むかし、不妊に悩む王と王妃がいました。二人はある日、思い立って近所の魔女に相談しました。
魔女は二人にこう言いました。
「あいにく不妊治療は専門外なんだ。森の神なら何とかしてくれるだろうから、紹介状を書いとくよ」
二人は紹介状を持って森へ行き、森の神をまつる巨木の前に立ち、森の神を呼びました。
すると、頭上から声がしました。
「この森に生えているラプンツェル(オミナエシ科の野草)を食べるといいよ」と。
二人は礼を言って立ち去ろうとしました。
「ちょっと待ちなさい」
森の神が二人を呼び止めました。二人が振り返ると、森の神はこう言いました。
「女の子が生まれたらわたしにささげよ」
「そんなあ」
王妃が言いました。
「もらいっぱなしが通るほど世の中甘くはない」
幸い男の子が生まれ、二人は安堵の胸をなでおろしたのですが、翌年、女の子が生まれました。
女の子が生まれたニュースをきいた森の神は小人に姿を変え、城を訪ねました。二人はすぐに小人が森の神の化身だとわかりました。
王妃が森の神に言いました。
「お願いです。この子を殺したり傷つけたりなさらないでください」
「心配することはない。わたしはお前たち以上にこの娘を可愛がる」
森の神は娘を鑑賞するために塔を建てさせました。塔が完成すると、二人は約束どおり娘を手放しました。娘は外の世界を知らないまま、一生を塔で過ごしました。
今度は王子の話をきかせてください。
いいだろう。
ある国に、間抜けな王子がいた。王子は利用されていただけだった。政権を取り戻し、従者を大臣に任命して政治を立て直そうとしていたら、塔に閉じ込められた。
この国はいま、孤立している。無関係な国を巻き込んで、大立ち回りを演じてしまったのだから当然だ。政権は元に戻ったが、隣国への賠償金を払うために税を課せられるというとばっちりを受けて国民からは不満の声があがっている。そんなことより、せっかく養った国家という意識が希薄になりつつある。支配者が簡単に入れ替わってしまうようでは国とはいえない。
従者は内部に不穏な動きがあるのを知っていて賭けに出たのだ。統治者として返り咲くために……疲れただろう。もう下がりなさい。
はい。ではまた。おやすみなさい。
デッシュカバーをかぶせたトレーを持った引きずるように長いブロンドの髪の若い娘が、らせん階段を上がっています。
階段を上がりきると、外光の入らない、壁面にランプのともった狭い通路に出ます。
娘はぶ厚そうなドアの前で立ち止まり、ドアを開け、部屋のなかに入りました。
部屋のなかにはさらに小部屋があります。
娘が鉄格子の柵で仕切られた小部屋の前にトレーを置きました。
「食事をお持ちしました」
「ありがとう。食べ終えたらまた話をきかせてくれ」
王子は粗末なベッドから起き出し、鉄格子の下部にもうけられた隙間からトレーを引き寄せて言いました。
「かしこまりました」
娘がこたえてから、床に腰をおろしました。
深い森のなか、石積みの高い塔がそびえ立っています。よほど性格の暗い奴が設計したのだろうと思われる、気が滅入るような建物です。その最上階に王子はいるのでした。
新国王暗殺後、王子たちはその足で国に戻り、城を攻めました。国王が殺されたという知らせはすでに届いていましたが、護衛のほとんどが身辺警護として出払っていたため何の手を打つこともできなかった敵は実にあっけなく降伏。王子は政権を奪還しました。
ところが。
国民を集め、政権を取り戻したことを報告してから数日後、王子は幽閉されてしまったのです。
王子は食事を終えると再びベッドに寝転がり、娘の右手にある小窓を見つめました。
「この建物はいつからあるのだろう。領内にこんな塔があることなど、誰にもきかされていなかった」
王子が天井に目を移し、ひとりごとのように言いました。
「いつ建てられたのか、誰が何の目的で建てたのか、わたしにもわかりません」
娘が淡々とした口調でこたえます。
「お前はいつからここにいる」
「ものごころついたときにはもうここにいました」
娘は思いついたように立ち上がり、ランプをつけて言いました。
「ここに来る前はどこに?」
「ここに来る前の記憶はありません……今日は塔の話でもしましょう」
明日に続く!
「お見事です王子!」
フェルナンデスが警備兵をなぎ倒しながら言いました。さらに屈強そうなのが王子の前に立ちふさがります。
「不思議だ」
つばぜり合いをしながら王子が言いました。
「剣の腕が上がっているような気がするんだが」
「睡眠学習です」
エンリーケが警備兵の足元をなぎながら言いました。
「睡眠学習⁉︎」
「彼はどんな場所でも潜入できると言ったでしょう。頭のなかにもですよ」とフェルナンデス。
「すると」
王子が護衛を斬りつけて言いました。
「エンリーケがわたしの夢をあやつっていたというわけか」
「そうなります」とエンリーケ。
「腕は上がったにしても、こう数が多くては、さすがに剣の斬れ味がにぶってくる」
王子は肩で息をしながら言いました。
「もう敵はほぼ戦意喪失していますよ。城門まで一気に走り抜けましょう。要人の警護が最優先ですから、城の外まで追ってくる者は多分いません」
フェルナンデスが先頭に立ち、雄たけびをあげ、剣を振り回しながら警備兵と護衛の群れを突っ切りました。護衛の隊長らしきがそのあとを追います。
回廊を抜け、階段を駆け下りたところに警備兵の放った矢が飛んできました。王子は当たり前のように剣ではじき返しました。護衛の隊長らしきが王子とエンリーケに追いつきます。
護衛の隊長らしきがサーベルを抜きました。王子とエンリーケは剣をかまえました。
一瞬後、護衛の隊長らしきが目を見開いたかと思うと倒れました。背中に矢が刺さっていました。
城門が見えました。もう誰も追ってきませんでした。
「門を開けろ」
フェルナンデスが門番に言いました。
門番は全身に返り血を浴びた三人をちらっと見ると、無言でうなずきました。
エンリーケがワゴンをゆっくりと三女のわきに寄せ、ごくさりげない感じで布を取り、料理を出します。
「これはウズラね。待って、どんな料理か当てるわ。うーん、そうね。リゾットづめでしょう?」
三女が悩ましい声で言いました。
「さすがです。そのとおりでございます」
フェルナンデスがこたえます。
「大きめに切ってもらえるかしら」
「はい。かしこまりました」
王子がそう言って剣を手に取りました。
王子に続いて、フェルナンデス、エンリーケも剣を手にします。
「あら。クッキングパフォーマンスがあるのね。気がきいてるわ」
三女はそう言って、同意を求めるように新国王を表情をうかがいました。
新国王の驚いた表情といったらありません。
王子とフェルナンデスの顔を交互に見て声をあげようとするところに、王子が斬りかかりました。剣は鼻先をかすめました。
三女をふくめ、周囲は一瞬、何が起きているのかわからない様子でしたが、すぐにパニックになりました。フェルナンデスが新国王の首をはねたからです。あまりのことに新国王の護衛は動けないでいます。各国の護衛がそれぞれの国のVIPを避難させるのと同時に、警備兵が続々とやってきます。新国王の護衛もやっと動き出しました。
さすが各国のVIPが集まっているだけあって警備はそう甘くはありません。百人近くの警備兵と護衛にたちまち囲まれてしまいました。
「さて、どうやって逃げるか、プランはあるのだろうな」
王子がフェルナンデスを横目で見ながら言いました。
「攻撃あるのみです」
フェルナンデスがこたえます。
「そう言うと思ったよ」
「行くぞエンリーケ!」
フェルナンデスが斬り込みました。
フェルナンデスとエンリーケが王子の盾となり、たじろいでいる警備兵を容赦なく斬り捨て進みます。
「何をしている。殺してもかまわん。逃がすな!」
護衛の隊長らしきが指示すると、屈強そうなのが王子の背後にまわりました。が、王子はまるで待ちかまえていたかのような動きで、振り向きざまに心臓をひと突きしていました。
会場内は、きらびやかな衣装を身にまとった王族や貴族たちで埋め尽くされています。
大声で卑猥な冗談を言い合う者あり。もちろんひたすら飲み食いする者あり。酔いつぶれてテーブルに突っ伏している者ありと、宴もたけなわといったところです。
「今日は各国のVIPが来ています」
フェルナンデスが王子を見ずに言いました。
「何だと⁉︎」
「首脳会議があったのですよ。あちらをご覧ください」
王子はフェルナンデスの視線の先に目を向けます。
「相変わらずブスだな」
「三女ではありません。その隣です」
隣に目をやると、見覚えのある男が王と談笑していました。
「クーデターの首謀者であるかつてのあなたの従者、新国王です」
王子はかつての従者が、いかにもリラックスした態度でいるのを見ると、身の危険よりも憎しみの感情が湧き上がるのを感じました。
王子がうつむき加減になって言いました。
「今日のことはいつから知っていたのだ、なんて質問は愚問だろうな」
「エンリーケが早々に」
フェルナンデスがこたえました。
ワゴンが王族とVIPのテーブルに近づきます。
「エンリーケ」
王子がまっすぐ前方を見て言いました。
「はい」
「ワゴンに載っているのは何だ」
「上段にウズラのリゾットづめ、下段にカトラリーです」
エンリーケはそう言いながら布を少しめくり、抜き身の剣をのぞかせました。
「また悪い夢を見ているのかな」
王子が前方に視線を戻して言いました。
「これが夢なら、わたしも同じ夢を見ているということになりますね」とフェルナンデス。
「今日の料理はどれもとても美味しいわ。次は何が来たのかしら」
三女がはなやいだ口調で言うのが耳に入りました。
こやつら。
暗殺をねらっていたとはな。
もうこの状況では殺るか殺られるかではないか。
王子は腹をくくりました。
「王子、起きてください王子」
「フェルナンデス様、王子はまずいですよ」
「すまん、つい……そういうお前もだ。様はいらん。フェルナンデスと呼び捨てにしろ」
王子がよろよろ起き出して、ぶつぶつ言いながら着替えます。
「城というのは石造りだから朝冷えるのだな。いまさら気づいたよ。……それにしても、どこが広くてきれいなんだ? ブリクティーの実家と大して変わらないじゃないか」
「ぜいたくを言ってはいけません、王……フィリップ」
「ぜいたくは言ってない。詐欺だと指摘してるんだ」
王子たちが厨房に入るとすでに、たくさんの人が肉をさばいたり、魚をさばいたり、野菜を切ったりしています。
「ばかに人が多いな」
王子がいぶかしげに言いました。
「今夜は夜通しパーティーなので、朝から増員しているのです。早めに到着した招待客のための軽食も用意しなくてはならないので」
フェルナンデスがこたえます。
「のんきなものだ」
王子は首を振って料理を開始しました。
できあがった料理が次々と運ばれてゆきます。回廊のざわめきが厨房まで響いています。
どっと歓声があがりました。パーティーが始まったようです。
パーティー開始後、数時間が経ちました。
「ちょっとひと息つけるかと思ったら、連中はまだ食べるのか? 王族や貴族ってのはまるで豚だな」
そう言って王子が肩をすくめました。
「そういうご自身も王族でしょう」
エンリーケが盛りつけながら小声で突っ込みます。
「わたしの国は質素倹約が信条だ。それほど豊かな国ではないしな」
少しして、フェルナンデスが緊張した面持ちでやってきて王子に近づき、言いました。
「給仕が足りないそうです。直接わたしたちで運びましょう」
「わたしは忙しい」
「そう言わずに……エンリーケ、ワゴンを頼む」
エンリーケが奥から布のかかったワゴンを押して戻って来ました。
「行きましょう」とフェルナンデス。
「ワゴンを押すのは一人で十分だろう」
王子がふてくされた様子でしたがいます。
パーティー会場に到着しました。
おばあちゃんが、巾着袋からカードを取り出しました。
シャッフルしてテーブルにふせてから扇状に広げ、数枚抜き取り、それをひっくり返します。四人はおばあちゃんを囲むようにしてその動作に真剣に見入っています。
「うーん、おかしいねえ」
「何が出てるの?」
かたわらのブリクティーがききました。
「この人は高貴な出だと出ているよ」
「そうなの?」
ブリクティーが王子を見て言いました。
「そんなわけないだろ」と王子。
「そうよね……それから?」
「強大な、超自然的なパワーを秘めている。さらに、神と精霊に常に守られている」
「出世しますか?」とフェルナンデス。
「出世はしないね。でも出世なんかよりもっとすごい未来が待ってる」
「どうなるの?」
ブリクティーが目を輝かせてききます。
「神になる」
しばし沈黙が流れました。
「わたしの占いの腕も鈍ったね」
と、おばあちゃんがカードをしまいながら言い終えるか言い終えないかのとき。
ドアが蹴破られ、兵士がなだれ込んできました。
エンリーケが素早い動作でテーブルに乗り、天井の梁から剣を取ってフェルナンデスに渡します。
「王子! 剣を」
王子は剣をキャッチして鞘から抜き、かまえました。フェルナンデスとエンリーケがやってくる兵士を次々となぎ倒します。おばあちゃんもナイフで応戦します。
倒れて折り重なった兵士で出入り口がふさがれると、窓がぶち割られました。
窓から飛び込んできた兵士が剣を抜き、王子と対峙します。
兵士が間合いをつめ、斬りかかりました。王子は一歩下がって切っ先をかわすとすかさず懐に入り突き刺します。
王子が剣を引き抜くと、兵士は前に倒れました。
「矢が飛んで来ますよ王子!」
エンリーケの言葉をきくが早いか、王子は飛来した矢を剣ではじき返しました。
女は料理で殺せと言います。
男じゃないのか。
女もです。とにかく料理上手な男に女は弱いもの。
「ああ〜、お腹がすいたわ。お茶の時間は終わってしまったし、夕食までにはまだ時間があるし。何か小腹を満たすものはないかしら」
王室の行き遅れの姫が切ない声で言いました。
「失礼します」
「あら、見ない顔ね」
「今日から給仕担当になりました。フェルナンデスと申します」
「そのフェルナンデスが何の用なの?」
「ちょうどいまごろ、姫は空腹を感じておられるだろうから、これを持ってゆけとシェフに言いつかりまして」
「まあ、気がきくわね」
「ローストして塩こしょうした七面鳥とレタス、セロリをクランベリージャムを塗ったパンではさんだものです。マヨネーズはお好みでどうぞ」
姫は手に取って、ひと口食べると目を見張り、またたく間にたいらげてしまいました。
「こんな美味しいものを食べたのは生まれて初めてだわ。フェルナンデス。これを作った者をここに連れて来なさい」
ナプキンで口元をぬぐい、姫は言いました。
「はっ。実はドアの外に待たせております。入りなさい」
ドアが開き、おずおずとイケメンのシェフが入ってきます。
「名は何と申す」
「フィリップです」
シェフが言いました。
「フィリップとやら、目がうつろだが、どうしたのだ?」
姫がたずねました。
シェフははっとしてから、「あまりにもわたしの理想にストライクだったので、まぼろしかと思いまして」と、微笑してこたえました。
「料理ができてイケメンで、おまけに口がうまいだなんて王室にぴったりだわ」
「王室にぴったりとは?」
フェルナンデスがききました。
「この者と結婚することにした」
姫が言いました。
「身に余る幸せ」
シェフは天をあおぎました。
フェルナンデス。
はい。
お前、正気か?
「自らも命を危険にさらしてあなたに仕えているフェルナンデス様の立場も考えてください」
王子が口を開きました。
「じゃあどうしたらいいんだ? 城の料理人になったところで、できることなんてたかが知れてるだろう」
すると、フェルナンデスが不敵な笑みを浮かべて言いました。
「この国の王の三女と結婚すると、おっしゃってたじゃないですか」
それをきいて、王子は少したじろぎます。
「たしかに言ったが、それは王子だったころの話だ」
なんだかややこしいな、と思いながら王子がこたえました。
「いまでも、わたしにとっては王子ですよ」とフェルナンデス。
「フェルナンデス様にとって王子なら、わたくしにとっても王子です」とエンリーケ。
「そういうことではない。いまさら結婚しても利益は……」
「まあ王子、きいてください。この国の王の子どもは娘三人だけです」
「そんなことはわかっている。長女はブロンドのナイスバディ、次女は赤毛の美人だ」
「さすがよくご存知で。この長女と次女、先ごろ政略結婚で相次いで嫁ぎまして、いま残っているのは不器量な三女だけとなっております」
「それは知らなかった……と、いうことはつまり、そういうことだな」
「はい。後を継ぐのは三女。三女と結婚すれば、この国の王になれるわけです」
「……そう上手くいくものか。向こうからしたら、どこの馬の骨ともわからない身分違いの料理人でしかない」
「上手くいったらどうしますか? 国王に納まってしまえば新政権も簡単に手出しはできません。手を出すとなったら戦争になりますが、国力はこの国のほうが上です」
「……計画は、きっとあるんだろうな」
王子がため息混じりに言いました。
「もちろんです」
フェルナンデスが自信たっぷりに話し始めました。
「城は困るよ」
王子はつぶやくように言いました。
「どうして?」
王室に顔を知られているからとはさすがに言えません。
「それは、だから、そのあの」
「いい話でしょ。王室の料理人だよ。うまくすれば料理長になれるかもしれない。フィリップ。出世するチャンスだよ」
「わたしも賛成だ。むさ苦しい男が三人もせまい家にいちゃあ、子どもの教育にもよくないしね」
おばあちゃんが言いました。
「わかりました。引き受けましょう」
さっきからエンリーケとぼそぼそ話していたフェルナンデスが、目を光らせて言いました。
「この二人の舌は王族だけあって……失礼、王族なみに肥えています。わたくしはコックの経験があります。味覚では劣りますが、技術面でサポートしましょう」とエンリーケ。
「お前たち、何を言ってる」
「じゃあ、決まりだね。一週間以内に、お城から使いが来るから、荷物まとめといて。……おばあちゃん、もう出かけたほうがいい?」
「そう急ぐこたあないだろ。フィリップ。よかったらあんたの未来を占ってやるよ」
そう言っておばあちゃんは、巾着袋からカードを取り出しました。
「おい、お前たち、どういうことだ? わたしはこの国の王族と面識があるんだぞ」
ブリクティーとおばあちゃんが出かけてから、王子は二人に言いました。フェルナンデスがすましてこたえます。
「農家にまぎれているよりよほど安全ですよ。逃亡中の王子が隣国の王室で働いているなんて誰も想像もつかないでしょう。それに王族が注目するのは身なりだけです。顔なんてほとんど見てません。使用人の格好をしてたら使用人だとしか思いませんよ。王族のわたしが言うのだから間違いないです」
「わたしだって王族だが、顔だってちゃんと見ているよ。そもそもお前は王族じゃない。元王族だ」
「そういうあなたも似たようなものだ」
「言葉をつつしめ!」
「おたがいさまです」
「まあまあ」
エンリーケが仲裁に入りました。
「王子、お気持ちはわかりますが、いつまでも変わらないものはありません。まさかこのままのん気に畑を耕して、作物を育てて収穫を祝って、いずれブリクティーと結婚してこの土地に骨をうずめようなんて考えていたんじゃないでしょうね」
図星を指され、王子は黙ってしまいました。エンリーケが続けます。
半身を起こして、しばらくぼんやりしてからキッチンに降りると、フェルナンデスとエンリーケがすでにテーブルについています。
「おはよう。最近起きてくるのが遅いのね」
ブリクティーが言いました。
「寝覚めが悪くて」
王子はこたえて、テーブルにつきました。
「今日の対戦はいかがでしたか?」
フェルナンデスが声をかけます。
「妙なもので、回を重ねるごとに、だんだん斬れるようになってきた」
「勝ったんですか?」
王子の顔をのぞき込んで、フェルナンデスが言いました。
「矢で射抜かれた」
「油断してはいけません」
エンリーケが真面目な顔で言いました。
「何の話?」
ブリクティーがききました。
「夢の話だ」
王子がこたえました。
ブリクティーは一瞬あきれた表情を浮かべ、食器を並べ始めました。
「矢が来たらどうしようもない」
「剣ではじき返せばよいのです」
造作もないといった感じで、エンリーケが言います。
「わたしの投げナイフで練習してみるかい?」
いつの間にか、王子の後ろにおばあちゃんが立っていました。
「……おばあちゃん、心臓に悪いよ。今日はどうしたんですか?」
「孫といっしょに城に行くのさ」
おばあちゃんが椅子に腰かけながら言いました。
「ああ、おばあちゃんも家政婦として雇われたんですね」
フェルナンデスが言いました。
「家政婦なんてやるもんかい。わたしは占いに行くんだよ」
「いろんな才能がおありで」とエンリーケ。
「そうそう、あのね」
ブリクティーがスープをついでまわり、いったん言葉を切ってから続けました。
「お城で料理人をさがしてたんで、あんたたちを推薦しといた」
スープを飲みかけていた王子はフリーズしました。
「祭りのときの料理、すごく美味しかったから。それに畑仕事だけじゃ、ろくにお金にならないでしょ。広くてさ、きれいな部屋を用意してもらえるらしいよ」
「住み込みなのかい?」
フェルナンデスがスプーンを置いて言いました。
「そうよ。でなきゃ三食提供できないじゃないの」
「畑の収穫は?」
ようやく王子が言葉をしぼり出しました。
「誰かに手伝ってもらうわ」
「睡眠には、記憶を定着させるはたらきがあるとか」
エンリーケが言いました。
「不安は恐怖反応なんだ。恐怖は記憶力を増強させる。不快な出来事ほどよく覚えているのはそのためだ。危険な目にあったことを簡単に忘れてしまったら自然界では生きていけないからね。つまり恐怖には記憶を定着させる効果がある。ゆえに睡眠時には記憶が強化されるというわけだ」
フェルナンデスがエンリーケに向かって得意げに語り、エールを飲み干しました。
「そういえば睡眠をはく奪されると記憶障害が生じるときくな……そんなことよりわたしは悪夢を見たくないのだが、どうしたらよいのだろう」
「戦って、勝てばいいんですよ」
エンリーケがりんごをひとかじりして言いました。
「いつも戦おうとはしているんだ。まあ夢だからな。そう上手くはいかんよ」
「王子は実戦の経験はおありで?」
エンリーケがききました。
「わたしは人を斬ったことがない。剣術の訓練はほどこされているが」
「王族が受ける訓練など初歩の初歩ですよ。わたしはエンリーケから本格的な剣術を学びました。人を殺せる剣術をね。いざというときに備えて王子にも身につけてほしいのですが、潜伏中の身でおおっぴらに剣術の訓練をするわけにはいきませんからね」
「剣術が使えないレベルなら仕方がない。くわで戦うさ。くわ使いなら筋金入りだ」
「たしかに」
王子とフェルナンデスが顔を見合わせて笑っていると、エンリーケが真顔で、「そのうち倒せるようになりますよ」と言いました。
また湖畔か。
そしてまたしても霧が濃い。
王子は気配にじっと耳をすませます。
横だ。
腰から剣を瞬時に抜き、斬りつけました。
血しぶきがあがりました。
兵士が剣を取り落とし、ふらつきながら前に倒れました。
王子は脱力して兵士を見下ろしました。
そこに、数本の矢が飛んできて、王子の身体をつらぬきました。
そんな馬鹿な。
王子は湖に沈みました。
霧の立ち込む湖畔。王子が剣をかまえ、瞑想するかのように目を閉じて立っています。
背後から来る。
王子は剣を振りかぶり、振り向きざまに斬り下ろしました。
剣は空を切りました。王子は一瞬固まりました。
脇腹から血がしたたっています。
横からだったか。
王子は剣を持ったまま倒れました。
また殺される夢だ。このところ毎日だな。
王子はベッドから起き上がると、キッチンに降りて顔を洗い、寝室に戻ってフェルナンデスとエンリーケを起こしました。畑仕事に出るのです。
「わたしたち、もう地元の農夫にしか見えませんね」
フェルナンデスがくわをふるいながら、王子に言いました。王子も休みなく、くわをふるい続けます。
「お二人とも精が出ますな」
くわに寄りかかり、あくびを噛み殺しながらエンリーケが言いました。
「居候の身だ。貢献しないと。それにここで採れる野菜は美味いんだ」
王子が額の汗をぬぐい、あたりを見渡して言いました。
「そんなに差があるものですかね」
「そりゃあるさ。土地土地で土の質は違うからな……さあ、日が高くならないうちに、全部耕すぞ」
エンリーケがやる気のない感じで土を引っかき始めてからしばらくすると、ブリクティーがバスケットを持って現れました。
「王子、朝食が来ましたよ。休憩しましょうや」
エンリーケが言いました。
「いっしょにどうだい?」
王子がブリクティーに言いました。
「仕事があるから戻らないと。いま、お城の家政婦をやってるの」
ブリクティーの後ろ姿を見送りつつ、王子はバスケットの中身を広げました。
「最近、殺される夢をよく見るんだ」
王子はパイをエールで流し込み、少し黙ってから切り出しました。
「夢は無意識の反映と言いますからな」
エンリーケがサンドイッチを頬張って言いました。
「なあに、追っ手が来たら、わたしとエンリーケが何とかしますよ」
フェルナンデスがエールを飲みながら、のんびりとした口調で言いました。
「何とかねえ」
王子はそう言って、空を見上げました。
「外部刺激がシャットアウトされると、情動脳が活性化され、不安が起こります。睡眠時に見る夢のほとんどがあまりよいものでないのはそのためらしいです」
フェルナンデスが言いました。
「早く大人になりたい時期だったんでしょうか」
王子が空中を見つめ、つぶやくと、老婆は手の甲で口元をぬぐい、「無知のなせるわざだよ」と言いました。
「この子は両親とも幼いころに亡くなっててね。ほとんどわたしが育てたようなもんなんだ。思春期前に大人の怖さを教えておくべきだったんだろうけど、わたしはそれをしなかった。きっといつまでも子ども扱いしていたかったんだね。赤いずきんをプレゼントしたのも無意識に背伸びするのを牽制しようとしていたからかもしれない。でもあのずきんをかぶっていなかったら見つかっていなかったからね。……あんた、この子に気があるのかい?」
「そんなつもりでは」
老婆は娘の髪をなでながら、「子どももいるしね。遊びでつき合ったら承知しないよ」と言って、ホルダーからナイフを抜き、ちらつかせてから娘を揺り起こして立たせ、帰りました。
王子がワインをつごうとすると、デキャンタは空になっていました。王子は首を左右に振って立ち上がりました。
キッチンに入ると、フェルナンデスとエンリーケがテーブルをはさみ、差し向かいで飲んでいました。
「娘とは上手くいきましたか?」
王子に気づくと、フェルナンデスとエンリーケが同時に言いました。
「邪魔が入ってね。先に婆さんが連れて戻ったの、わからなかったか?」
「いえ、わかってました」
フェルナンデスがにやにやしながら言いました。エンリーケも、笑いをこらえている様子です。
王子はフェルナンデスからカップをひったくると、手酌で蒸留酒を立て続けに何杯もあおりました。
狼が赤ずきんをベッドに押しやりました。中年男がガウンを脱ぎました。赤ずきんはもちろん恐怖で抵抗することができません。
中年男がずきんをゆっくりとずらし、髪にふれました。
と、次の瞬間。
赤ずきんの膝元に、前のめりに尻を突き出すようにして、中年男がくずおれました。
尻にナイフが刺さっていました。
「孫から手を離しな!」
赤ずきんが我に返ると、ナイフを手にしたおばあちゃんが、カーテンを背にして立っていました。
「……もう離してるよ」
中年男が痛みに身もだえして尻を上げ、股間があらわになったところにおばあちゃんは、とどめとばかりにさらにナイフを投げつけました。
中年男が動かなくなりました。
「婆さん、生きて帰れると思うなよ」
おばあちゃんが声のするほうに顔を向けると、狼が奥から剣やら棍棒やらを持った用心棒らしきを四、五人したがえて出てきました。
「かかれ!」
狼の号令で、用心棒らしきがおばあちゃんに一斉に襲いかかりました。おばあちゃんは冷静に、ひるむことなく次々とナイフを投げつけます。
ナイフは見事、用心棒らしきの股間をとらえます。全員ばたばたと床に倒れました。
狼は呆然と立ち尽くしました。
「あんたもやられたいかい?」
おばあちゃんが狼のそばに歩み寄り、狼の鼻先にナイフを当てて言いました。
「いえ、遠慮しときます」
「孫を連れて帰るけど、いいね?」
「はい」
おばあちゃんに手を引かれ、小劇場をあとにすると、赤ずきんはほっとして、涙をあふれさせました。
「おばあちゃん、あの人たち大丈夫?」
赤ずきんは泣きながらおばあちゃんにたずねました。
「あんなやからの心配なんかしてどうするんだい。安心しな。急所ははずしてある」
「どう見てもあれは急所だよ。……どうしてわたしのいる場所がわかったの?」
「わたしの孫らしい赤いずきんをかぶった娘が狼といっしょにいたって、知り合いの猟師が知らせてくれたんだよ」
わたしが猟師だったら、不審に思った時点で声をかけて助けていますがね。
猟師はその狼に多額の借金があって、返済が滞ってたから手が出せなかったのさ。
めでたしめでたし。
話し終えると、老婆は喉が渇いたらしく、デキャンタにじかに口をつけ、ワインを流し込みました。
赤いずきんをかぶった少女が、繁華街を歩いていました。普段、まわりからは赤ずきんと呼ばれているので、ここでも赤ずきんと呼ぶことにしましょう。すると、赤ずきんの前に狼が現れました。
「すみません。少しお時間いいですか? ちょうど君みたいな感じのオリエンタルな雰囲気の女の子をさがしてて。僕、こういう者です」
そう言って狼は赤ずきんに名刺を渡しました。赤ずきんは一瞬警戒しましたが、名刺を見ると、赤ずきんも知っている大手の芸能事務所だったので、話をきくことにしました。
「すでにどこかの事務所に入ってます?」
「いいえ、入ってないです」
赤ずきんは、はしゃぎたくなる気持ちをこらえながらこたえました。
「よかったー。あ、そうだ。あのね、いま近くの劇場に、モデルのヴィクトリアがプライベートで遊びに来てるんだけど、会いたくない?」
狼が優しい口調で言いました。ヴィクトリアといえば、人気の海外セレブです。赤ずきんの心は揺れました。
「うーん、どうしようかな……おばあちゃんちにおつかいに行く途中だし」
「一生に一度、あるかないかのチャンスだよ。僕も会うのは今日が初めてなんだ。ね、行こうよ」
赤ずきんはうなずいていました。
狼に導かれ、ひと気の少ない通りに入ると、さびれた小劇場が見えました。
セレブが来るにしてはみすぼらしい建物だなあ、なんて思いながらも、狼にしたがって狭い階段を上がります。
狼がカーテンを開けると、白いガウンをはおった色の黒い肥満した中年男が、ベッドのはしに腰かけているのが目に入りました。
赤ずきんはやっと、騙されていたことに気づきました。
「あの、わたし、帰ります」
「すぐすむから。ちゃんとギャラは出るよ」
そう言って狼が中年男に目くばせすると、中年男がベッドから立ち上がって赤ずきんに近づき、「痛くしないよ。おじさんはプロだからね。怖くない。怖くない」と言いながら手を伸ばして、頬をなでようとしました。
赤ずきんが後ろに退きました。すると、間髪をいれずに狼が肩に手を回し、耳元でささやきました。
「上をごらん。観客を待たせてるんだ。ほら」
見上げると、バルコニー席に貴族らしい身なりの紳士たちが、退屈しきった表情で座っていました。
「さあ、ショータイムだ」
アンドロメダは笑わないさん、レスありがとうございます!
さらに面白くなるよう頑張りますっ!
「昨日の夜、子どもを連れて帰ってきたばかりよ。出戻りなの」
ワインをひと口飲んでから娘がこたえました。
「その若さで子どもがいるとは」
「このあたりはみんな結婚が早いのよ」
娘がため息をつきながら言いました。
「自己紹介がまだだったね。わたしはフィリップだ」
王子はそう言って握手を求めました。もちろん偽名です。
「ブリクティーよ。おばあちゃんが東洋系なの。……料理が上手いのね。コックなの?」
「見よう見真似だよ。子どものころ、よく厨房に出入りしてたんだ」
「へえ。お母さんが料理好きなんだ」
「母は生まれてから一度も料理などしたことはない」
「えっ? じゃあ誰が作るの?」
「そりゃもちろん……いや、その……おばあちゃんはまだ健在なのかな?」
「あなたの後ろにいるわ」
「そうか……うわぁっ!」
王子が振り返ると、老婆がペティナイフを指先でくるくる回しながら立っていました。
「おばあちゃんはナイフ投げの達人なの。サーカスにいたんだって。わたしを狼から助けてくれたこともあるんだ」
とろんとした目つきで娘が言いました。
「そのエピソード、ききたいね」
王子は動揺をしずめるために、ワインを一気に飲み干しました。
「おばあちゃんから直接きいて」
娘はそう言うと、膝を抱えて突っ伏してしまいました。
老婆がナイフを腰のホルダーに納めて娘のそばに座り、語り始めました。
「十二のときだったかね。この子はわたしにパイを届けようとしてた。お気に入りの赤いずきんをかぶってね」
「嫌いだったわ。野暮ったくて。でもおばあちゃんの手作りだから、おばあちゃんちに行くときは、しぶしぶかぶってた」
娘が膝に顔を突っ伏したまま言いました。
「そうだったのかい。みんなから赤ずきんて呼ばれてにこにこしてたのに」
「あのあだ名ほんとに嫌だった。でもおばあちゃんのご機嫌とるためにがまんしてたの。おこづかいくれたから」
「あまり酒は強くないようだね」
「疲れてるの。長旅と……祭りの準備で……」
「いちいち話の腰を折るんだったら、さっさと寝ちまいな」
「おやすみなさい」
娘は眠ってしまいました。
「お前は誰だ」
王が小人に言いました。
そこはフェルナンデスがもう話したよ。
失礼。王と小人は山を越え、ふもとの洞窟に入りました。
「何と礼を言ったらよいか。望みは何だ」
仰臥し、天井を見ながら王が言いました。
「あなたの潔さに感動しました。家来にしてください」
王は少し考えるような顔をしてからこたえました。
「家来はもうこりごりだ。いつ裏切られるかわからない。お前を雇うことにしよう」
「賃金は」
「応相談だ」
「どこかに隠し財産でもあるんですか?」
小人が身を乗り出しました。
「ないよ。文なしだ」
「でしょうね」
「とりあえず当分無給だな」と言って、王は笑いました。小人もいっしょに笑いました。
エンリーケがひと呼吸おいて、「その小人がわたくしです」と言いました。
「わざわざ言わなくてもわかるよ。……フェルナンデス、じゃがいもを切ったら鍋に入れてくれ。エンリーケ、余ったキジ肉で何か……」
王子が言いかけたところで、ドアが開きました。
「料理はまだなの? 早くしてくれないと日が暮れちまうよ!」
黒髪の若い娘が、キッチンに入ってきて言いました。
「もう少々お待ちください。しびれるくらい美味しいのを作ってますので」
王子が娘に言いました。村に来て初めて見る顔でした。
「森の神祭りはこの村の一大イベントなんだからね。あんまりのんびりやられたら困るんだ」
娘が王子を見上げて言いました。
「かしこまりました。全力を尽くします」
王子はそう言ってとびきりの笑顔を見せました。すると娘は、ちょっとどぎまぎした感じになり、「デザートも頼むよ」と、もしょもしょ言って出て行きました。
エンリーケが、ひゅーっと口笛を吹きました。
「王子に惚れましたね」
フェルナンデスが、大鍋から顔を上げずに言いました。
夜になりました。巨大な焚き火の周りでフェルナンデスとエンリーケがフィドルの伴奏で村の若者たちと踊るのを、王子がやや離れた所から眺めていると、あの若い娘が、カップをふたつとワインの入ったデキャンタを持ってやってきて、王子の隣に腰を下ろしました。
ワインのつがれたカップをもてあそびながら、「おとといはいなかったね」と、王子がききました。
明日に続く。
小人はそう言うと、王をかつぎ、パニックに陥っている群衆を剣で威嚇しながらかき分け、進んで行きました。
「それがお前というわけか」
ペティナイフでじゃがいもの皮をむきながら王子が言いました。
「そうです」
フェルナンデスが大鍋をひしゃくでかき回しながらこたえました。
「いままできいたなかでナンバーワンの武勇伝だ」
「多少の脚色はありますが」
「だろうね」
フェルナンデスの隣ではエンリーケがキジ肉をさばいています。
隣国の、とある村に潜伏して三日目、持ち前のコミュニケーションスキルですっかり地元に馴染んだ三人は、祭りの準備を手伝っているのでした。
「つまりお前もわたしと同じような目にあっているわけだ」
「そういうことになります」
「そんなことよりお前、わたしより身分、上じゃないか」
しゃべりながら王子は、かごいっぱいのじゃがいもを次々と裸にしてざるに移していきます。
「そんなでもないですよ……それにしても王子のナイフ使いは見事ですね」
「剣もナイフも同じ刃物だ。理屈はいっしょさ……家族も、殺されてしまったのだろうな」
「妃も、子どもも、王室の関係者はわたしを除いて一人残らず殺されました」
「お前の話をきいていると、自分の身に起きたことなど大したことではないように思えてくるよ」
王子はそう言って皮をむく手を止め、こりをほぐすように首を左右にひねりました。
「王と王妃はお気の毒です」
「生まれてからほとんど接することがなかったとはいえ、親は親だからな」
皮むきを再開して王子は言いました。
「どの王族もそんなものなのですね」
「うむ……話の続きをきかせてくれ」
王子がうながすと、エンリーケがキジ肉を大鍋にぶち込みながら、「続きはわたくしが引き受けましょう」と言いました。
「蛙には寄生虫がついてるってきいたことがあるけど大丈夫かしら」
「ご心配なく。わたしはそこいらの不衛生な蛙とは違います。では、取引成立ってことで」
さて、この若い娘、さる大国の姫だったのです。人間の姿に戻った王子は、姫と結婚して王となり、めでたしめでたしかと思いきや、近隣諸国との外交、戦争、飢饉の対策などで精根尽き果て倒れたところに軍事クーデターが勃発。処刑されるはめに。
「安心しろ。苦しまずに死なせてやる。この執行人は優秀だ。瞬時に首をはねるから痛みを感じる暇はない」
後ろ手に縛られ、断頭台の前に進んだ王に将校が言いました。
「そんな気づかいは無用だ。苦しんで死ぬのは生きた証。死ぬ心がまえは常にできている。昨今の安楽死の風潮にはうんざりだ」
王のセリフをきいて、群衆からどよめきが起こりました。
「なんというタフガイだ」
将校がつぶやきました。
屈強そうな執行人が王の首根っこをつかみ、断頭台にのせ、首かせをはめようとしました。
「首かせなどいらぬ」
王は言って、目を閉じました。格好をつけながらも、蛙のままでいればよかったな、なんて思いが頭に浮かびました。
再び、群衆からどよめきが起こりました。
今度は悲鳴もまじっていました。
同時に、生温かいものが、背中に降り注ぎました。
目を開くと、地面は血の海です。
首を斬られたあとも、しばらく意識があるという噂を耳にしたことがあるが、本当だったのだな。
王は感心してうなずきました。
いや、待てよ。もし斬られたとするならわたしの首は地面に転がっているはず。それなのに目線が変わっていない。しかもうなずいているではないか。
王は顔を上げました。執行人の首がありませんでした。
どうと執行人が後ろに倒れた直後に、ひゅんという風切り音がしたかと思うと、手首が自由になりました。
何が起きているのだと考えをめぐらす間もなく、何者かにぐいと背中をつかまれ引き起こされます。
血まみれの剣を持った小人でした。足元に、やはり首を斬られた将校と部下の死体が転がっています。
「お前は誰だ」
王が小人に言いました。
「あなたの言葉に心を打たれた者です。さあ、さっさと逃げましょう」
「攻撃は最大の防御。立ち向かいましょう。背中を向けると、かえって攻撃を誘ってしまう。人間、本能的に、正面から立ち向かってこられると、すくんでしまうものです。楽勝ですよ」
フェルナンデスはそう言いながら剣を抜きました。
「うちの兵士は特別な訓練を受けているエリートぞろいだ。そんな簡単にいくかな」
「そうですね……エンリーケ、十時の方向に一人、十二時の方向に三人、二時の方向に二人だ!」
フェルナンデスが言い終わらぬうちに小人が背中から弓矢を取り出してかまえ、続けざまに六発放ちました。
順番にうめき声があがったあと、それぞれ地面に倒れる音がしました。
「うそー」
王子が思わず言いました。
「わたしもエンリーケも夜目がききます。夜が明けきらぬうちにどこかの村に身を隠しましょう」
フェルナンデスは剣を納め、すでに歩き始めている小人のあとに続きました。
「フェルナンデス」
王子がフェルナンデスの背中に向かって言いました。
「はい」
「お前は何者なのだ」
フェルナンデスが立ち止まり、振り返って言いました。
「そんなことより王子、そろそろ立ってください」
ある小国の王子が、悪い魔女の魔法によって、蛙の姿に変えられてしまいました。魔法を解く方法はただひとつ、若い娘にキスしてもらうこと。
蛙にキスしてくれる若い娘なんてどこにいるんだよ。途方にくれて湖のまわりをぴょこぴょこしていると、鞠をついて遊んでいる若い娘を発見しました。普通の頭脳の持ち主だったら駄目もとでストレートに切り出すところですが、そこは腐っても王子、とっさに思いついたプランを実行することにしました。
「ちょっと君、可愛いねえ!」
「わあっ、びっくりしたあ。……あれ? いま、ぼちゃんって……あ、湖に鞠が」
「おやおや。風に吹かれてあんな遠くまで」
「どうしよう。お父様におねだりして買ってもらったばかりの鞠なのに」
「そりゃあ、お父様に怒られるでしょうなあ」
「あっ、どーしよー、どーしよー」
「ご心配なく、わたしはごらんのとおり、蛙です。あんなもの取ってくるのは朝飯前」
「ほっ。よかった」
「しかしですなあ。ただで取ってくるってわけには」
「わたし、何をすれば?」
「キスしてください」
「キスですか?」
「はい。キスです」
王子と従者は、野宿するのに適当な場所を求めて歩き出しました。
「あれはいったい、何だったんだろう」
王子が、ひとりごとのように言いました。
「森の神の戯れでしょうね」
「ところでほかの従者はどうしたのだ」
「王子をさがすために捜索隊を編成すると言って城に戻りました。……あの大木の下に入りましょう」
従者が火をおこし、パンとチーズの簡単な食事を用意します。
革袋のワインを飲みながら、「そういえば名前をきいてなかったな」と、王子が言いました。
「フェルナンデスです。……その、本気で斬ろうとしていたんですか?」
「まさか。無駄な殺生はしないよ。撹乱して逃げようとしたんだ」
「それをきいて、ほっとしました」
「王室の領土内の住民だと思えばね。王国の住民は国の宝だ」
「素晴らしい。……このまま捜索を続けるつもりですか? ミイラ取りがミイラといった状況なのですが」
王子は焚き火の炎に目を落とし、しばらく考え込むような表情になってから言いました。
「城に帰ろう。娘のことはあきらめるよ。いつまでも恋にかまけてはいられない。お前のように忠実な従者のためにも、しっかりしなくては。隣国の王の三女に、ブスだが気立てのいい姫がいるから、そいつをもらうことにしよう」
「行きすぎた合理主義は魂を蝕みますよ」
「仕方がない。それが国民のためだ」
そう言って王子が炎から目を上げると、フェルナンデスの背後の暗闇から、さっきの小人のなかのよくわからない奴の姿が現れるのが見えました。
「酔っているのかな……それともさっきの幻の続きか……小人がお前の後ろにいるようなんだが……」
王子がそう言うと、フェルナンデスは振り返らずにこたえました。
「彼はわたしが個人的に雇っている秘書です。彼はどんな場所でも潜入できるという特技がありまして、王子の居場所も彼が教えてくれたのです」
小人がフェルナンデスに近づき、何やら耳打ちしました。フェルナンデスの表情がこわばりました。
「王子」
「どうした?」
フェルナンデスが周囲を警戒するように立ち上がりました。
「城にはもう戻れません。従者たちがクーデターを起こしたそうです。王と王妃は暗殺されました。しかも追っ手が数名、もう近くに来ています」
「まじか?」
「はい。まじです」
「じゃあ、逃げないと」
王子は眉をひそめてリーダーらしきに言いました。すると、リーダーらしき(もう面倒だからリーダーね)は咳ばらいをしてから、「この娘は白雪姫と申します。いま毒を盛られて、昏睡状態にあるのです」と、こたえました。
「死ぬのか?」
王子が娘に視線を戻して言いました。
「このまま何の処置もしなければ死んでしまいます」
リーダーが言いました。
「処置とは?」
やや間があってから、小人たちが全員声を合わせてこう言いました。
「王子様のキスです!」
「……なるほど、それでわたしに目をつけたというわけか」
王子は考えるようなポーズで言いました。
「お願いします。キスしてあげてください」
広報担当っぽいのが言いました。
「ほんのちょっと、ちゅってするだけでいいのです」
評論家っぽいのが言いました。
「キスしてあげてよ~」
よくわからない奴が言いました。
王子は助けたい気持ちはやまやまでしたがためらいました。庶民の娘とキスをすると──シンデレラは庶民のカテゴリーに含まれていないようです──全身に赤いぶつぶつができて死んでしまうときいていたからです。
「とりあえず城に戻って、相談役の意見をきいてから決めさせてもらうよ。ではこれで」
王子はそう言って踵を返し、出て行こうとしました。
「そうはいきません」
リーダーが、王子の前に立ちふさがりました。またげるくらいの背丈なので、立ちふさがるというのは言いすぎかもしれませんが。
「そこをどけ」
「嫌です。キスするまでどきません」
「そうか、なら仕方ない」
王子は剣を抜いてリーダーに突きつけました。だがしかし、リーダーは平然とした顔で微動だにしません。
緊張した空気が小屋のなかに満ちてぱんぱんになりました。
王子が剣を振り上げました。
と、そのとき。
「王子!」
従者が現れました。
「剣をお納めください。斬ってはなりません。あなたが斬ろうとしているのは、森の神です」
「神⁉︎」
いつの間にか、小屋も、娘も、小人たちも消えていました。
この続き読みたいかたいらっしゃいますか? レスの数が10超えたら続けます。ああいや、10は集まりそうだから20にしましょう。おほほほほ。
新しい作品ってこれのことでしたか!結構面白いじゃあないですか。しかし20レスですかー…。なかなかどうして自信家じゃあないですかw?来るといいですね。僕もこの続き気になります故。
日が落ちかけてきました。
「森のなかで野宿か」
ぼそり、王子がつぶやくと、小人が数名、大木のかげから現れ、王子を取り囲みました。
「何だ、お前たちは」
王子が威厳のある重々しい口調で言うと、小人のなかのリーダーらしきが口を開きました。
「もしよろしければ、わたくしどもの店で休憩していきませんか? このすぐ近くなんですが」
王子は、渡りに船だと思いましたが、顔には出さず、「どんな店なの?」と、一応きくだけきいてみようみたいな感じでたずねました。
「古民家を移築した落ち着いた雰囲気の店内には四人がけテーブルが三卓のみ。メニューはなく、その日仕入れた旬の素材を客に見せ、選んでもらった材料で即興で作るイタリアンは舌の肥えたセレブをうならせます」
リーダーらしきの隣の、広報担当っぽいのが言いました。
「料理はもちろんだが、店主のもてなしを大事にする精神がいい」
その隣の、評論家っぽいのが言いました。
「たまに猿が来る」
その隣の、よくわからない奴が言いました。
「いかがでしょう」
リーダーらしきが言いました。
「よかろう」と、王子は言いました。
小人たちについて行くと、丸太小屋が見えました。ランプのあかりが、よさげな雰囲気を醸し出しています。
小人たちに案内されるまま奥に行くと、色白の美しい娘──シンデレラより美しいかどうかは好みの問題ですね──がクイーンサイズのベッドに仰向けで寝かされているのが目に入りました。
「これはどういうことだ?」
むかし、シンデレラという名の、不幸な生い立ちの娘がいました。いつものように家事労働を終え、テラスでぼんやりしていると、魔女が現れました。さあさあお嬢さん、舞踏会に出かけるよ。
豪華な装飾、長身でイケメンの王子とのダンス、ウィットに富んだ会話、初めて飲むお酒。それらすべてにうっとりとし、ぼうっとなっていると、十二時の鐘が鳴り響きました。シンデレラは我に返り、再びダンスに誘った王子の手を振りほどいて城を飛び出しました。
舞踏会の途中であわてて城を飛び出した美しく、気のきいた娘のことが忘れられない王子は、片方だけのガラスの靴をたよりに国内をさがしまわりました。
果たして、あの夜の娘は見つかりませんでした。それもそのはず、シンデレラは舞踏会の二日後、地主に見初められ、結婚していたのです。
育児と家事労働に追われる日々。シンデレラはときおり片方だけのガラスの靴をクローゼットから取り出して磨き、楽しかった一夜の思い出にひたるのでした。
腰に剣を携えた青年が一人、深い森のなかを歩いています。シンデレラを捜索中の王子です。どうやら従者とはぐれてしまったようです。
長いこと一人で暗く、静かな森のなかを歩いていた王子は、マイナス思考のループにはまりかけていました。ある研究者によると、孤独になり、外部刺激がシャットアウトされると、情動脳が活性化され、不安やイヤーワームが起こりやすくなるのだとか。
なぜちゃんとわたしをサポートしていないのだ。城に戻ったら全員斬首刑だ。と、王子は一瞬考えましたが、思いなおしました。従者、従業員は奴隷ではない。そもそも王子ともあろうこのわたしが、従者とはぐれてしまうなど、あってはならないことなのだと。さすが一国の王子です。
面白い展開になりましたね!
読んでて楽しいです!