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大好きで、もう会えない先生へ

今日は、悲しい知らせが僕のもとに飛び込んできた。昨日という日とともに、今日その知らせを受けて僕は死の無情さと、人の死が与える影響の大きさを深く、深く感じた。
僕の通う高校では1年生の時、全員が世界史の授業を受けるのだが、その先生がとても個性的な人だった。先生は、教科書は見るな!君たちの教科書は資料集だ!という考えのもと、知識がとてつもなく豊富ということもあり、先生が歴史の流れを話し、板書はほとんどせず、それを聞いてまずは、ノートの半分にメモを取る。そして、授業が終わってから残り半分に自分でまとめるというものだった。先生が話しているのを聞くと、実際にその時代に生きていたかのような気分になるとともに、先生自身とても楽しそうに話していた。そんな先生の授業が、先生が僕は、僕たちは大好きだったし、尊敬していた。一時期は、先生のようになりたいと社会の先生を夢見たこともあった。しかし、高校2年生になった際に文理選択が訪れ、僕は結局、理系を選択したため先生の授業を受けることはできなくなった。その後、何度か廊下で見かけることはあったが会話をすることはなくなっていた。そういう日々が流れる中で、先生の体調がだんだん悪くなり、学校を休むようになっていた。それでも、なんとか来てくれていた。今日、知った話だが、入院している病院から学校に通っていたそうだ。そして、今日、僕たちにその先生の訃報が訪れた。茫然、そして、後悔。そればかりがやってきた。あれほど知識が豊富で楽しそうに授業をしてくれる先生はいなかった。本当に大好きだったし、もっと話しておけばよかった。先生は最後に、君たちの卒業まで面倒見てやりたかったができなくなってしまった。ただ、人生を楽しく豊かに生きて欲しいと言っていたそうだ。思えば、先生は「楽天」という言葉を大切にしていた。
こういうことがあった今日、まだ受け入れられていないが、僕は決意した。人生を豊かにするために、あと1年受験に向けて努力をし続ける。先生が見守ってくれていると信じて。