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僕たちの永遠は「ら」から始まる

窓から射し込む強光が閉じた瞼に痛くて、僕は思わず目を覚ました。覚束ない視界で辺りを見やれば、シーツに無数の錠剤。胸に冷たい温もり。サイドテーブルのデジタル時計は午後十一時五十三分を指している。

日付が変わるまで、・・・超ド級の隕石と地球がハグを果たすまで、あと七分。今日の終わりはこの世の終わりだ。世界はこのまま明日を迎えることなく、海と空と骸のミックスジュースと化す。

マジでか。もはや他人事のように呟く他ない。いがつく喉からこぼれた声はカスカスで、・・・笑い上戸の君に聞かれなくて良かった。僕は両腕で大事に閉じ込めていた彼女の身体を抱き直す。氷のようだ。だってこの娘はもう息をしていない。

一緒に、一緒に死ぬつもりだったのに。



一足先に、神様をボコボコにしに行こう。言い出しっぺは、どっちだったっけ。要は僕も彼女も、通り魔(いんせき)なんぞに恋人を殺されるのは真っ平だったのだ。

シートから錠剤を押し出しては口に含み、口に含んではキスを交わした。痺れる指と震える唇はやがて、真珠玉のようなそれを取りこぼしていく。吐息に色をつけただけのような声で、彼女は笑った。「泡になった人魚姫みたい」。―――そんなの、今の君の方がずっと。なんだか胸をじんと痛ませながら僕も笑って、重い瞼を閉じる。

きっと世界で一番の恋をしていた。

さよなら、



男の身体には薬の量が足りなかったのだろうか。回りきらない頭で考えながら、すぐそこまで迫り来た轟音から逃げるように身を縮めた。吐いた溜め息は程なくして嗚咽に変わる。一人で最期を迎えるのがこんなにも怖くなるくらい、君のことが好きだった。

君のことが好きだった。

握ると柔らかい掌が好きだった。いつもいい匂いの髪が好きだった。ボリュームに欠ける胸だって好きだった。・・・君をお嫁さんにもお母さんにもしてあげられなかったけれど、それでも。それでも僕は。だから。

だからそっちで再会のキスが終わったら、いつか渡そうと仕舞いっぱなしだった指輪を差し出そう。そうしたら僕を「遅いよ」って叱ってくれるかい。どっちのことを怒られているのかわからないような顔をして、笑ってみせるから。

世界で一番の恋をしていた。
世界で一番の恋をしている。君に。君だけに。

ありがとう。

さよな

0

君と書いて希望と読む 2

なるほど、たしかに僕も、昔は誕生日が来るのを指折り待っていたかもしれない。「其奴めはいつ頃やって来るのです?」。「いつ頃やって来そうだと思う?」。女の子は楽しそうだ。僕も楽しくなってきて、そうですね、と腕を組む。

「春かな。君の頬は桜餅みたいだ」
「春か、春もいいなあ」
「違うか、それなら夏。君の瞳は蛍みたいだ」
「夏か、夏もいいなあ」
「またハズレか。秋?君の唇は紅葉みたいだ」
「秋か、秋もいいなあ」
「わかった、冬だ。君の手は雪みたいだ」
「冬か、冬もいいなあ」

女の子は肯定も否定もしなかった。意地悪しないで教えてよ、君の誕生日はいつなの?焦らしに焦らされ急いた僕に、女の子は今日見た中で一番の笑顔で言う。

まだ迷っていたんだ。いつにしようかなって。

「―――え?」
「でもね、決めたよ。私は春と夏の隙間が好き。だって、こんなにも空がきれいだ。」

瞬間、涼やかな風に煽られる。湿った大地のような、花の露のような匂いに包まれる。思わず閉じた瞼の向こう側、木々の合唱の中に、君の声が響いた。

それじゃあ、またいつか。今度は貴方が教えてね。桜餅のこと、蛍のこと、紅葉のこと、雪のこと。それから、せかいはだれもひとりぼっちになんかしないこと。

そっと瞼を持ち上げると、そこに女の子は居ない。辺りを見回すが、あの子らしき少女の姿はなかった。あの女の子は、君は、一体。

立ち尽くす僕の背中を、聞き慣れた声が呼ぶ。振り返った途端、両肩と両手に引っかけていた紙袋を押しつけてきたのは、言わずもがな彼女だった。わんぱく坊主みたいな笑い方をしおって、畜生。僕は肩を竦めた。

「随分買い込んだな、これ全部、お前の服?」
「いや、この子の服」

自らの腹を撫でて見せる彼女に―――時が止まったかのような、気がした。

「遅くとも、来年の今ごろには会えるってさ」

知っていたら徒歩五分程度の距離であれど一人で歩かせたりなんかしなかったし、荷物だって喜んで持たせていただいていたわ、この馬鹿!

春と夏の隙間の水色に抱き締められながら、彼女を抱き締めた。ばさりと紙袋が地面とキスを果たしたが、そんなことはいい。

いいよ、教えてあげる。せかいはだれもひとりぼっちになんかしないこと、を重点的に。僕は泣いた。しあわせな意味で。

2

やわらかな激情

『この世の「きれい」を集めて、日の光と流れ星で繋ぎ合わせたものが、彼女という人だと思う。

春の花のようなてのひらを、夏の風のような笑顔を、秋の月のような眼差しを、冬の露のような声をした彼女に、僕は恋をしている。

身の程知らずにもほどがある、愚かしい恋だ。美しい彼女を、僕なんかの「すき」で穢すわけにはいかない。

恋人になりたいだとか、せめて友達になりたいだとか、そういう罰当たりな願いは、持つことも許されないのだ。たとえ世界が許しても、僕が許さない。

ごめんなさい、好きになってしまってごめんなさい。こんなにきみが好きでごめんなさい。諦められるまでは、諦められないままでいさせて。

すきです。きみが、すき。』

100均のルーズリーフに吐露した心中を握りつぶして、後ろ手でそのあたりに放った。勉強をしに来たはずの図書室で、僕はひとりため息をつく。下校時刻はとっくに過ぎていた。

開いただけの教科書を閉じてリュックに詰め込み、「戸締まりは頼むわ」と笑った先生の顔を思い出して、ここの鍵は一体どこにあるのだろうと視線を巡らせた。

息がつまる。彼女がいた。

胸がぎゅうっと締め上げられたように痛み、血が煮え立ったかのように全身が熱くなって、―――それから一気に冷たくなる。彼女の手には、先ほど僕が投げ捨てたはずの、ぐしゃぐしゃのルーズリーフがあった。

彼女は広げた紙面と僕とを順々に眺めた後、困ったように笑う。わたし図書委員でね、まだ勉強している人が居るって聞いたから、鍵を渡しにきたの、だって。何か、何か言わなければ。

魚のように口をぱくぱくさせている僕に、彼女は1歩、また1歩と近づいてくる。来ないで、来ないでくれ、きみがよごれてしまう。できればそのラブレターもどきも見なかったことにしてくれ。

そうしてそのまますぐそこまで歩み来た彼女は、僕の胸中などお構いなしに僕の手をとり、葬り損ねたこいごころを、そっと握りこませてくる。目を見開いた僕に、彼女はまた笑う。

「あなたにここまで想われるなんて、あなたの好きな人は幸せ者だね」

春の花のようなてのひらで、夏の風のような笑顔で、秋の月のような眼差しで、冬の露のような声で、ああ、ああ。ずいぶん変わった自己紹介をするんだね。

すきです。きみが、すき。

2

可哀想だろ、同情してくれよ

私はこの世界のすべてを憎んでいる。

足をやる代価にと私の声を奪っていきやがったポンコツ魔法のことも、見も知らないはずの町娘なんぞと結ばれやがったあの男のことも、

――そんな馬鹿野郎一匹片付けることができず、海の泡になることを選んでしまった私自身のことだって、恨んでいる。

とうに感覚のなくなっていた私の身体は、ハイヒールの脱げた爪先から順番に、少しまた少しと深くなっていく青色へしゅわしゅわ溶けていく。

はるか頭上の水面が月光に照らされる様をぼんやり眺めながら、脳裏を胸中を巡るのはあの男の笑顔だった。呑気に笑いやがって、全部、全部、お前のせいなんだぞ。

仕方がないから認めてやろう、私はあの男に恋をしていた。

艶やかに尾ひれを生やし、優美な歌を歌って暮らしていたあの頃から、立派な舟に乗り、大きく口を開けて笑う、あの男に恋をしていた。

しかし、すべてを捨ててまで追いかけたあのてのひらが選んだのは、こんなところで無様に最期を迎える私のことなどではなかった。

きっとあの男は今、他の女と見つめ合い、他の女と囁き合い、他の女と抱きしめ合っている。それでも私は、あの男に恋をしていた。それでも私は、あなたに、恋を、していた。

あなたのこと
大好きだったんだよ

絞り出したはずの声は声にならず、ごぽりという水音に変わって消えて行く。ほら見ろ、やっぱり私の心はあの男に届かない。

しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。とうとう脳髄までも泡へと変わってしまったのだろうか、薄れ行く意識に促されるように目を閉じる。閉じた瞼の裏側に見えたのは、やっぱりあの男の笑顔だった。

繰り返すようだが、私はこの世界のすべてを恨んでいる。これっぽっちも私に優しくなかった、この世界のすべてを、恨んでいる。

私のような不孝者のために泣いてくれた、愛しい家族のことも、生まれて初めて歩いた地上の、柔らかな温もりのことも、思い出すだけで胸がじんわり痛むような、大事な想いと生きたあの日々のことも、

――あなたという、私の希望のことだって、恨んでいる。恨んでいるったら、恨んでいるのだ。

本当だっての、ばか。