5

5年

あの日は友達と遊びに行く為に自転車に乗ってた。埼玉の南部は震度5弱。起きた時は最初は受け止められなくて、前に停めてあったカブの荷台から(何故積んでたかは知らないけど)水が噴き出してるのを見て初めて現実に起こってると認識できた。
あれから5年。今度は復興と並行して「伝えて」いかなきゃいけない。原発だってそう。第一声は「想定外」。無意識に「私達は知りませんよ」って政府が言ったようなモン。ラジオやテレビ、本やネットとかで知る事、伝える事が必要って感じる。昨日の授業からも、自論からも。

レスを書き込む

この書き込みにレスをつけるにはログインが必要です。

  • お久しぶりです。

    何かできるわけではないけれど、知ること、伝えることって大事なことだと私も思います。映像だけでしか見たことがないのですが、そのときに思ったことや感じたことを忘れてはいけないと思いました。

  • レスありがとう。
    実際に経験した身でもあるから当たり前のことだけど、私は絶対あの日のことを忘れない。4月の半ばに延期された中学の卒業式も本来はおめでたい場なのにすごくすごく悲しい卒業式だった。
    私はただ沿岸部に住んでいなかったってだけ。2011年の冬に女川や教頭の訪れた日和山に行ったんだけど、自然と涙が溢れてた。津波に流されてしまった人々はどんな思いで最期を迎えたんだろう。自分にできることって何なんだろうって。とにかく言葉に表せない感情が込み上げてきたのを今でも覚えてる。一度でいいから、被災地に足を運ぶといいよ。何かが見えてくると思う。

  • まゆめろ、レスありがとう。久しぶりだね。現実を知らないなら調べるし、知っているなら、それを共有したいってなら発信する。昔と違って、今はスマホやネットとかで知る事もできるのに、ね。
    (2人へのレス、かなり長くなりそうなので、連投させていただきます。KGBさん、申し訳ありません)

  • 伝えることは大切かもしれませんね。
    だけど、あくまで事実をつたえなければならないのかなって思います。
    美談や脚色をいれないで純粋に。
    あの頃から絆だとか家族だとか、簡単に安っぽく言葉が使われているように感じます。
    そうじゃなくて、本当にありのままを残すということが必要なのかなって

  • てぃってぃ、レスありがとう。
    そうだね。情報の拡散はいわば伝言ゲーム。どこかでズレがでる。正確に伝えなきゃ、ね。