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SNS。言葉。表現の自由。

SNSって怖い。顔が見えないことをいいことに言いたい放題言っている人がいます。誰が見ても傷つくような内容を書いている人がいたり、コメント欄で言い合いをしている人も見かけます。しかも人を傷つけているにも関わらず、「表現の自由」として自分を正当化しようとしている人も…。すごくモヤモヤします。確かに「表現の自由」は誰にでも与えられているものです。この掲示板に書き込みをすることが出来るのも「表現の自由」があるからだと私は思っています。でも、いわゆるアンチとされているものを「表現の自由」として許して良いのでしょうか…?正直この問題は難しいなと思います。全て否定してしまえば、その人の自由がなくなる。でも許してしまえば傷ついている人をもっと苦しめてしまう。どうすればこの問題が解決できるのか分かりません。もうSNSなんて無くしてしまえばいいのにって思いますが、無くなってしまえば誰にも相談できない悩みや愚痴を吐き出す場所が無くなってしまう。
ここまで長く書いてきましたが、今私は怖いです。もしかしたらこの書き込みを見て嫌な思いをする人がいるかもしれない。でも書き込みたかった。なぜなら私もSNS上で傷つけられたことがあるから。私はSNSの怖さを少しは理解しているつもりです。言葉は人を応援したり、元気づけたりできる素晴らしいものです。でも1歩間違えれば人を極限まで追い詰める凶器になる。しかもSNSでは相手の表情が見えないから上手く伝わらないこともある。この難しい問題ってどうすれば無くなるんですかね…。

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私が思うこと。

世の中のSNSもここの掲示板のように暖かい場所になって欲しい。
自分の何気ないその一言が、人を苦しみに追いやっていることを自覚して欲しい。
どうして1つの命が無くならないと世の中は過ちに気が付かないんだろう。
言葉は人を傷つけるために出来たんじゃない。
どうか二度と悲しい事件が起きないで欲しい。

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言葉

今日SNSの怖さを痛感するニュースがありました。SNSというすごく便利なものが普及して、自分の思った事や感じた事を簡単に発信でき、誰かと共感できるすごいものです。それで、救われた人も少なくないと私は思います。でも逆に、簡単に発信できるようになった事で、言葉の重みを理解せずに、第三者に対して誹謗中傷を浴びせ、簡単に人に言葉の暴力を振るう人も増えました。
でも、今度は誹謗中傷をあびせていた人を叩く人や面白おかしく扱う人がいます。。正義感から来るのかは、私には分かりませんが、私は正義ではないと断言できる気がします。
部活の関係で高校からSNSは辞めました。SNSなんてやらなくたって、生きれます。SNSで苦しんでいる人が少しでも減り、前向きに明るい人生を歩んでいけますように。
ご冥福をお祈りします。