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歴史談義黙示録41

明日も登校しなければいけないというこの悲しみ
では今日もやっていきます
真田家と豊臣家と徳川家
・徳川家中の情勢が不安定になったことにより真田家は徳川家と対立していた豊臣家に臣従を誓った
・この時上杉家の人質だった幸村は豊臣の人質に
・真田家の活躍を買った家康が昌幸の息子信之と戦国最強とも名高い本多忠勝の娘を結婚さすせ真田を味方に引き込もうとする
・豊臣秀吉の小田原攻めが始まり真田は上杉・前田勢に加わり八王子城を攻める(北条征伐最大の激戦区)
・この時幸村が初陣したとかしなかったとか
・のぼうの城で有名な忍城水攻めにも参加したとか?
・この時秀吉から正式に真田の領有を認められる
・真田は朝鮮には渡らず伏見城普請に関わったりした この時幸村と大谷吉継の娘が結婚
・秀吉が死去 それから家康に従って会津征伐などに参加したが三成が挙兵したため父昌幸と幸村は豊臣との縁あって西軍に長男信之は徳川との縁あって東軍につく
・徳川に味方することを決断した真田信幸を賞して真田領は信之のものとする約束をした
・昌幸は信之の子供の顔を最後に見ようとするが入城を拒否されるそして上田城に帰参した
・関ケ原の合戦には参加していないものの真田は徳川家康の息子秀忠の十倍以上ある軍勢を蹂躙しまくり関ケ原の戦い本戦に遅刻させる程の活躍を
した これにより秀忠と真田に禍根が残る
・しかし関ケ原の戦いで西軍が負けたため昌幸たちも敗北者扱いになったが本多忠勝の進言もあり九度山に流罪に
・昌幸はそこで死んだが幸村は大阪の陣まで生き残り真田丸を築き徳川勢を蹂躙したり徳川家康を自害寸前まで追い詰めたがとうとう力尽き死亡
・兄信之は幕末まで続く真田家の基礎を築き93歳という長寿を全うした

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