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生徒のキズナ物語 叫べ#9

あ、純平から電話だ。

「もしもし」
「綾?あのさ、やっぱり福岡に行くのやめるわ。」
「え……なんで?」
「いや、会いたい気持ちは山々なんだけど、冷静に考えて俺も綾も何かあったら大変だし。親も俺らが久し振りに会うことを喜んでたけど、少し心配してて…」
「まあ、そうだよね…」
「本当にゴメン!もっと早いうちに言っておけば…」
「いいよ。私たちのことを考えてくれてありがとう。会えなくても配信は見られるし。」
「そうだな。じゃあ、また明日。」

言えたけど、やっぱり悔しい。綾に会えないこともだけど、それによって綾を悲しませたことが、なにより悔しい。きっと今頃、自分から誘ったのになんで断るの?とか思ってるだろうな……



3/22

純平は来なかった。少し期待してたけど。

キズナ感謝祭が始まった。授業パートで笑って、ライブパートで叫んで、最高の時間はあっという間に過ぎていった。気付いたら涙が出ていた。とーやま校長、本当に退任するんだな…

しばらくして、純平から電話が掛かってきた。
「なあ、絆って何なんだろうな。」
「なんだろうね。分からないけど、離れていても分かりあえる、みたいな。」
「なるほど。それなら、俺らって絆で繋がってるのかもな。綾の思ってることが分かる気がする。」
「じゃ、じゃあさ…。私が、純平のことをどう思ってるか……分かる?」


「それは………直接会ったときに言わせて。」

「うん……多分、正解。」


「今日、俺ら会えなかったほうが良かったのかもな。」
「なによそれ!自分から誘って断ったくせに!」

終わり

2

もう5ヶ月ぐらい前の話。

みんなの震災の話を聞いていて、ふと5ヶ月ぐらい前に参加した東北研修のことを思い出しました。

1泊2日、同じクラスの生徒はほぼ接点のない男子しかいない。
顔も名前もよく知らない人ばかりの中、岩手と宮城に行きました。
1日目、向かったのは平泉と南三陸。
平泉の座禅体験はずっと同じ体勢続けてるのが難しかった。
高いところからの景色は綺麗だったな。
南三陸で見たのはよくTVにうつるところ。
骨組みだけになった防災対策庁舎、壊れたまんまの地域の施設(高野会館っていうそうな)は、天井から配線が垂れ下がり、床には瓦礫の破片。文字通りの廃墟。
実際に中に入ると自分が何となく震災を遠くの事だって感じてたんだなって思った。
あと、有名な商店街にも行った。
ガイドの人は、「いつ、何が起きるか分からない」と言っていた。
2日目は松島と塩竃と仙台。
松島は皆で船に乗って島を見たり、ガイドさんの話を聞いたり。
松島に無数にある島は、あの時天然の防波堤になったんだって。
船のガイドの人は、もしもの時「今の時代は横のつながりが必要なんだ」って言ってた。
朝からずっと雨が降ってたから、塩竃の時点で靴は完全に浸水してた。
若干自分のわがままもあるけど、みんなで鹽竈神社の急な階段を雨の中上っていった。
どこへ行ってもそうだけど、お土産屋さんの人に「どこから来たの?」とか「修学旅行?」とか聞かれた。研修旅行なんだけどね。
仙台は青葉城に行った。自分には分からなかったけれど、周りの女子達には武将隊の人たちがタイプだったらしい。
帰りの新幹線は同じ部屋で寝たメンツでおやつ食べながらひたすらゲームの話。
あんなに話したのはどれくらいぶりだったろうね。

…もちろん楽しかったよ? でも考えさせられた。たくさん写真撮ったから、見るたびに結構思い出せるような気がする(というかここに書いてるうちにも結構思い出してきた)。
一つ言えるとすれば、行ってよかった、色んなものを見れて良かった、綺麗なモノも忘れちゃいけないモノも。
以上。