わたしはいままで自己などというものは存在しないと思っていた。人間は自分の意思で生まれてくるわけではない。意思というのは潜在能力と相互作用の産物であるから、自分なんてものはないのだと。
 だがいまふと気づいた。自己とは過剰な自意識なのだと。
 もしあなたが仮にコンピュータプログラムだったとしても、過剰な自意識がある以上、あなたはあなたなのだ。

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チーズケーキ

 ぼんやりするのに神経が高ぶっているのは雨続きで肌寒いとはいえ夏だからだろうか。文庫本に集中できない。いつものコーヒーショップ。平日の雨の午後。客はまばらだ。少し離れたテーブルで、スーツ姿の男女が向き合っている。どうも後輩らしき女性が、先輩らしき男性にプライベートの悩みを相談しているようである。
 女性より男性の方が脳が大きい。ゆえに男性の方が論理的、女性の方が感情的というのは誤りである。男性は女性より脳が大きいぶん論理的でもあるし感情的でもある。女性よりも論理の領域、感情の領域が大きいわけだから。
 つまり男性のほうが女性よりも傷つきやすい。傷つきやすさを表に出さないのは感情も強いが理性も強いからである。よく、女性は共感力が強いから解決策を出すより悩みをきくことに徹し、男性は論理的だから解決策を出そうとするというがこれはちょっと違う。男性が解決策を出そうとするのは解決策を出して助けてあげようという気持ちが強いからである。女性よりも親身になって考えることができるからだ。男性のほうが温かく、繊細で、女性のほうが冷たい。仕事中に、プライベートの悩みを相談することに躊躇がないのは単に図々しいからである。先輩に頼もしさを感じているからではない。などと言ったら言い過ぎか。とにかく相談しているわりには先輩のアドバイスに対し、気のない態度である。先輩がかわいそうになってしまう。が、そんなのは一瞬。わたしは文庫本をテーブルにふせ、チーズケーキを食べようとカウンターに向かったのだった。

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飯テロ 後編

「どうしてないんだ」
「人気メニューでして」
「人気メニューだったらなおさら多めに材料を仕入れておくべきだろう。君ね。わたしは水にさらししゃきっとしたレタスとクリーミーなチェダーチーズ、無添加のボローニャソーセージをはさんだ表面のかりっとしたバゲットにかぶりつくためにわざわざ朝の忙しいなか並んだんだ」
 中年男が振り返って言う。
「なあ、あんたもそうだろ。ボローニャソーセージサンドが目当てだろ。おかしいじゃないか。あんな美味いものが品切れなんて。ボローニャソーセージサンドをひとかじり、口いっぱいにひろがるレタスとチェダーチーズとボローニャソーセージの三重奏。いや、バゲットもあるから四重奏か。それをよく冷えたアイスティーで流し込む。眠気が一気に覚める。わかるだろ。あの感覚。あんたもあの感覚の虜なんだろ。そうなんだろ? な? なっ⁉︎」
 怒りで脳がオーバーヒートしているのだろう。不適当な言葉を口走っている。もちろん記憶力も低下しているはずだから、後から反省もできない。この男は普通の客ではなくテロリストだと判断したあなたはためらわず中年男のあごを蹴り上げ、ひと仕事終える。
 さて、おしゃれで気のきいたあなたがなぜ戦闘員などやっているのだろう。親も戦闘員だったから? 子ども時代にいじめられた経験から強くなりたくて?
 人間は原因があって行動しているのではない。快原則に則って行動しているのである。あなたが戦闘員をやっているのは、男のあごを蹴り上げるとすかっとするからである。

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Birthday

 娘がいた。娘は賢かった。有名国立大学を出て、会計事務所で働いていた。恋人はいない。美人だったから言い寄ってくる男は草食系時代とはいえけっこういたが、ひとりでいるのが好きだった。趣味は海外旅行とグルメ。よくいるおひとりさまだ。
 ある週末、娘は仕事を終え、行きつけのイタリアンレストランに入った。まだ空は明るかったが、テーブル席はふさがっていた。カウンター席に座り、ワインを飲みながら食事をした。満腹になり、モニターの映画を見ていたら、酔いも作用していたのだろう。少しうとうとしてしまった。
「お疲れのようですね」
 隣に、スーツ姿の男が娘をのぞき込むような格好で座っていた。男がこの世の者ではないことはひと目でわかった。
「誕生日おめでとうございます」
 男はグラスを上げて言った。いつの間にか、手元にシャンパンの注がれたグラスが置かれていた。
「そういえば今日誕生日だった」
「誕生日を忘れる人はいないでしょう」
「本当に忘れてたの」
 娘はシャンパンをひと口飲んでこたえた。
「それは年をとりたくないがゆえの防衛機制のせいです。おいくつになられたんで?」
「三十」
「結婚願望は」
「ひとりが好きなので」
「子どもは欲しくないんですか」
「わたしが作らなくても他の人が作ります」
「でもあなたの子どもじゃないでしょう」
「子どもは親の物ではありません。そもそも人間は誰の所有物でもありません。わたしは全人類レベルでの見方をしています。わたしの直系の子孫は絶えても種としての人類が繁栄すればそれでいいのです」
「大量殺戮兵器によって絶滅してしまうかも」
「それだったらなおさら子どもを作る必然性はないでしょう」
「……結局生まれ変わっても極端に走るだけか」
 男は天井を仰いで言った。闇が訪れた。誰もいなくなった。すべてが闇に包まれた。

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 むかし、ある王国に、娘がいた。娘は王に恋をしていた。かなわぬ恋だった。娘は美しかったが平民だったし、王の好きなむっちりボディではなかった。おまけにちょっと頭が弱かった。娘は自分と同じ階層の男と結婚し、女の子を一人もうけた。
 年月が経ち、王の霊力も衰え、新しい王を立てることになった。霊力の衰えた王はどうなるのか。殺されるのだ。
 王の側近が、殉死する女を公募した。条件は生娘であること。もちろん自薦他薦は問わない。娘が一人、差し出された。
 王と娘は小屋に閉じ込められた。こげくさいにおいについで、ぱちぱちと木のはぜる音がきこえると王はパニックになったが、娘に抱かれると脱力し、目を閉じた。王はそのまま眠ってしまった。娘は王を抱いたまま、じっとしていた。やがて煙が充満し、意識が薄れていった。娘は幸せだった。母の恋愛を成就させることができたのだから。



 娘の人生には何もなかった。あるのは退屈だけだった。せめて思い出にひたれるぐらいのことができればよいが、大した記憶力がないので無理だった。
 美しかったころの面影は微塵もなく、悪態をついてひとを不快にさせる以外に取り柄のない老女になり果てた娘。そんな娘にもお迎えが来た。肺癌だった。
「お花畑が見えるわ」
「極限状態の脳が幻覚を見せているだけです」
 天使がそう言うと、お花畑は消え、娘は天使と向き合う格好で空中に浮かんでいた。
「どうしたのかしら。何だか頭がさえているの」
「馬鹿も死んだらなおるのです」
「わたしはどうしようもないクズ女だったわ。自分のエゴを満たすために娘を殺してしまった。死んでしまいたい」
「もう死んでます」
「消えてなくなりたい」
「それは無理ですね」
「どうして生きているうちに賢くしてくれなかったの」
「愚か者はそのままでいいという方針です。アルジャーノンに花束を読めばわかりますが、何十年も自分の愚かしさに気がつかず生きてきた人間が急に悟ってしまったら、かえってまずい。ショックで自殺してしまう可能性もある。だからわざわざ気づかせる必要はない。生きて少しでも社会に貢献してもらったほうがいい」
「アルジャーノンって何ですか?」
「検索してください」
「やりなおしたいわ」
「来世の頑張りに期待します」
 天使が言うと娘は、まばゆい光に包まれた。

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灰皿

 早い時間に目を覚ましてしまった。雨が降っていた。不意に、父のことを思い出した。父は雨が降ると決まって頭痛になり、仕事を休んだ。つまり雨が降ると休んだ。そんなだから、どんな仕事も長続きしなかった。
 父はよく、自分の親と育った家庭環境を呪うような言葉を吐いていた。きくたび、わたしは、いつまで子ども時代を引きずっているのだろうと思った。若いうちならともかく、中年になって成育環境が悪かったから大した人物になれなかった、なんて言ってるようではどうしようもない。親や社会のせいにしたところで、誰も自分の人生に責任なんかとってくれないのだ。自分の人生の責任は自分でとるしかない。老人になっても、死ぬ間際になっても言い続けるつもりなのだろうかと思っていたら、わたしが二十歳のときに死んだ。
 目を閉じて再び眠りに就こうとした。枕元に、父の姿が見えた。目を閉じたはずなのに父の姿。ということはこれは夢。もちろん目を開けたままだったとしても夢である。父は死んだのだから。
「夢じゃない」
 父が言った。あぐらをかいて、煙草を指の間に挟んでいた。
「煙草吸わないでよ」
 言うべきことがもっとほかにあったはずだが頭がはたらかなかった。仕方がない。夢なんだし。
「昔から吸っている」
 父はそう言って、鼻の穴から煙を出した。
「そういう問題じゃないでしょ!」
 わたしは半身を起こして煙草をはたき落とした。父はうつろな目をさまよわせると、「頭痛がするんだ」と言って。横になった。
「どうしてか教えましょうか」
「どうしてだ」
「煙草吸うからよ」
 父はわたしに尻を向け、ジャージのズボンのポケットに手を突っ込んで言った。
「お前はお母さんに似てヒステリーだ」
「あなたがいつも怒らせてたんでしょうが!」
 立ち上がって父の尻を思い切り蹴り飛ばした。わたしは尻もちをついた。ぶう〜、というおならとともに、父は消えた。
 わたしはしばらく尻もちをついた格好のままで泣いた。本当はもっと話したかったのだ。
 枕元の灰皿に、煙草がくすぶっていた。雨はやんでいた。

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エゴがなくなれば環境問題は解決される

 多少の増減があるとはいえ日本は少子化傾向にある。
 ところで、子どもが欲しいから結婚するという発想は日本人特有のものらしい。本当かどうかはわからない。リアルな外国の情報にアクセスできるような語学力は自分にはない。
 現代の豊かな日本において、子どもはどう位置づけられているのだろうか。貧乏人にとっては授かりもの。上流にとっては金持ちであり続けるためになくてはならないもの。中流にとってはエゴを満足させるための贅沢品。こんなところか。いずれにしてもお金のかかる存在であることは間違いない。
 環境問題というのは誰かが割を食わなければ解消できない問題である。ということはつまり誰かが割を食えば解消できる問題である。環境問題は人口が減らないことには解決しようがない。大規模な飢餓や大量殺戮によらない人口減少のための手段は子どもを作らないことである。
 なんということだ。日本人は労せずして環境に貢献しているではないか。
 子どもを欲するのはわざわざ言うまでもなくエゴだ。
 これはわたしの個人的な印象だが、わたしの同世代の人たちはペットを飼う気さえない。
 このまま日本は平和に滅亡するのではないかと思っている。

私見ではありますが、過激だと判断しました