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信じる

大森先生、若井先生、藤澤先生こんばんは。前回の授業を受けて、信じるとは何か考えてみました。“誰か”を信じるとは弱い自分を相手に見せることだと私は思います。誰にも見せたくないような自分をお互いが受け入れ合えたとき、それは決して揺るがない安心感や愛情に繋がるのではないかと考えました。また“何か”を信じるとはその何かを光として捉え、原動力にすることだと思います。生きていればその光が見えなくなってしまうこともあって、それでも光をもう一度見るために探し続けるから私たち人は逆境におかれても何とか生きていけるのだと思いました。大森先生……難しいです。でも、こうして自分なりの答えを出してみると「信じること」はSoranjiの一つの大きな柱となっているのだと分かりました。もっとよく聴いてミセス先生がSoranjiに込めた思いから学びたいと思います。

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信じるとは!

Soranji届きました。
私は、「信じる」という言葉が一番好きで、大切なことだと思っているので通じるものがありました。
改めて信じるって何だろうって考えたのですが、
知って受け止めることなんじゃないでしょうか。

家族との関係が近いと思います。酷いことをされても、失望して見放すってことがないです。私は喧嘩しても弟のことを常に心配してしまうし、幸せを願っています。それは弟のことをよく知っていて,受け止めているからです。弟がどんな時に傷つくのか,どんな悩みを持っているのか、何に感動するのか,何となくわかります。
だけど友達ではそうはいきません。きっと傷ついて失望して嫌いになります。でもそれは友達を知らないからです。その子が悩んでいることも,生き方も,私はわかりません。正直本当に生きてるのかさえわかりません。家族じゃないから。だから受け止められないんです。

また、同時に許すことでもあると思います。自分で自分が許せなくなったとき,不安で押しつぶされそうになったとき,私はミセスの歌詞に許してもらっています。それに、自分自身を許す努力をしています。人とうまく話せなくても,人の幸せを願えなくても、そんな私もいていいんだよって。
全然上手く言えなくてごめんなさい。
知って受け止める(許す)、これが今の私が思う信じるです。
私はミセス先生に信じるを教えてもらいました。ミセスの曲を、歌詞を信じて救われています。
いつか信じるが何なのか,私自身で見つけたいです。Soranjiを届けてくれて,生きててくれてありがとう。

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合唱コンクール

こんばんはミセス先生!
母と妹がコロナに感染してしまい、濃厚接触者になった私は10月25日にあった合唱コンクールに参加できませんでした。
本当悔しいです。

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信じるとは

ミセス先生こんばんは。
私の思う信じるとは、「自分の心の味方になる」という事です。私にはある夢があるのですが、高校生になった今、自分が将来その夢を叶えられているのか、不安になって自分を信じる事が出来ていないように感じます。
でも、自分の1番の味方は自分なのだからまずは私が自分の心の味方になってあげる事で「信じる」が成立するのだと、前回のミセスロックスで再確認できました。
これからは自分の心の味方になって自分の未来を信じていきたいと思いました。