いつしか忘れてしまった屋根裏部屋の匂いに、アンジェリカは顔をしかめた。10年前は全く気にならない、むしろ、好きな匂いだったのに。ほこりとカビのにおいが鼻をつき、眉間のしわをさらに深くした彼女の記憶に、そんなことはとうに存在しないのだった。
「ひどい匂いだわ。かび臭いったらありゃしない。それに、獣臭いにおいもしたわ。野良猫でも入りこんだのかしら」
確かに、屋根裏部屋には猫がいた。だが、野良猫ではなかった。
足元にある荷物の山を見下ろし、アンジェリカはため息をついた。
「やっぱり、この荷物は屋根裏部屋にしまうしかないわね」
彼女は意を決して屋根裏部屋に足を踏み入れた。ほこり、カビ、獣の匂いが入り混じり、独特の刺激臭を放っていた。よく見ると、ハエまでたかっている。
「どうしてハエがこんなにいるのかしら……。もしかして、この獣臭の持ち主が死んでいるんじゃ……」
アンジェリカは思わず身震いした。
「やっぱり、荷物をしまうのは、ジャックがいるときにしましょう。………それにしてもこの荷物、見覚えのない物ばかりね。本当に私のかしら」
屋根裏部屋から続くはしごを下りると、彼女は夫・ジャックのために昼食を作り始めた。それを食べる人はもう存在しないのだけど。
屋根裏部屋では、ハエがたかり白骨化の始まったアンジェリカの飼い猫ーと言ってもその犯人であり飼い主である当の本人は、すべて忘れているのだけどーと、その隣で寝ているジャックは、自分たちを殺したアンジェリカの名を小さく小さく床に刻んでいた。
アンジェリカは、1日経つと記憶のほとんどが消え去る病を持っていた。それでも、本人はそのことにまったく気づかず、自分は平常な人間だと思い込んで生活していた。
山のようなジャックの荷物ー遺品ともいえるーは、明日になればアンジェリカの記憶には存在せず、亡くなった一匹と1人ー本当はもっといるがーのように、誰にも思い出されないのだった。