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最近思うのだ

去年末周辺辺りから音楽界には
結婚系の話題と解散 脱退 とかの話題が多いと
それで思う事というか気づいたことを
突然ではあるけど書き込みたい



応援してる誰かがグループ、バンド から退く時
決まってファンからは今後の応援の言葉や
悲しみの言葉が入り乱れる
それは至極当然のことでよく分かる
ここで僕個人の話に変わるけど
去年9月末辺り突然
今月をもってグループの活動を終了
そして解散をいたします
という内容の発表をしたアーティストがいます
僕の大好きな人たちです リスペクトしてやまない人たちです
気持ち的には今の欅ファンの皆さんに近いものを抱いていたように思います
そしてなんだかんだ流れるように9月は終わり
その人たちは解散してしまいました
当時はなんとも脱力感と丸ごと何かが消えた感覚でしたが 次第に僕は気づいたのです
グループとしての存在は消えたけども
個人としてその人たちは存在してるし
エンタメやってるし引退する方がいらっしゃいましたがその方も生きてる訳でその人の人生を歩んでいく訳です
ならいいじゃん って
確かにグループという存在で時間を共有作品を共有することは今後基本叶わない状態であることに変わりはないけど今までその人たちが残してきた作品がその人自身の存在はこの世にあるしその作品は腐って消えてしまうことは
自分が覚えてる限り絶対ありえないし
だから 本人に出来る限りスッキリして退かせてあげませんでしょうか?
って僕は思うんです
悲しみに埋もれる気持ちも失った感覚が消えないのもよく分かりますが
ちゃんと存在してるんです 死んでない
悲しみに自分が埋もれてるだけならいいけど
それがそのコミュニティに蔓延してしまえば
きっと本人さんも一緒に埋もれて
きっと爽やかにされたとはいつまでも思えないでしょう
我話は今まで思い出を提供してもらったのだから
最後に爽やかな思い出に 
どのタイミングでもいいから変化するような
思い出を残してあげることが
恩返しだし リスペクトを表せる形だと個人的に思いました
という話でした

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二重人格の話について

つい最近まで
特殊な人たちのことを指す言葉だと思ってたけど
他の国は知らないけど
ここ日本に置いては多分 普通なんだよな
って
気づいたし 納得した
そして同時に気持ち悪くなった
今まで自分が自分だと思って来た表の自分はデザインされていた自分なんだと
なんとなく察した
感なんですけどね笑
ただ限りなく真実に近い感なんだと
これも感だけど
確信に近いレベルで思った

この前も書き込んだ
人間と人は同じような単語であって実は全然違う生き物
ってことも二重人格の話に繋がる
人間は生き物ってより鎧という方が正しいのかな
僕らは人前では人間という鎧で人の自分を隠してる
多分昔は(小さな頃)その切り替えが出来てたんだと思う
赤ちゃんの頃なんてほとんど本能で生きてた
だけど 環境 そして自分の選択 教育
色んなことが重なって個人差はあれど徐々に徐々に皆んな 人間という鎧がなきゃいけないってなり
人と人間の境界線があやふやになって来てるそして今は境界線が混ざり合ってどっちがどっちか分からないんだと思う
だから 普通なんだ
そう 普通であり異常でもある
個人的な思いとしては人間なんて鎧は着てない方が
健康だと思う 精神的に

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さっきの続き

そのうちこのSOLまで聴けなくなるんじゃないかって思うと、不安でたまりません。
先週の伊沢拓司先生が来校された日の放送聴いて思いました(まだ前半しか聴けていませんが)。
「誰かに肯定してもらえるっていいな」って。私は自分でも、自分を肯定できません。当然、誰かに肯定してもらえることもありません。
時々、自分だけでも、自分を認めてあげたいと思うことがあります。でもそう思うと、必ずもう一人の自分が顔を出します。例えるなら、自分の中の天使と悪魔のようなものです。そしてその悪魔は、私に罵声を浴びせます。でもその悪魔が言うことは全て事実なので、何も言い返せなくなります。
そうやってどんどん心が蝕まれていくようで、今はもう自分の気持ちさえもわからなくなりました。
学校のことも、塾のことも、どうすべきなのか、どうしたいのか、全くわかりません。いくら探しても迷ってばかりで答えが見つかりません。
考えただけでも息ができなくなる程苦しくなることも珍しくありません。
最近は他人だけでなく、親や大好きな兄に対してまで恐怖心を抱くようになりました。今は作り笑いをして、出来る限り平静をよそおうのに必死です。
こんなの普通じゃないってわかってます。
変わりたいです。だけど具体的にどう変わりたいのかが自分でもよくわかりません。

どうすれば自分を認めてあげられるようになりますか。また、矛盾しているかもしれませんが、どうすれば弱い自分を殺して、やって当然のことを当然のこととしてできるようになりますか。
どなたかアドバイスを頂けるとありがたいです。

ここまで読んで頂きありがとうございます。
長々と失礼しました。

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私の不登校記「どっちでもいいよ」

不登校のとき、というか、学校に行ったりいかなかったりで『健康優良児ではないが、不登校でもない』というような微妙な状態だったとき。
休むのか、行くのか、遅刻するのか。早退するのかしないのか。そういう決断を迫られることが多々ありました。
そういう時、決まって「どっちでもいいよ」と優しく言われました。
そう言っている大人たちとしては、『学校に参加できるならしてほしいし、でも休んじゃって構わないよ』という意味を込めていて、実質8割休んで良かったんだと思います。

でも、今になって思うのは、いっそ有無を言わさず休ませて欲しかったな、ということなんです。

辛い時に、決断を迫られる『これからどうするか考えないといけない状態』はすごくエネルギーを消耗します。それが例え1分先のことなんだとしても。
それに、『学校に行っていない/参加できない』自分がすごく悪い奴なんだと思うことも多々あります。加えて、苦しい渦中にいる時は、仕方のないことだと割り切るのも難しい。だから、どうしても『行かないといけないor行きたくない』で悩むことになります。

ここで苦しむのが本当に辛い。

だから「休んで」って言ってほしいんです。
むしろ強めに「休め」と言ってほしい。自分の中に『学校に行かないといけない』という強迫めいた考え方がずっと棲んでいるから。

そんな私の不登校記「どっちでもいいよ」編でした。

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さっきの続き

母が私に求めているのは「普通であること」だということはわかっています。ここで言う“普通”は、恐らく母の主観に合った“普通”です。
母は私自身のことには関心がありません。あの人が何よりも気にしているのは世間体です。だから私は普通である必要があります。でも今の私は、恐らく母にとっては普通ではありません。
冬季講習については詳しい話は割愛しますが、通常授業とは訳が違い、とにかく行きたくありません。今この状態で行けるとも思えません。でも10月から11月の間に模試も学力診断テストも学校の定期テストも全て点数が大幅に下がっているため、講習にいかないわけにはいきません。先日母に行きたくないと言ったときも、少し正論をぶつけられただけで覚悟もないのに「行く」と言ってしまいました。そのため、今更やっぱり行けないとも言えません。
この時、母は寝る直前で布団に入っていたのですが、起き上がることもなく、スマホでゲームをしていました。以前からわかっていたことではありますが母が私に無関心であることを痛感し、私は考えただけでも呼吸が荒くなり苦しくなるのに母にとってはその程度なんだと思いました。でも、それもそのはずです。こんな出来損ないの失敗作みたいな奴と向き合おうなんて、自分でも思いません。もう少し真剣に考えてほしいと思うのは、私のわがままなんだと今更ながら気がつきました。
だけどやっぱり、講習には行きたくありません。学校なら保健室に逃げることも不可能ではありませんが、塾ではそれができません。言うなら今日しかないのですが、またすぐに折れてしまいそうで怖いです。
よく、自分はどうしてこうなのかと思います。以前から自分のことはあまり好きではありませんでしたが、最近は日に日にその思いが強くなっている気がします。
弱い自分にイライラして、人に迷惑をかけてばかりいる自分に腹がたって、楽しみたいことも楽しめなくなって、笑い方もわからなくなって、大好きな人たちの顔を観るのも、声を聴くのも苦しくて、とにかく申し訳なくて、2年前はあの人たちに救われたのに、どうしてこうなっちゃったんだろうって。だけどやっぱり、離れられなくて。離れたくなくて。

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「助けて」って叫びたい…

長くなると思うので分けて書きます。
私は現在、不登校です。厳密に言うと欠席日数はまだそこまで達していないと思うので不登校とは言えないかもしれませんが、先週から学校に行っていません。
10月半ば頃から些細なことをきっかけに人(特に同級生)が怖くなり、気がつけば学校に行きたくないと思うようになっていたのですが、それでもほとんど毎日通っていました(数日サボりましたが)。
ところが、先週からなぜか突然その思いが強くなり、学校に行かなくなりました。それからというもの、毎日自己嫌悪と罪悪感に押し潰されそうになっています。
今は塾に行くのも嫌だと思うようになり、人に会うのも嫌だと思うことさえあります。
そして、明日は学校での三者懇談があり、塾では冬期講習が始まります。正直、どちらも行きたくないです。
三者懇談では通知表を渡され、進路についての話をされることは確実と言えるでしょうし、学校を休み続けていることについても何を言われるかわかりません。担任にも会いたくないです。学校という場所にも行きたくありません。それに何より、今は進路の話をしたくありません。併願校を決めないといけないということはわかっているのですが、そもそも今この状態で仮に全日制の高校に受かったとしてもちゃんと通えるのかという不安もあります。でも通信制の高校に通うという選択肢は私にはないということもわかっています。
今のように学校に行かなくなる少し前に、もう限界に近いと思ったので2学期は終業式の日までちゃんと通うつもりで、3学期は学力診断テストがある日以外は休みたいと母に言いました。すると母は、欠席日数が多いと高校に入った時に理由を聞かれるけどそれでもいいのかと私に尋ねました。私はそれを「ちゃんと通え」と言われているように感じてしまい、「じゃあ行く」としか言えませんでした。だからきっと、3学期になるとまた学校に通うことになると思います。そう思うと、得体の知れない不安と恐怖に襲われます。

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夢はかなう。

っていうことを、校長が体現してくれたと思う。昨日の授業、奥田民生先生と校長のセッション。ただただ感動でした。perfumeや欅坂46、チバユウスケさんを語る校長の熱量は本当にすごい。でもやっぱり、奥田民生さんを語るときの校長の熱量は、それ以上だと、話を聞きながらいつも思っている。そんな大好きな民生先生とギターセッションするなんて、そんなことはなかなかかなわない。でも校長の民生先生への思い、そして努力が、今回のセッションにつながったんだと思う。自分の曲を自分のファンである人とセッション、また逆もしかりで。エンディングで校長も言ってたけど、どれだけすごいことか。そしてここから思うのは、確かな意思と行動があれば、絶対に夢はかなう。時間はかかろうが失敗しようが、必ず実現する。それを校長が教えてくれた、そう思うんだ。だからこそ、言葉にならない感動があったんだな。まず一歩、踏み出す。それで世界が変わる、新たな出会いもある。私はライブハウスデビューが社会人になってから、でも定期的にライブに行くようになって、世界観がちょっと変わった。ライブハウスという場所に一歩踏み入れて、新たな自分が見つかったし。先月のドライ部ツアー福島編も、年甲斐もなく参加して多くの生徒の皆さんに出会えて。この年齢になっても、新たな世界に飛び込むことの勇気と大切さ、気づかされます。だからこそ、昨日の『人の息子』セッション、すごかった。校長、民生先生、本当にありがとうございました。受験生、就活生、頑張ってるみんな、本当にお疲れ様です。頑張れがつらく聞こえるのは、頑張っている証拠だから。手を抜け気を抜くな、ね。今週もありがとうございました。ドライ部福島前後編、しっかり映ってた(笑)、全員の「叫べー!!」が、やっぱりぐっときた。そしてあの後はるばる会津まで旅をしてくれた職員のみなさん、ありがとうございました。

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ここ一週間のこと

お久しぶりです。
自分は今日まで検査入院をしていました。その病院ではインターネットが使えずスマホももっていないため、書き込むことができませんでした。でもラジオは毎日聴いてました。
そして、家に帰ってきて嬉しいこともありました。それはドライ部ツアーに当選したことです。今回当落があるときいて病院でとても不安になりましたが、当たってよかったです。
さて、まじめな話はこれくらいにして。
校長、ダイエットしてないそうじゃないですか。書き込んでいないとはいえちゃんと聴いてるんですからね。スイートポテト制限するまで3つ食べてるそうですね。毎朝スターバックス飲んでるらしいですね。しかもそれを生徒との約束で断たないまで、やめてなかったってことですよね。これは生徒への裏切り行為です。ちゃんと2月までに痩せられるんですか(怒)本当にダイエットする気があるならまじめにやってください!!!!!!!!!!!!!!!!
今度ツアーに行くとき、そんな校長に思いっきり喝を入れてやる!!!!!!!だらしない校長をやっつけてやる!!!!!
Sa-i♪さん、僕に力を貸してください!!!!!!!!!!!!!!!
鬼軍曹さんの分まで、喝を入れてきます!!!!!!!!!!!!!!
僕の右手に、鬼軍曹さんの力を!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




ついでになんですが、Sa-i♪さんが鬼軍曹なら、自分は「鬼参謀」と名乗っていいですか?