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実感

暫く前に大切な人をなくしてから生きている実感がなくなった。卒業式だって入学式だって学校行事だってライブだって旅行に行ったって試験だってなんだって砂時計の砂のようにさらさらと全てが流れていく。いつの間にかその日が流れてきていつの間にか終わっていく。それがすごく哀しい。このまま『なんとなく』生涯を終えるのではないだろうか。もしかしたら生きてすらいないんじゃないか。そう思っていた(いや今でもたまに思ってはいるが)。生きていると知らしめたのは生憎にも頭痛だ。私は頭痛薬を飲みすぎて発症する薬物依存性頭痛と偏頭痛、精神的な面からくる頭痛をいつの間にか発症していた。それから薬を暫く凄く少ない量にして薬をぬいて今は予防薬、気分安定剤、精神安定剤、偏頭痛薬を服用している。頭が痛くなると脈のドクドクと言う音が頭に響く時、精神が不安定な時と言うと語弊があるかもしれないがそれらの時今生きていると実感するのだ。人はこの事を変だとか気持ち悪いとか言って軽蔑するだろうがそんな事なんかよりも生きている実感を得る事が出来たという安堵や嬉しさ、喜びの方が断然大きいのだ。これからもっと色々な実感を得る事が出来るように行動したい、行動しなければこのままなんの実感のない日々を送っていくだけだから、だって生きているんだから。

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ひとり親ということ

私の家は母子家庭で物心ついたときから悩んできました。
教育番組を見たとき『お父さん』という存在がよく分からない、なんで私には『お父さん』が居ないんだろう、お母さんにもおばあちゃんにも叔母に聞いても誰も教えてくれない。
幼稚園、父の日のお父さんの似顔絵、お父さんと遊んだ話、運動会での親子競技、なんでみんなにはいて私には居ないの?
小学校、親の職業インタビューでみんなお父さんの仕事を誇らしげに発表している、夏休みに家族みんなで出かけたこと、お父さんがうるさい・鬱陶しい・嫌いなどという愚痴、だけど結局は好きで誇らしいという話。
中学校だって今までと一緒だけど心が少しオトナになったからかもしれない、お母さんの気持ちを考えると何も聞くことができなくなった。

何かあるたびに泣いた。
何度も泣いたしお母さんを困らせた。
お母さんは何度も謝った。
そんなに嫌ならお父さんの所に行けばいいと言われたこともあった。
そんなにお父さんが居なくて苦しむなら誰かと再婚して新しいお父さんと一緒に暮らそうかと言われたこともあった。
生まれたときにもういなかったから記憶にないのは幸いなことなのかもしれないだけど、未だに私はお父さんが生きているのかすら知らないし、名前もどんな人かも勿論。
ひとり親世帯で苦しんでいるけれど親を悲しませるのが嫌だからと1人で抱え込んでいる人を何人も見たことがある。
だからこそ結婚という事を軽く考えないでほしいし、その軽率な行為が大切な子供を苦しめてしまうという事に気づいてほしい。そして、『ひとり親』を理解してほしい。
ひとり親であることで両親がいる人の辛さや気持ちは分からないけど、それと同じできっとこの辛さを分かってもらう事は出来ないと思うが少し想像して考えてほしい。
私がこんな事を言うのはあれだという人が居るだろう、だけど今日改めて親を憎み自分を憎み「なんで?」と思ったからここに書かせてもらった。こんな思いをする人を少しでも減らしたいから。