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5 years ago on March 11.Happened was the Great East Japan Earthquake to 14:46.

「5年前の3月11日。14時46分に起きた東日本大震災」と題して話を進めていきたいと思います。
5年前、私はまだ小学4年生でした。
「震災」という怖さもろくに知らず、遊び半分で「地震だ!」なんて言っていた年齢です。ただ、あの14時46分に起きた地震は本物でした。
「先生、地震だよ?揺れてる。これ、多分だけど大きいと思うよ。」
第一声は、私でした。
その、言葉を言い終えた瞬間に床から突き上げられるような揺れを感じ取りました。時はもう、すでに遅し。天井から蛍光灯が落下。テレビが落下し、黒板は外れてしまいました。神奈川県でも、そんな揺れを感じたほどでした。

その後、放送が入り一斉下校になりました。
家に帰ると、足の踏み場もないくらい雑貨が落下していました。
我が家には、水槽があり並々入れていた水はこぼれ、魚までもが外に飛び出していました。そんな、衝撃的な現実を目の当たりにした私は、言葉が出ませんでした。
そんな、衝撃的な現実に皿に引きずり込まれるようにしてテレビにくぎ図けとなった私。テレビ画面の向こうには、津波に飲まれていく「町」がありました。
本当にこれは、日本なのかと目を疑うくらいでした。
その後、その地震は東北地方を震源として起きたものだと知りました。
祖父母が青森県に住んでいたのでとても心配になり、あわてて電話を手に取り電話をかけたのをよく覚えています。しかし、電話はつながらず焦りが募るばかりでした。連絡手段が途絶え、祖父母の安否確認が出来ずそわそわしていました。

いつもは、起きた出来事をすぐに忘れてしまう私ですがこれだけは忘れません。
この、5年前の3月11日14時46分に起きた出来事の入れんの流れを決して忘れることはありません。
「5年も経ったのに、まだ復興していないんだ。」なんて、思わないでほしい。
5年という年月を短く感じるかもしれない。
ただ、被災者の方々は5年という年月を短く感じてなんかいないと思う。
「死」と向き合い、5年間を過ごしてきているのだから。
私たちに出来ることは、数少なく限られているけれど
「最終的には、やって見なくちゃ分からない」だと思います。

この言葉と、私は向き合いボランティア活動を続けていきたいと思います。

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