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スクールオブロック

スクールオブロックの生徒の皆さん、どうもこんばんは。これから長文で失礼しますが見て頂ければ幸いです。




本日、2月12日の午前中にちょうど私は21歳になりました。それと同様に本日付で私、福岡の桜坂けやき通りはスクールオブロックの生徒を卒業致します。




正確にスクールオブロックを聴き始めたのは分からないんですが聴き始めた頃は平手友梨奈さんがきっかけでした。坂道グループが好きでてちが出ているとの事で聞いていましたがその際にスクールオブロックのHPに当時、とーやまさんの校長引退を知り聞き続けた結果、このラジオ番組がある事によって当時に高校生だった自分に支えの1つとなりました。

その後に、とーやまさんが欅坂46(櫻坂46)が大好きで暴走しまくってましたがそれと同様に自分もハチャメチャしてました。(とーやまさんほどでは無い)

そして、2023年の3月11日に春の文化祭「キズナ祭」に福岡から参加しました。1人で東京に来るのは初めてでキズナ祭前の生徒でのオフ会では緊張していました。自己紹介すると半数の生徒の皆さんから反応を貰い正直、嬉しい気持ちになりました。「自分がやった行動は間違いじゃなかった」とそう思いました。
8月7日のZeppダイバーシティ東京での「閃光ライオット 2023」あそこで色んな事をやってみたいと確信になりました。動画を作ったり曲はまだ制作中ではありますが完成まで頑張ります。

この閃光ライオットで初めて職員の皆さんとお会いする事ができ大変、嬉しく思いました。ジェーン先生、ダンガリー先生、ニセシゲ先生、ターモネーター先生、松山三連複先生、皐月塔メイ先生からサインを貰い嬉しかったです。松山三連複先生は着ていたのがまさかの乃木坂46先生の神宮でのライブTシャツというビックリも。そして、ジェーン先生に至っては櫻坂46先生に関して話す事が出来ましたし写真撮影の際に櫻ポーズをしてBuddiesとして大変、嬉しいかったですね。本当にありがとうございました。

この2020年1月初旬から2024年2月12日まで「スクールオブロック」を聞いていて楽しかったです。

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努力と結果

中学校生活最後の大会が終わりました。
ソフトボールをやっていて、ピッチャーとサードをやっていました。県大会出場を目標にしていたけど、代表決定戦で1点差で負けてしまってほんとに悔しかったです。あのゴロが取れていたらとか、暴投してなければとか、色々思うとこがあってまだあの時がフラッシュバックします。
何より悔しかったのが、ピッチャーで投げれなかったことです。私以外にピッチャーがもう1人います。その子は急速が私より早いです。だから私はその子より沢山沢山沢山、もう1人の子は遊んでいる時、私は昼休みも使って毎日ピッチングしてコントロールとか変化球とか急速とか頑張って練習して、上手くなるために、最後の試合で投げるために頑張ってきました。けれど私の調子が悪かったためピッチャーでは出れず、さらにはサードでエラーもする悲しい、悔しい結果になってしまいました。顧問からは、「試合に勝って、県大会までには調整さてあげるから」と言われました。結果負けてしまい、毎日投げていた時間が、一瞬で崩れた気がして、今でも涙と悔しさが消えません。切り替えれない、今まで積み重ねてきたのが大きい分、崩れた時にその大きさに気づきました。積み上げた時間が長い分、その大切さに気づきました。ほんとに悔しい、もう最高のメンバーがいる時に投げることができないって思うとほんとに涙が止まりません。私はピッチャーで出たかった、ピッチャーで出るために頑張った。努力が報われないこともあることを感じて、私の青春は終わりました。それと同時に、目標に向かって全てを注ぐことの素晴らしさにも気づきました。