暖かい拍手、なんて、うそだった。
「失敗しても一生懸命やれば、大丈夫」
そう言う彼女たちは、みんな、失敗を知らなかった。
「失敗を怖がるな」なんていっても、失敗を恐れなければ
あの、糸をピンと張りつめたような緊張感は、味わえない。
固唾をのんで見守る観客
古ぼけたテントの外の闇
私だけを照らす一筋の光
それらが集まって初めて、私は「玉乗りのグレース・ケリー」になれる。
本物のシンデレラと呼ばれるグレース・ケリー。
彼女は失敗を恐れていたのだろうか。
とにかく。
私は、今を生きるだけ。
ほら、拍手が聞こえる。
ただ、胸を張って玉の上で美しく踊ればいい。
天から差し込むスポットライトを浴びて。
もう手の届く距離にあるのに、手を伸ばせなかった。重い鉄の輪がはめられているように、指一本動かせない。腕を引きちぎって、口にくわえてでも手に入れたいと思った、あの栄光。一番になるには、ライバルたちを蹴落とし、それを踏んででも優雅に歩かなければいけない。
トップに立つことは、決して容易ではない。立ち続けるのは、もっと難しい。そう思っていたけれど。「トップ」というステージに立って分かった。猛獣使いを目指す少女は星の数ほどいる。その中で「猛獣使いのアンデルセン」を襲名できるのは、たった一人。その「たった一人」になればいいのだ。1度そのステージに立てば、スポットライトの方が私を追ってくれる。私はただ、獣たちと戯れて、悲鳴のような歓声を浴びればいい。
スポットライトの下でなら、私の最も美しい姿で死ねる。それが、今の目標だと思った。
口笛と拍手が近づいてくる。
カッコいい‼️
私が少しメロディを奏でるだけで
涙を流して喜んでくれる人達がいる。
私が居酒屋であの歌を口ずさめば
コインを投げてくれる人達がいる。
サーカスの中で一番歌がうまかったから。
ただそれだけのことなのに
なぜこんなにちやほやされる?
私は聞かせたいわけではないのに
なぜ歌うだけで拍手が起こる?
本当は、誰にも聞かれたくなかった。
私がメロディに心をのせて歌っているところは
誰にも覗かれたくない。
心を覗かれるのはなによりも苦しい事だから。
私が1人になれるのは
心の中だけのはずだったのに。
それでも私はこのテントの中で唄う。
埃と蜘蛛の巣で霧のかかったテントで。
私の心は
貴方に届いていますか?
そのために歌っているのだから。
私が唄を聞かせたいのは
どこかにいる貴方だけ。
それでも私は拍手をもらう。
この大きな拍手だけでも
貴方に届いていればいいと願いながら。
「生きていてよかった」「即死となりうる状況だったんだよ」
「もう、綱渡りは無理だけど……」そのあとの言葉を続けられる者は、誰もいなかった。
「本当に、運がよかった」本当に運が良ければ、こんなことにはならなかった。
あの日、私は「綱渡りのサン=テグジュペリ」の名をもらった。猛獣使いのアンデルセンと共に、ライバルたちからの、痛いほどに冷たい拍手を受けた。
私は今、幸せの絶頂にいるのだと思った。襲名できなかった者たちの視線の矢でさえも、心地よく思えた。でも、人生はそう簡単なものではないらしい。
真夜中に、私たちの瞭の部屋が燃えた。私は、ルームメイトで唯一の生き残りだった。
理事長は、私を気の毒そうに気遣ってくれた。優しい言葉の方がきつく刺さるのだと、初めて知った。
綱渡りは、我らがサーカスの花。美しい者のみが、その名を名乗れる。私のサンテグジュペリ人生は、一日足らずで終わった。顔の右半分が、ひどいやけどを負った。よりによって、観客の方を向いた右側。私は、見た目で役を下ろされるような、こんなサーカスにあこがれていたのか、と自分に落胆した。
今、私は、二位の実力を持った「サン=テグジュペリ」の前座を務めている。
顔を隠す、ピエロの仮面をかぶって。
屈辱的だと思った。新たなサン=テグジュペリ」を、呪ってやりたいと思った。でも、現に今、私はジャグリングを披露している。心なしか冷やかしに聞こえる拍手を背に、ステージを後にする。
サン=テグジュペリ」が私と入れ替わりにステージに立つと、大きな歓声が上がった。私はそっと、三面鏡の前でピエロの仮面を外す。醜いやけど跡に自然と目が行く。思わず化粧台を思い切り叩いた。
「誰が 助けてくれと 望んだ!」
なぜ、あのまま死なせてくれなかったのだろう。それは、人間の優しさであり、醜さなのだろうか。
それらしい表情で
「音が外れているので直してくださいな」
という貴婦人。
わざと少しずらしたままにしたら、
「まあ、やっと治りましたわ」
だそうです。まあ、僕は完璧な音は嫌いなのですが。
人々は、不協和音をなぜか嫌います。自分の「音」が外れることを恐れ、その「音」を封印してダレカの「音」に合わせます。
本当は苦しいのに、その感情さえもねじ込めて感じなくします。
本当は、この世の中は不協和音だらけのはずです。全く同じ人間など、いるわけがないのですから。
調和することに何の意味があるのか、僕にはわかりません。ダレカと全く同じになりたいのでしょうか。
まわりに合わせることで安心感を得て、はずれた「音」を指さして嗤い、優越感を手に入れて満足する。でも誰でも、心のどこかに引っかかっているのです。
この優越感を得るのと同時に、罪悪感に心をくいむしられ、
安心感を抱くのと同時に、何かへの不安を覚えている気がしてならないと。
物心ついた時から、僕はナイフを握っていた。
蝶々結びのやり方より先に、ナイフの投げ方を教わった。父は、元・サーカス小屋1の人気者ー"前・デュマ"だ。
僕は、まだ歩くこともままならない頃から、父の後を継ぐ、素晴らしいナイフ投げになることを誓わされた。「1番」というレッテルを貼られて一生を生きることになったのだ。
ただシールで貼られただけだった「1番」は、今ではしっかりと焼きごてで焼き付けられている。
僕は目隠しをしたバニーガールに向かってナイフを投げるたび、涙を流す。みんなはそんな僕を、失敗を恐れる弱虫だと軽蔑する。でも僕は、失敗なんか怖くない。僕が恐れるのは、あの娘が本当は恐い思いをしているのでは、ということだ。だって、自分の身体スレスレにナイフを投げつけられるのだよ?
このサーカス小屋は外とは違う世界だ。
法律も憲法も通用しない。
歌姫もピエロも調律師もいるけど、天国なんかじゃない。
僕は、デュマの息子。所謂ボンボン。
1番人気の父の名を襲名できたのは、父が体を壊して長期療養に入った時期に、たまたま僕が義務教育を終了して、たまたま父の弟子がいなかったから。
本当に、たまたま。運ゲー甚だしい人生。そんなもんだろ。
「お願いだから、ここにいて」
「ひとりにしないで」
そんなセリフ、もうとっくに聞き飽きた。独りになりたくなくて、「みんな」に入りたいと願う人々は、その境界線に立ち尽くしていた私をマジョリティーに引きずり込み、自分の味方として背後にはり付けた。
こんなに小さなサーカス小屋の中でも、格差は激しい。偉人の名を襲名した者には、絶対的な権利があった。だから、”クレオパトラ”である私もみんなの上に立つべきなのだけど、周囲が、空気が、それを拒んだ。
私も特に抵抗せず、ゆらりゆらりと流されて、この境界まで来た。私自身も、それを望んでいた。
中途半端なくらいが、ちょうどいいのだ。
天井からぶら下がったブランコ。命綱なんかいらない。落ちて死ぬなら、それでいい。私は私の人生を、運命を、そのまま受け入れる。それはきっと、自分自身を肯定することにつながるはずだ。それが例え、絶望を招き、私を不幸に陥れるものだとしても。全部一緒くたに、そっと抱き寄せる。
小さな小さなサーカス小屋。観客は100人もはいれば満員。でもその中で、私は空を飛べる。上を見上げても、見えるのは薄汚れた天井と、大きな照明機材だけ。私は、ブランコに乗れば、見たことのない海にだって潜れる。それは、とても美しいことだ。
世界中を飛び回るサーカス小屋。
街の人を虜にして、熱狂的に狂わせて、私達抜きでは生きられない体にしてから、その地を去る。あれは全部夢だったんじゃないか、と思うくらい突然に、足跡一つ、衣装の糸くず一つ残さず。
一度行った地には、もう二度と行かない。それが私達の唯一のルールだ。これだけを守れば、あとはなんとかなる。外の世界も、そんなもんだろう。
なんとかなるものなのだ。
愛してるわ、ルイス。
その言葉を脳内で君の声に変換するなんて、僕ぐらいにしか出来ないんじゃないかな。それは誇らしいことだ。
「僕も愛してるよ、アリス」
唇と一緒に両手を動かす。我ながら手話も上手くなってきた。
君のあどけない笑顔が咲く。首を少し左に倒す癖が愛おしくてしょうがない。
生まれてこの方ずっと耳の聞こえない娘に、ブランコ乗りを勧めた団長は何を思ったのだろうか。音楽も、カウントも頼れないのに、どうしてよりによってペアでの演技を。
尋ねたことはなかった。「じゃあ、違う人にしようか」と言われる気がして怖かったのだ。彼は簡単に困っている人を拾ってきて、簡単に捨てる。飴と鞭なんて言うと聞こえはいいが、上げて落としているだけなのでタチが悪い。
ルイス・キャロルの名を襲名した時、背の高い団長の影に隠れてやってきた少女はずっと笑っていた。目元を少し緩ませて、口を横に引き伸ばす、お手本のような笑顔だった。
「この子がお前のパートナーだ。互いの命綱は互いが握っている」
彼は無機質な声でそう告げた後、口元だけを意地悪そうに歪ませ、「お前も一度、人を愛してみろ」と笑った。
僕は君から恋を教わり、君は僕から愛を受け取った。ただ耳が聞こえないだけの君は、音だけでなく愛も知らなかった。
100人を超える観客と、十数人のサーカス団員が閉じ込められている薄暗いテントの中。僕らが二人きりになれる場所だった。
空中ブランコに掴まって、君と目を合わせる。その瞬間、僕らは本当に僕らだけになれた気がした。
君の両手を受け取って、二人の体が弧を描く。この重ささえ心地いい。そして次は君が僕を支える。全てを君に委ねる。何も怖くない。
君は僕の手を離した。
午後11時のサーカス小屋、空中ブランコにぶら下がったアリスは声高らかに宣言した。
「私がルイス・キャロルよ」
あれほどはっきりと話す彼女の声は、誰も聞いたことがなかった。静まり返るテントの中、長身の団長だけが口元を歪ませていた。
初期のころから読んでいますが、この文章、いちばん好きです。
ところで13歳のセンスとは思えないのですが、本当に13歳ですか?
本当に女子ですか?
もしかしたら帰国子女?
だからこんなエキセントリックな文章が書けるのかな。
総合して考えた人物像
40代の、外国文学好きなセレブの専業主婦!
スミマセン、もちろん冗談です。