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美しい音楽

 梅雨が明け、台風が来た。一日雨らしい。かまわない。今日は休日だからだ。せっかくの休みに雨、なんて野暮ったいことは俺は言わない。
 朝の七時。コーヒーが飲みたくなった。傘をさして雨のなか、コーヒーショップまで。
 ブレンドコーヒーを持ってウインドウ席に座る。隣でタスマニアデビルがノートパソコンのキーボードをせわしなくたたいている。俺はコーヒーを飲みながらぼんやりと雨をながめる。自由気ままな休日。
「あなたはまったく自由気ままですね」
 タスマニアデビルがリュックにノートパソコンをしまいながら、俺の顔をのぞき込むようにして言う。
「自由は金で買えるからね」
 俺はこたえになっているようないないようなこたえを返す。
「お金持ちのようで」
「まさか」
「わたしの友人で金で買えないものはないと常日ごろから言っている金持ちがいましてね。ある日それならピュアな心も買えるでしょうとけしかけたらその友人、ピュアな心を買おうとしたんですよ。でも友人はあきらめました。金で買った時点でピュアな心が失われてしまうと考えたからです」
「さすが金持ちだ。ちゃんとものを考えている」
 俺はコーヒーをひと口飲んでからこたえる。
「でしょう。ちゃんとものを考えているから金持ちになれる」
「考えなければ長期的なビジョンは持てないからな。長期的なビジョンがなければ金持ちにはなれない」
「貧乏人だって長期的なビジョンがないわけではないのです。長期的なビジョンのもとに自己を統制できていないだけなんですよ」
「……ところで、どうしてリュックなんか持ってるんだ? ポケットがあるだろう」
 俺がそう言うと、タスマニアデビルはむっとした表情(おそらく)になり、「みなさんほぼほぼそうおっしゃるんですよ。ポケットがあるのは雌だけです」と言った。
「でも有袋類って言うじゃないか」
「不適当なネーミングですな。ざっくりしすぎです」
 俺は外の景色に目を移す。さすがに人通りは少ない。視線を戻すと、タスマニアデビルは消えている。美しい音楽が、店内に流れているのに気づく。