いま 、わたしが勉強してるのは 、いつかの自分のためで
学んだことがいつ必要になるのかはわかんない
けど 、やりたいことの選択肢がいっぱいいっぱい広げられるように 、自分でできる選択肢を狭めてしまわないように
って言い聞かせて 。今日も勉強 。
結果が全てじゃない。自分なりにいい結果でも、まだまだって言われたりほかがダメだとか言われる。親に認められない結果だったけど、頑張った!!っていう事実は残るから、結果がでなくても頑張ればいいと思う。
今日の授業すごく考えさせられる。自分の頭硬てぇな
明日は高校で出る今年度最後の大会だ。
この夏頑張ってきたんだし、新体制だけど頑張れる。しっかり自己ベスト出して全力で応援もして最後まで楽しんでこよう!
私は将来の夢がまだ決まってません。音楽関係の仕事に就きたいとかは思ったりするけど、自分に自信が持てなくて、夢を見るのをやめてしまいます。
そんなとき、前期期末考査というものがやってきて、「まず、このテストで良い点とることを夢にしよう。」と思って、勉強をしました。
結果は中間考査より全体的に点数があがって良い結果となりました。
このことをきっかけに、「将来の夢はまだ決められてないけど、身近な事から積み重ねていけば、良い結果てなるんじゃないか。良い夢に出会えるんじゃないか。」と思いながら、
今を過ごしています。
このごろ勉強の意味について考えちゃいます。
こんな事考えても勉強は避けては通れないんだけど......
なぜ今使わない昔の古典とか習わなければならないのか、ミトコンドリアの働きを知ってこれからの人生に関係あるのか、二次関数のグラフの面積を求めるとかどーでもよくねとか思っちゃう
私も比較的勉強やる方だし、授業も真面目に受けてるけど、授業中に騒いでる人の方が点数高くて先生や親に褒められているのを見ると結構メンタルくるよね、、、
私はどんなに頑張っても学年1位とかにはなったことはないけれど、少しでも親とか先生に褒められてもらえるだけでやる気も上がるな。
結果がすべて。って言われて怒られると自然とプレッシャーを受けちゃって勉強してても形だけで頭入ってこなくなっちゃうし、、、
うーん、これは難しい問題だよね。私も去年は受験生だったからよく考えたな、、、
勉強は嫌いじゃない。
嫌いなのはやらない自分。
せっかく生きてるんだから知らないこととか苦手なことあるの悔しい。って思ったらがんばれそうです。
この前、知り合いに
「受験生だっけ?あと6ヶ月楽しんで!」
って言われました。
楽しめたもん勝ちだと思ってがんばります!
「結果」のためにする学習に果たして意味はあるのでしょうか? 確かに結果は大事だと思います。でも目の前に点数化してでてくるテストの結果よりも、それを受けて結果的に自分がこれから「どう」動いていくのかが大切なのではないでしょうか?