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たまには

自分のために存在する自分というものが存在したっていいんじゃないかって思います。いっつも、写真で端っこに写ってしまうような自分。ああいうのって、もし仮に、仮にですよ、まあ控えめに、いや一番前のわりと真ん中の方というか、真ん中に堂々と立ったら、どうなるんでしょうね?(笑)わりと大事な写真のときに(笑)

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  • 空気を読み過ぎて空気の先に行ってしまうのは違う気がするんですよね。過剰な「空気読む」が次の瞬間の自分を作り出してしまってるというか。多分、そんなんじゃ抜け出せないと思うんですよ。抜け出したいと思ってて抜け出せないのだとしたら、それはよくないと思うんです。ここで、ドナルド・キーンさんの「一番大切なものはかわらない」っていうことばを思い出します。一番大切な部分は変えちゃいけないと思うんです。逆にいえば、一番大切なものさえ残しておけば、あとはどう変わったってどうにでもなると思うんです。

  • そういえば、一方で、「協調性」っていうのも間違いなく大事ですよね。ただ、クラスの"陽キャラ"と呼ばれる人たちが集合写真に配置されるクラスは協調性であふれているのだろうか?ってふと思ったのです。