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Trans Far East Travelogue69

給油を済ませて関越道に入るまでの道中,ラジオから流れて来た交通情報に耳を傾けると,運の悪いことに必ず通る筈の関越トンネルとその前後で連鎖的に起きた事故処理の関係で湯沢から沼田まで通行止めになっている。
土地勘が無く方角も分からず完全に憔悴しきっている嫁に「落ち着いて。絶対隣にいるし俺の言うこと信じれば東京に帰れるから大丈夫。俺を信じて。まずは高速の逆方向で長岡ジャンクションに行こう。」と声をかけて暫く嫁が落ち着くまで待つ。
そして、かつてソウルでの同僚で台湾に栄転した人が後ろに座っていることに気付き嫁を不安にさせない為に彼に韓国語で声をかけて出港を遅らせてもらうよう交渉させて夜11時出港との答えが来た頃、遂に嫁が覚悟を決めた様子で「案内お願いね」と言ってハンドルを握るので俺も「任せとけ」と返す。
そこからの展開は早く、長岡インターから高速に入り,長岡JCTで北陸道に入り西欧の某国から今は亡き女王が訪日した時に乗った新幹線の運転士さながらの運転で上信越道との分岐点である上越JCTを目指して長岡を出てから凡そ1時間で上信越道に入り、その後更に30分程で着いた信州小布施のPAで最初の休憩を挟み,名物の栗を使ったソフトクリームを買って嫁を励まし,俺は腹が減っていたので信州を中心とした地域では一般的なソウルフードのソースカツ丼を食べても足りないので信州蕎麦も追加で注文しどちらも感触するのを見て嫁から「東京の男…恐るべし」と笑われたので「地物や名物を食うのが江戸っ子よ」と笑って返す。
その後のルートについて嫁が相談するので、このまま群馬の藤岡で関越に合流して帰宅ラッシュで混雑する都内の下道をひたすら走って時間をかけるよりも少し遠回りにはなるが更埴JCTから長野道に入り昔は水田に映る月,今は眼下の善光寺平の夜景で有名な姨捨のSAで2度目の休憩を取り、岡谷を経由して中央道に入り温泉施設のある諏訪湖のSAで入浴して最後の休憩を取って首都高経由で港に直行することを提案するが,嫁が念の為もう1ヶ所休憩場所があると良いと言うので万が一のイレギュラーに備えてでも休憩を取る前提で動くことにした。
遠くには先程まで長岡で見ていた信濃川の上流,千曲川の水面が薄暮の空を写して白みがかった金と紫の色を混ぜて光り、それを見る嫁の横顔が並行して走る新幹線の列車の名前にもあるように輝き出していた。

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