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久しぶりにアプリを開いたので、SOLの思い出を書き込んでみる。

20周年おめでとうございます!
(10周年記念グッズのトートバッグを持っているのですが、あれからもう10年経ってるとは…)
とーやま校長、よしだ教頭〜あしざわ教頭時代を中高生として過ごしていました。
毎日ずっと聞いていましたが、高3になって塾の時間が長くなり、だんだん聞くことができなくなっていったときは本当に寂しかったです。
センター試験前日には不安すぎて書き込みをしたところ、当時の応援部顧問のあしざわ教頭に名前を呼んでもらうことができ、無事第一志望の大学に合格できました!
大学生になって忙しくめっきり聞かなくなっていましたが、大学4年生にコロナ禍でステイホームしていた時、久しぶりに聞いてみたらさかた校長・こもり教頭になっていてびっくりしました。
「ヒラヒラ」をかけながらリモートで腹筋してた授業のせいで、ヒラヒラは私にとって腹筋の曲です笑

今は社会人になったので立場は変わってしまいましたが、時々現役生徒の話を聞きながら昔こんなこともあったな〜とか思い返しています。
学生ならではの悩みはたくさんあると思いますが、ぜひこの学校で校長・教頭・生徒・講師陣とたくさんコミュニケーションして、ヒントを得ていってほしいなと思います。

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OB訪問

この学校に入学して20年、高校やここを卒業して15年になります
夜勤で聞けない、少しずつ聞く頻度が減る、イベントに足を運んでも仲の良い生徒や職員と話す等目的が変わってきたと思います
遠山校長が退任発表してからの半年、リモートでの放送・委員会が終了するまで等時々聞いてました

この15年はやしろ本部長のスカロケ、あしざわ教頭が3年担当した静岡のラジオk-mixの番組、遠山校長のJA全農CDJや他の番組、やましげ校長のワンモや舞台等歴代校長教頭の皆さんにお世話になりました

自分が周りより仕事が遅く不器用な点についてできてないことを自覚しているのが凄い、休職している時にも心と体をを休みたい時もある等励ましてくれました
当時は体が動かない・何も見聞きしたくない・悪い関わりを断ち切りたい・目の持病の悪化等で落ち込んでたので必至でした

そんな時に家族や幼馴染の友人やお世話になった人が支えてくれました
自分の時間や都合よりも私に対して親身に話を聞いてくれました
仲のいい同年代のリスナーもライン等で励ましてくれました
やましげ校長が言っていた一人一人のことをちゃんと見ている、辛い時に逃げるというのを身をもって感じました

今は復職し1年経ち仕事に苦労しながらも、一人旅や友人と遊んででカメラで写真を撮ったり、ライブに足を運んだり等してます
持病が悪化するまでは自転車を漕いで出かけた時期もありました

好きな事を楽しみつつ学生時代や20代から今も関わってる人達を大切にしていきたいです

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SOLの思い出

せっかくなので、自分がSOLに関係することの楽しい思い出を振り返ってみます。
SOLとは、2013年6月1周目に出会ったことを覚えています。
当時、高校の寮に住んでおり、22時には消灯になるのですが、元気な高校生はそんな時間に眠れる訳もなく、ウオーク万で音楽を聴く日々でした。
毎日同じ音楽では飽きたので、ラジオを付けてみたら、とーやま校長とよしだ教頭がAmazon祭りの宣伝をしていて、楽しそうとなり毎日聴くようになりました。
一時期はSOLが好き過ぎて、予約録音できるラジオを買って、毎日録音したり、掲示板に入り浸り、自分のラジオネームで検索すると、レスを含めて、1か月に200ページ近くヒットする月があったりしました。
掲示板での生徒さんとのやり取りが、スタンプがないために、レスしあっていたのも懐かしいです。
SOLのおかげでいろんな音楽に触れ、閃光にあこがれもでき、ドラム、ベース、DJもやってみたのも良い思い出です。
そんな私は閃光や未確認、その他のSOLのイベントにも行くようになりました。
特に、未確認は2015~2017年は全会場に行くほどでした。
今でも毎年閃光ファイナルだけは顔を出すことにしています。
イベントに行くと、高校では友達が全くできなかった自分に、SOL生徒さんの友達もできました。
そんな生徒さんの中には、今でも遊ぶ友達がいて、一生の友達と思える人もいます。
その友達の中の1人は共通点が多く、趣味が近い、地元が同じなどだけでなく、閃光などで直観で好きになるアーティストが同じ、味覚も95%一致しており、好きな食べ物、嫌いな食べ物、出されたら食べるが、好き好んで食べない物までほとんど一緒なレベルです。
そんな奇跡的な出会いをさせてくれたSOLには感謝しています。
こう振り返って思うことは、SOLは私にとって青春そのものです。
改めてありがとう。
そして、20周年おめでとうございます!!

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OB訪問

OB訪問ということで久しぶりに書き込みます。
16歳の時にSOLに出会ったので、もう12年ほど経ちます。
そんな私は、今はITエンジニアとして会社員をしています。
大学では、マッサージや鍼灸を学んで国家資格まで取りましたので、マッサージ師として就職するつもりでした。
ですが、ちょうど就活している時期とコロナが重なり、マッサージ師の求人は激減。
自分は本当は何をしたいのか悩むようになりました。
実は、マッサージ師を選んだのは、SOLがきっかけでもありました。
閃光やイベントでいろんな生徒さんにお会いしたのですが、会う度に、人からもらってばかりで、何も返せてないなと思い、何かちょっとでもお返しになることができるようになりたいというものでした。
悩みを掲示板に書いたのも懐かしいです。
長い時間考えた結果、中高生の時はパソコンをいじるのが好きでしたので、ひとまずパソコンを使った仕事をしようとなりました。
その結論を出した後は、事務職になるために職業訓練校で勉強を始めました。
しかし、WEBページの編集やExcelの自動化を楽しんでしているうちに、エンジニアをしてみないかというお誘いをいただき、今に至っています。
正直、今の仕事は自分に向いていると思うし、とても楽しくできています。
今の生徒さんに伝えられることがあるとすれば、やりたいことは悩んでいい、ただ、ちょっとでも興味あることには飛び込んでみよう。何がきっかけで人生変わるか分からないから。
あと、とーやま校長が退任する時にお話しされていた、「人は必要な時に必要な出会いをする」というのはその通りということ。
今後もSOLを見守っていきますので、よろしくお願いいたします。

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OBからのお祝いメッセージ

SCHOOL OF LOOK!20周年おめでとうございます!

自分は2010年4月1日〜2012年3月31日まで丸2年間、毎日登校してました。当時私は高2〜高3という大学受験シーズン、将来の夢に迷って、迷って、悩んで、悩んで。「未来の鍵を握る学校」というフレーズに惹かれて、お先真っ暗な毎日の自分の人生は一旦おいておいて、ラジオに救いを求めていたと思います。

2025年、SOLを卒業してから13年が経ちました。
ラジオを愛する気持ちから、地元広島を飛び出して、東京の大学に進学、メディアの研究を沢山しました。ラジオ部にも入りました。ラジオ好きな友達がたくさんできました。東京FMでもバイトを少しさせてもらいました。東京で就職して、結婚をして、家族ができました。今はラジオと違う仕事をしていますが、心のオアシスはいつもラジオです。

全国各地、様々な生徒の拠り所、未来の鍵を探す学校、それがスクールオブロック。
今の楽しい毎日のきっかけは、未来の鍵をくれたのは間違いなくこの学校です。

必ずラジオを好きになれとは言いません、この学校でやりたい事、なりたいもの、自分の救いになる言葉、熱い気持ち、なんでもいいんです、在校生のみんなは楽しく毎日登校してほしいです、元気にラジオと一緒に起立、礼、叫べーーの挨拶をしてほしいです。

未来の鍵と明るい未来は
おのずと必ず目の前に来ます。

これからも応援しています、校長、教頭、引き続きSOLと生徒のこと、よろしくお願いします!

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OB訪問を懐かしい思い出と共に話したい!

こもり校長お久しぶりです!そしてアンジー教頭初めまして!


今日はOB訪問ということで、今日だけは懐かしい思い出を胸に書き込んでおります!
僕が在籍していたのは小5年生から二十歳までの約9年間です。
ですが、そのほとんどが聴いているだけで、書き込みをしておりませんでした。書き込みをしたのは2020年1月(当時高校三年)から2021年11月までです。
約9年に渡ってこの学校に在籍しておりましたので、それなりに長く在籍していたのではと自負しております。
その9年の中でも、そのときそのタイミングに合わせて形を変えながら数多くの生徒さんの背中を押しているのを見て参りました。
個人的に23時前後にあったコーナーたちはかなり好きでしたw
そして、歴代の中2高2のお決まりの流れは憧れていました!(一度やってみたかった…)

この学校卒業後は、大学生活の中でダイビングのライセンスを取ったり、スポーツ関係の学問を専攻しつつ、その傍らアルバイトでテニスコーチをしておりました。そしてこの春大学も卒業し、今は営業の仕事で日々悪戦苦闘しながら日々奮闘してます。なかなか上手くはいかないことばかりのため、落ち込むこともあります。働くって大変だなと改めて感じ、社会人の先輩方のすごさを実感してます。まだまだ長い人生、挫けず頑張ってます!

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帰りの電車で、振り返る

20周年か〜と、昨日の放送を聴いてふと振り返っています。

当時私は高校卒業と同時に、ラジオを聴く機会がだんだんと減ってしまいました。
その頃は、保育士を目指して短大に進学をし保育実習やバイトなどでバタバタな日々を送っていたな〜と。
実のところ、保育士を目指す気持ちは全くなく、「子どもと遊んでお金がもらえる仕事なんて最高じゃん!」という考えでした。

短大卒業後、保育園に就職をしました。
想像していたよりも現場はハード。子どもの成長を考えてのカリキュラムや、保護者対応。そして職場の人間関係という壁にもぶち当たり、お気楽に考えていた分、衝撃は強かったです。
そのあとは転勤をし、保育園の事務員として次の園へ。職種は違えど、子どもと関わることは好きでした。仕事内容はすごく良かったのですが、人の出入りが激しい園でもあり、再び転職することに。

そして、今は保育園の運営を支える本社の事務としてかれこれ6年目になります。
直接園に勤務というのではないですが、何かあったときにサポートに行って子どもたちと関わる機会はあります。前職の事務経験もあるので、保育と事務を両立しながら今楽しく社会人をenjoyしています!
(学生時代と比べれば、それなりに財力もあるので推し活も楽しんでいます〜)


スクールオブロックと今の私の共通するところって「いつでも戻って来れる場所」というのがキーポイントなのかな?と思います。
好きなこと、やりたいことが何かをキッカケに離れていくこともあったりしましたが、何かあったときにいつでも戻って来れる場所は、とても大事だと思います。
それがまさにラジオの中の学校=スクールオブロックだと思います。

何かあったときに話せたり、気軽に書き込んだり、それをあたたかく迎え入れてくれるスクールオブロックに感謝!!!OGとなった今でもこうやって戻って来れるんだから、最強の学校です!!!!

社会人になっても生徒になれる場所最強(笑)

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17年後の、現在のわたし。

17年前の2008年5月7日かりゆし58先生、初来校時、生放送教室で生でウクイウタを送ってもらった17歳の私。テーマは「頑張ってる人たちの◯◯宣言」。
親の顔を知らない17年の施設生活、境遇を理由に学校でのいじめ、絶望感しかなかった当時、それでも夢があったから頑張れた。
そのことを話して夢を宣言した「バレーボールの道を極める」。
それからも何度か逆電に出させてもらって、海外でバレーをプレーする夢も応援してもらったり、夢が変化していく過程も、変化した夢の話も全て聞いてくれた場所がスクールオブロック。
やましげ校長、やしろ教頭、とーやま校長、よしだ教頭、あしざわ教頭、みんなに支えてもらった10代〜20代。

そんな私は今、自分もお世話になった養護施設職員の責任者をしながら、自分の手で子どもたちやその親を支援できる場所を立ち上げるべく働いています。
1箇所だけじゃ足らないからこそ、全国にネットワーク、繋がりを作るように働いています。

「簡単じゃないからこそ、やる!やりたい!」って気持ち。
この気持ちは17年前、当時、17歳だった私と変わらない。
寄り添うって簡単じゃない。
寄り添い方に正解なんてない。
だから、私なりの寄り添い方を形にしたい。
いや、形にします!


子どもより子どもな大人の私ですが、こうやってスクールオブロックに、ただいまって帰ってこられるのは嬉しい。
今、10代のみんなにこんな生徒も居たんだな、こんな大人もいるんだなって伝わったらいいな。