0

2011.3.11

東日本大震災当時、私は4歳で宮城に住んでいました。
地震発生後、保育園から引き渡されて母と1歳だった妹とともに帰ったのは、物が散乱して天井にひびがたくさん入った家。もちろん電気や水は通っていませんでした。幸い私が住んでいた地区は津波の被害がありませんでしたが、たまたま父が出張中で、帰ってくるにも道路が寸断されていたり交通機関が止まっていたりしたので帰って来れず。。母一人の手で幼い私と妹の世話をするのは大変だったと思います。そこから何日間も水と電気の通っていない生活が続き、やっと水を供給してくれるトラック(?)が来たと思ったら7時間待ち。幼い私たちを連れて7時間待つことは出来ないので、お風呂に溜めてあった水や近所の人が水を分けてくださったりして、何とか堪え凌ぐことができたそうです。

当時のことは何となく覚えている程度ですが、あれから10年、我が家には常に水のペットボトルや懐中電灯などがたくさん備えてあるようになりました。私も宮城を引っ越してからはこの日について考える機会がどんどんなくなってきてしまっていますが、絶対に忘れてはならないことだと思います。
あの日犠牲になった方々も、元々は私たちと同じように生まれてきています。みんな平等のはずなのに、たまたま東北に居合わせた人を無差別に落としていく地震は憎くて怖いものです。私たちはそんな犠牲になった人たちの分まで、毎日に感謝しながら生きるべきなのではないかなと思いました。

レスを書き込む

この書き込みにレスをつけるにはログインが必要です。