山手線で2番目に古い西日暮里,撮り鉄必見の車両基地最寄りの田端,ソメイヨシノ発祥の地駒込,とげ抜き地蔵や「お婆ちゃんの原宿」の異名を持つ巣鴨,荒川線は乗り換えの大塚を過ぎていよいよ池袋に着いた。
嫁が袖をクイっと引っ張って上目遣いになりながら「確か,池袋って『東西武で西東武』って呼ばれてたよね?でも,アレってなんでなの?」と訊いてきたので「東武の東上線は元々東京と上州,つまり群馬県を結ぶ前提で作られたんだ。でも,群馬県方面に行くなら方向は北西が便利だから西側,途中の埼玉県の区間で計画が立ち消え,その後その路線の鉄道会社が東武鉄道と合併して消え、一方の武蔵野鉄道は起点駅を需要が高そうな市街地のある巣鴨にするつもりが頓挫して何も無い池袋に駅を設置することになった。そしたら,路線の方向的に東口に線路を敷いた方が良くてそのまま線路を敷いたらその後運営してた会社が西武鉄道と合併して結果的に東口に西武が来て西が東武になっただけのことさ」と説明すると「やっぱり,東京って複雑やね。分からないことだらけや」と言って嫁が笑うので「まぁ,難しいよなぁ…地元の俺でもたまに分かんなくなることあっから」と返して深呼吸する。
そして一言,「楽しい時間ってのはあっという間だな」と呟く。
それもそのはずで,もう地元で5本の指に入る目抜き通りの一つ,大久保通りを跨ぐ橋を渡り,左には新大久保のコリアタウンが見えている。
更に2本ある大通りをそれぞれ跨ぐ橋を渡る度に幼い日の思い出がハッキリと浮かび上がり、新宿駅に着いた瞬間地元に帰って来た実感が湧いてホッとして「兎追いしかの山小鮒釣りしかの川」と口ずさむと嫁も何か察したのか「帰ってきたね」と言ってくれた。
それに俺も反応して「そうさ。愛しのふるさと,新宿区の玄関口にやっと帰って来たんだ。」
それからは中央・総武線に乗り換えて地元,市ヶ谷を目指す。
幼少期や高校1年の頃によく電車を見に来た踏切の最寄駅の代々木,夏休みによく利用したプールのあるアリーナ併設の元五輪会場・東京体育館のある千駄ヶ谷,生まれて初めて自転車に乗り、その後もよくサイクリングで訪れた神宮外苑の最寄駅の一つであり実家の近くを貫く通りと交差する場所でもある信濃町まで来た。
もうあと5分ほどでこの鉄道旅も終了だ。