体と心は大切にね。
あんまり無理しないでね。
夢は叶うよー!!!
ゆっくりのんびりでも大丈夫ー!!
しっかり遊んで、元気にいこー!!
私は20年間会えなかった父親に会えたよ。
泣いて泣いて二人とも泣きながら、
私はしっかりと感謝の気持ちを伝えることができました。
応援してます!!
なんか救われた
わかんないけど救われた。
1人じゃないって思えた。
私だけじゃないし泣いてもいいんだって
強がんなくていいんだって思えた。
涙も鼻水もボロボロ出て顔ぐちゃぐちゃだ
今日の授業で両親がいて、世間一般で言う「普通」な生活を送れている自分はとても幸せなのかもしれないと感じました。全国の母子家庭や父子家庭の皆さんが「幸せ」になれること、もしくは「幸せ」であることを願います!
毎日全力で働いて、勉強も頑張ってすごいですね。尊敬です。
本当に心が綺麗なんだなと思いました。応援してます。頑張ってください。
僕はお父さんとおよそ一年会っていません。だから成長した姿見せたいです。今は病院で必死にリハビリしてるはずです。おたがいに成長した姿見せ合いたいです。
私は、片親ではなく血のつながっている両親がいる。
ただ、片親の人よりは家族の絆というものが薄いように感じる。毎日起きるときに怒鳴られながら起こされて学校行く時も怒られて不機嫌になりながら学校に行く。帰ってからも弁当箱洗え、早く風呂入れ、歯磨きしろ、早く寝ろの無限ループだ。
毎日やっていることなのになんで毎日言われなければいけないのかと思って腹が立つこともある。だから絆が薄いように感じるのだ。
その点、母子家庭、父子家庭の人たちは、絆が強いという私の中の偏見がある。間違っていたら申し訳ない。親の代わりになって家事の手伝いをしたり、自分の時間を使う余裕もなく毎日過ごしていることだろう。親を気遣って、自分のためだけでなく親のために身を粉にしてバイトしている人もいるかもしれない。そのようなことから片親の人たちは絆が強いように感じるのかもしれない。
私の友達の周りには、知っている限り片親の人はいない。もしかしたらRNパンの耳嫌いさんのようにどちらかの親がいないことを隠しているのかもしれない。隠している人はどんな気持ちで毎日過ごしているのだろう。苦しい?悲しい?さみしい?
父親、母親がいない毎日を過ごし、苦しみながらどうにか生きているのかもしれない。毎日学校で会うたびに私が家族の話をするがためになんで親がいないのか、親にあたって一人で泣いている人もいるかもしれない。私は14年間、そのような人達のことを自分には関係ないからと言って無視してきてしまった。今からでも考えることができるだろうか。悲しみを共有できるだろうか。
この前、学校で立春式をするにあたって、親への感謝の手紙を書くという授業があった。私は何も思いつかなかった。毎日ちょっとしたことでありがとうと伝えていたから。でも、その「ありがとう」は届いていないかもしれない。届けたくても届けられない人がいる。今日初めて気づいたことだ。
親がいるのは当たり前なんかじゃなく、奇跡だ。親がいてこその私だ。もし私の両親が出会って、結婚していなかったら、私は今存在しないのだから。今、私の両親は寝ている。今日感謝をすることはできない。明日からでも間に合うか?今日ラジオで聞いたことを胸に、毎日1回でもいいから感謝をしていきたい。家族っていい響きだね。
普通に学校に行って毎日、気楽に過ごしてることがどれだけ、幸せか改めて思います。色々な人が波乱万丈の人生を過ごして辛いと思いますが、そういう人が社会の一部分で生産者の立場におかれたときは恐らくほかのどの人よりも素晴らしい大人になれると思います。世の中で「普通」って言葉はこの上なく幸せの象徴かもしれないですね。
今じゃなくても、お母さんに会えますように
涙にお母さんへの愛を感じる
がんばってください