1人そうこぼすナツィを見つめながら、グレートヒェンは不意に口を開いた。
「…私だってそうよ」
ふと、ナツィはちらっと顔を上げる。
グレートヒェンは気にせず話を続けた。
「人々が私に向けるのは、大抵奇異の目か羨望の目だったわ」
そう呟いたグレートヒェンは、後ろの本棚に寄り掛かる。
そして淡々と語り出した。
「…私の家はね、所謂有名な魔術師の一族じゃなくて、細々と代々魔術師をやっている平民の一家なの」
表向きは人里離れた山の中で、猟師をやって生計を立てている家なんだけどね、とグレートヒェンは付け足す。
「でも魔術師としては比較的優秀な部類らしくて、ついでに一族に伝わる特別な魔術があるから、時折父親が依頼を受けては貴族みたいな身分の高い人達の所へ出掛けていったりしてたわ」
グレートヒェンの話に対して、ナツィはふと質問する。
「…お前はその特別な魔術とやらを知ってるのか?」
グレートヒェンはいいえ、と苦笑した。
「あれは一家の長子にしか教えられないらしいわ…私は2番目だしついでに女だから教えてもらえないみたい」
そう言って、グレートヒェンはナツィに向き直る。
「とりあえず、私は比較的庶民的な魔術師の家に生まれた普通の子…になるはずだった」
でもそうはいかなかった、とグレートヒェンは苦笑いする。
「自分にはそんな自覚はないんだけど、私にはかなり小さかった頃から他の兄弟姉妹より魔術の才があったみたいなの」
そう言ってグレートヒェンは話を続けた。
「それに気付いた父親がその気になっちゃって、他の子ども達より色々と魔術について教え込んでしまった」
その結果…とグレートヒェンが言いかけた所で、ナツィはぽつりと呟く。
「…今のように、神童扱いされるような奴になった、と」
まぁそうね、とグレートヒェンは返答する。
「それで片付けられれば良かったんだけど」
グレートヒェンは呆れたように言った。
「風の噂で広がったのか、あちこちの魔術師の間で私の存在が知れ渡るようになったわ」
その内に、とグレートヒェンは話を続ける。
「…私の力を見たい、そう言う魔術師や貴族なんかが私を自らの元に呼び出したりするようになったの」
随分色んな人達の元に行ったのよね…、とグレートヒェンは目を細める。
「著名な魔術師や有力貴族の屋敷、流石に王族に会ったことはないけど、招待されて国外へ行ったこともあった」
わざわざ家に押し掛ける人もいた、とグレートヒェンは笑う。
「でもこんなのは序の口だったわ」
だんだん私そのものを欲しいと言う人も現れてね…、とグレートヒェンは苦笑する。
ナツィは思わずまさか、と呟いた。
グレートヒェンはにやっと笑って、そのまさかよ、と返した。
「自分の専属魔術師にしたい、って人もいたけど、大概は私を自らの一族の一員にしたい、って言う人が殆どだった」
そう言って、グレートヒェンは真顔に戻る。
「平民の出とは言え魔術に関しては非常に優秀だから、一族に優秀な血を加えたいとか、一族に箔を付けたいって言う人達がかなりいたの」
でも皆断ったわ、とグレートヒェンは淡々と言った。
「私が幼過ぎたってのもあるし、両親にその気がなかったというのもあったし」
だけどね…とグレートヒェンは呆れたように続ける。
「殆どの人は、断られても粘り続けてたわ」
大金を積むなり、権益をちらつかせるなり、とグレートヒェンは付け足した。
「それでも断り続けていたのだけど、懲りない人が多くてね…」
グレートヒェンは苦笑する。
「最終的に実力行使に出る人達が出たりしたわ」
あれは本当に酷かった…とグレートヒェンは天井を見上げる。
「脅迫状はまだしも、突然連れ去られそうになった時は流石に参ったわ」
私と間違えて女きょうだいが攫われかけたこともあったわね…とグレートヒェンは呟いた。
グレートヒェンがそう言い終えると、ナツィはふと尋ねた。
「それで…結局お前はどうなったんだ?」
今はそうでもないみたいだけど、とナツィは聞く。
グレートヒェンは目線をナツィの方に向けて答えた。
「私を巡る騒動に耐えかねた私の家族は…私を家族から引き離すことにしたわ」
つい4、5年前の話よ、とグレートヒェンは続ける。
「私は遠くに住む親の知り合いに預けられることになったの」
もちろん、私の家族は私を捨てたって訳じゃないからね、とグレートヒェンは付け足す。
「家族を離れて1人、私は遠い遠い所で暮らすことになったってだけ」
娘と自分達を守るために…ね、とグレートヒェンは微笑んだ。
「まぁ、家族の内の誰かが私の事をよく思っていなくて、自分の傍から排除するためにこんな事をしたのかもしれないけどね」
そう笑った後、グレートヒェンは真顔に戻って話を続けた。
「…そういう訳で、いつしか私は人間をくだらないもの、どうしようもないものとして見るようになってしまった」
どうでも良い事にこだわって、どうでも良い事で大騒ぎする…とグレートヒェンは呆れたように言う。
「…そんな人達にとって、私の気持ちなんてどうでも良い事でしかならなかったのでしょうね」
そう言ってグレートヒェンは冷笑した。
「だから私は人間が嫌い…と言うか、あまり好きになれない」
そういう意味ではお前と同じようなものね、とグレートヒェンはナツィの方を向いて言った。
ナツィは、そうかい、とだけ答えた。
「…じゃあ、何でお雇い魔術師なんてやってるんだよ」
人間が嫌いとか言ってる癖に、とナツィは嫌みたらしく聞く。
それは…とグレートヒェンは面倒臭そうに口を開いた。
「そうでもしないと生きていけないからよ」
一応私も人間だしね、とグレートヒェンは答える。
「あと、あちこちを転々としていた方が、私を追う者達を少しは撒くことができるでしょう?」
一応拠点になる場所も時々変えているのだけど、まだまだ私を狙う人も結構いるみたいでね…とグレートヒェンは苦笑した。
ナツィはふーんと言うだけだった。
「じゃあ聞くけど」
今度はグレートヒェンがナツィに尋ねた。
「どうして昼間、私を助けたりなんかしたの?」
お前も人間が嫌いって言ってる癖に、とグレートヒェンは嫌みっぽく笑った。
「…」
ナツィは気まずそうにそっぽを向いた。
グレートヒェンはナツィの顔を覗き込む。
「私の事なんてどうでも良いと言った割には…」
「…した」
ナツィはグレートヒェンの話を遮るように何かを呟いた。
グレートヒェンは思わず目をぱちくりさせる。
ナツィはすごく嫌そうに視線をグレートヒェンの方に向けて言った。
「…魔が、差しただけ」
それだけ言ってナツィはまた顔を膝に埋めてしまった。
「ふーん」
グレートヒェンは何だか面白そうな顔をする。
そしておもむろにナツィに近寄った。
「ねぇ、”ナハツェーラー”」
珍しくグレートヒェンがフルネームで呼ぶからなのか、ナツィは微かに身じろぎした。
「いっそのこと、私と一緒に逃げてしまわない?」
グレートヒェンは不思議な笑みを浮かべながら続ける。
「同じ”人が嫌い”という者同士、人間達から逃げてしまいましょうよ」
2人であちこちを転々とね、と付け足しながらグレートヒェンはしゃがみ込む。
「もちろん、生きていくために多少は人間と接する必要があるのだけど」
ふふ、と笑ってグレートヒェンは続けた。
「それでも私達は決して誰かの物にはならないわ」
あ、お前は私の物になってしまうのだろうけど、とグレートヒェンは補足する。
「…さて、どうかしら?」
グレートヒェンは立ち上がりながら言った。
「お前…この誘いに乗らない?」
そう言ってグレートヒェンはナツィに手を差し伸べた。
ナツィはちらっと顔を上げる。
「…お前だって、ここから出たいから私を助けたりしたんでしょう?」
違うかしら?とグレートヒェンは首を傾げる。
ナツィは沈黙したままだ。
「…さぁどうする?」
手を取るのも取らないのも、全てお前の自由よ、とグレートヒェンは微笑んだ。
暫くの間、ナツィは考え込む様に床を見つめていたが、不意に顔を上げた。
そして躊躇いがちにグレートヒェンの手を取った。
「まぁ、ありがとうね」
そう言ってグレートヒェンはナツィの手をぐいと引っ張って立ち上がらせた。
「別に、必ずしも協力するとは限らないから」
ナツィは嫌そうにこぼす。
「まぁそんなのは分かってるわよ」
とりあえず応じてくれるだけでも嬉しいわ、とグレートヒェンはナツィの頭を撫でた。
「ちょっ」
気安く触るなとナツィは咄嗟にグレートヒェンの手を払う。
大人しくしていれば可愛いのに、とグレートヒェンは呟いた。
ナツィは気恥ずかしそうにそっぽを向く。
グレートヒェンはふふふ、と話を切り替えた。
「そうと決まれば、明日の作戦会議をしなきゃね」
そう言って、グレートヒェンはナツィの目の前に座り込んだ。
続けてナツィも床に座る。
「兎にも角にもこの依頼を片付けないと、私達はここから出られないのだし」
早い所やるわよ、とグレートヒェンは微笑む。
ナツィははいはい、と答えた。
「…それで、どこまで話したんだ?」
明日も調査するって所までは聞いたぞ、とナツィは続ける。
「意外と話は聞いてたのね」
そう笑うグレートヒェンに対して、ナツィは聞いてないとでも思ったか、と反論する。
まぁいいわ、とグレートヒェンは話し始めた。
「とりあえず、明日も森や牧羊地、耕作地の調査をして、"奴"が出る所の法則性を探ろうと思うの」
それと…とグレートヒェンは続ける。
「森の中に罠を張ろうと思うんだけど」
罠、とナツィは反復する。
「あの精霊、私達の前に現れてもすぐに姿を消してしまったでしょう?」
だから逃げないように、人間にも見える状態で捕らえておくの、とグレートヒェンは続ける。
「そして捕まえた所を倒すのよ」
グレートヒェンは得意げにそう言った。
ナツィはふーん、と頷く。
「さすがに1日でかかるとは思ってないけど、罠は複数作るつもりよ」
でも牧羊地なんかに作ると何も知らない一般人に危害を与える可能性があるから、人のいない森にだけ張るわ、とグレートヒェンは言う。
ナツィは黙って聞いていたが、グレートヒェンが話し終えた所でこう尋ねた。
「お前、精霊を見える状態で捕らえておくって言ってたけど…わざわざお前が見えるカタチにする必要ある?」
俺なんて大抵の精霊は普段から見えているし、俺が"アレ"を倒すのならお前に見えなくても問題ないだろ、とナツィは真顔で言う。
「別に良いじゃない」
グレートヒェンはつまらなそうに答えた。
「ちゃんと精霊を倒したか確認する必要だってあるし…それにお前、昼間の時は精霊が姿を現してから気付いてたじゃない」
グレートヒェンにそう指摘され、ナツィはぎくっ、と気まずそうな顔をする。
「…もちろん、お前だけじゃどうにもならないだろうから、私も加勢するためなんだけどね」
そう言ってグレートヒェンは微笑む。
ナツィはムッとした顔をしつつ話を切り替えた。
「…とにかく、罠の材料とかどうするんだ?」
ナツィに聞かれて、そうねぇ、とグレートヒェンは呟いた。
…2人の作戦会議は数時間にわたって続いた。
罠の作成方法、精霊の倒し方、その他諸々…と2人は時間を気にせず話し合った。
途中、脱線したり、グレートヒェンがナツィをからかったり、ナツィが話を聞いてなかったりしたが、比較的平和に会議は進んだ。
議論が落ち着いたのは、もうすっかり夜も更けきったころだった。
「今日はもうこれ位にしましょう」
そう言ってグレートヒェンはすっくと立ちあがった。
「もうすっかり遅くなったし…後はまた明日」
寝ないと身が持たないのは私もお前も同じだし、とグレートヒェンは書庫の出入り口の方を見やった。
もう屋敷の住民達は寝てしまったのか、廊下の明かりはほんの少ししか灯っていない。
まだ起きているのはグレートヒェン達と見回りの使用人位なものだろう。
そろそろ寝ないと、と思ったグレートヒェンは、ナツィにお休みを言おうとした。
しかし、何を思ったのか不意にこう言った。
「そう言えばお前…普段どこで寝てるの?」
まさかここじゃないだろうね、とグレートヒェンは尋ねる。
急にそう言われて、ナツィはハッとしたように顔を上げた。
「…ここで寝てるけど」
暫くの沈黙の後、ナツィはそう答えた。
「人気もないし、静かだから丁度良いし…」
こう答えるナツィを見て、グレートヒェンはふーんとだけ頷く。
「まぁいいわ…お休み」
グレートヒェンはそう言って書庫の出入り口の方へ向かおうとしたが、ふと足を止めた。
そしてくるりと振り向いた。
「…あ、折角なら私と寝る?」
「死んでも断る」
ナツィは間髪入れずにこう返した。
「そうする位なら死んだ方がマシだよ」
嫌そうな顔で言うナツィを見て、グレートヒェンはふふっと笑った。
「今のは冗談よ」
それじゃあ今度こそ、お休み、と小さく手を振ってグレートヒェンは書庫を後にした。
床に座ったままのナツィは、グレートヒェンが部屋から去る様子を見届けてから、ぱたっとその場に伏せった。
「何なんだか」
ナツィはそれだけ呟いて、目を閉じた。
翌朝、日がそれなりに高く昇った頃。
夜の間に雪が降り積もった森の中に、2つの人影があった。
1つは何かが入った袋を持つ赤い髪の少女。
もう1つは外套に付いた頭巾を目深に被った、少年とも少女とも言えない黒い怪物。
2人は無言で足跡一つない雪原を踏み締めて行った。
「…」
ふと、赤い髪の少女ことグレートヒェンが、木の根元で足を止める。
大木を少し見上げ周囲も見回した後、グレートヒェンは手に持っている皮袋から液体の入った瓶を出した。
ぽん、と音を立ててコルク栓を抜くと、グレートヒェンはそれをほら、とナツィに投げ渡した。
ナツィは黙ってそれを受け取る。
さらにグレートヒェンは皮袋から、先に布がきつく巻き付けてある木の棒を取り出した。
そしてそれを瓶の中の液体に浸した。
棒の先に液体を染み込ませると、グレートヒェンはそれで雪原に何やら幾何学模様を描き出した。
曲線や直線、そして文字の様なものを複雑に組み合わせた大きな文様を、グレートヒェンはすらすらと描き出していく。
一通り描き終えると、グレートヒェンは棒を近くの雪原に突き立てた。
一息ついてから、今度は皮袋から何か黒くて小さい石ころの様なものを取り出す。
グレートヒェンはそれを自らが描いたものの上に撒いていった。
「これで1つ」
グレートヒェンは一息ついて言う。
「これをあと9個位、森の中に仕掛けておくのよ」
そう呟いてグレートヒェンは先に進もうとしたが、ふとナツィの方を振り向いた。
「あ、お前、そこ歩く時は気を付けるのよ」
この術式は精霊みたいな大きな魔力の塊に反応するから、とグレートヒェンは続ける。
「お前みたいな人工精霊から作られた使い魔でも引っ掛かるかもしれないわ」
分かったかしら、とグレートヒェンは首を傾げる。
「分かってる」
ナツィは適当にそう答えた。
その様子を見て、グレートヒェンは進行方向を向いて歩き出した。
ナツィもそれに続いて行った。
2人はその後も森の中に罠を仕掛けていった。
途中、くだらない会話をしたり、一休みしたり、気になる場所の調査をしたりしながら、のんびりと森の奥の方へと進んで行った。
最後の罠を設置し終わった頃には、もう太陽はすっかり高いところに昇っていた。
「そろそろお昼休憩にしようかしらね」
そう言ってグレートヒェンは立ち止まる。
「屋敷の人がお昼を用意してくれるって言ってたし」
そう言ってグレートヒェンはナツィの方を振り向いた。
「一旦屋敷まで戻りましょう」
グレートヒェンはそう言って、今まで来た道を引き返し始めた。
しかしすぐに足を止めてしまった。
「…?」
何か知っている気配がする、とグレートヒェンは思った。
だが辺りを見回しても、ナツィを除けば何もいない。
気のせいかしら…とグレートヒェンはまた歩みを進めようとした。
その時だった。
「―」
突然背中に衝撃が走り、グレートヒェンは雪原に突き飛ばされた。
「!」
その直後、グレートヒェンの背後で金属音が響く。
「ナツィ‼」
振り向くと、ナツィが黒鉄色の大鎌で精霊の攻撃を封じていた。
「…っ!」
ナツィは思いっ切り鎌を振って精霊を払いのける。
精霊はそのまま後ずさった。
「厄介な奴」
ナツィはそう言って大鎌を構えた。
「随分と急ね…」
グレートヒェンはそう呟きながら立ち上がる。
「一番近くの罠まで、”奴”を誘導するわよ!」
グレートヒェンがそう叫ぶと、ナツィは微かに頷いた。
そして精霊に斬りかかった。
だが精霊はその攻撃をいとも簡単に避けていく。
「この野郎!」
ナツィは再度飛びかかったが、今度は何かに弾き飛ばされた。
「魔力障壁⁈」
マジかよ…とナツィは宙を舞いながら呟く。
文字通り魔力で出来た防御壁である魔力障壁を野生の精霊が使うだなんて、聞いたことがない。
アレはやっぱり人工物、とナツィは雪原を転がりながら思った。
狼の様な姿をした精霊は、先程斬りかかってきたナツィに近付こうとした。
しかし、ボン!という破裂音に反応して動きを止める。
振り返ると、雪煙の中から赤い髪の少女が現れた。
「さぁ! ここまで来なさいよ精霊!」
グレートヒェンはそう叫んで橙色の石ころを精霊に投げつけた。
石ころは精霊に当たると熱を発し、シューシューと音を立てて煙を上げ始めた。
「ほら!」
こっちへ来なさいと大声で言いながら、グレートヒェンは走り出す。
精霊は1つ雄叫びを上げると、駆けて行く少女の後を追い出した。
グレートヒェンは走りながらも、手元にある石ころを幾つも精霊に投げつけていく。
石には1つ1つ術式が刻まれており、魔力を通す事でそれぞれ効果を発揮する事が出来る。
魔力の塊である精霊にぶつける事で、多少なりとも攻撃を与えたり、動きを鈍らせたりしていた。
このまま最寄りの罠まで誘い込めればこちらの勝ちだ。
あとはナツィがこちらに付いて来れていれば良いんだけど、とグレートヒェンは思う。
とりあえず私が…と心の中で呟きかけた時、グレートヒェンの身体は前へつんのめった。
「‼︎」
辺りは一面の雪景色だから、雪に埋まっている石にでも躓いたのだろう。
グレートヒェンはそのまま転んでしまった。
「まさかね…」
グレートヒェンはそう呟きながら起き上がり、背後を見た。
後ろからはあの精霊が迫って来る。
「こうなったら一か八か!」
そう言ってグレートヒェンは懐から短剣を取り出した。
丁度その時、目の前に黒い影が飛び込んで来た。
黒い影は雪原に舞い降りながら、手に持つ黒鉄色の鎌を振りかざす。
突然の攻撃を受けた精霊は唸りながら後ずさった。
「お、お前‼︎」
グレートヒェンは黒い影が着地すると共にそう声を上げた。
いつの間にか外套を脱ぎ捨てていたナツィは無言で振り向く。
その背には蝙蝠のような黒い翼が生えていた。
「…何コケてんだよ」
死ぬ気か、とナツィはグレートヒェンに冷ややかな視線を送る。
「仕方ないじゃない」
ここまでは考えてなかったもの、とグレートヒェンは笑う。
ふーん、とナツィは流した。
「とりあえず」
グレートヒェンは身体に付いた雪を払いながら立ち上がる。
「…やるわよ」
そう言って、グレートヒェンはナツィの方を見た。
ナツィは黙ったまま頷くと、また精霊に斬りかかった。
精霊は再度魔力で壁を作り出す。
ナツィはまた魔力障壁に跳ね返されるが、今度はその反動を利用して高く飛び上がった。
目の前にいた敵が突然消えて混乱するような素振りを見せる精霊に、次は別方向から斬撃が襲う。
「あら」
精霊が向いた方には、短剣を持ったグレートヒェンが立っていた。
「私の事を忘れていて?」
グレートヒェンは手に持った短剣で宙に術式を描いた。
術式が完成すると、そこから火球が打ち出された。
もろに攻撃を食らった精霊は、唸り声を上げながらグレートヒェンに飛びかかろうとする。
「させるか‼」
グレートヒェンを襲おうとした精霊に対し、ナツィは上空から鎌を振り下ろした。
精霊はすんでの所で回避する。
ナツィはそのまま雪原に飛び込み、辺りは雪煙に包まれた。
周りが何も見えなくなってしまったため、精霊は困惑しているのか辺りを見回す。
そこへまた斬撃が襲い掛かった。
精霊はその方向を向いた。
すぐに雪煙の中から赤い髪の少女が姿を現した。
少女は精霊に全速力で逃げて行く。
精霊は即座に少女を追い始めた。
赤い髪の少女ことグレートヒェンは精霊に追いつかれまいと走って行く。
あと少し、あと少しで…必死になって走るが、グレートヒェンと精霊との距離は徐々に縮まっていく。
遂にグレートヒェンのすぐ後ろまで精霊が近付いた時、グレートヒェンは思いっ切り前に向かって飛び跳ねた。
そして雪原の中へ飛び込んでいく。
精霊はそのままグレートヒェンに飛びかかろうとしたが、突然何かに弾き返された。
よく見ると、光の壁が精霊の周りを囲っている。
「…残念だったわね」
グレートヒェンはそう笑いながら立ち上がる。
精霊は光の壁に体当たりして罠から脱出しようとする。
しかし光の壁はびくともしない。
唸りながら悪足掻きを続ける精霊を、グレートヒェンは見上げた。
「お前の負けよ!」
グレートヒェンがそう叫ぶと同時に、精霊の真上からナツィが飛び込んできた。
「はぁぁぁぁぁっ‼」
ナツィは思い切り黒鉄色の大鎌を振りかざす。
精霊は抵抗する間もなく両断され、光の粒子となって消滅していった。
勢いよく飛び込んだナツィは、そのまま雪原に突っ込んだ。
雪煙が立ち込める中、グレートヒェンは思わず駆け寄る。
ナツィは雪の中に突っ伏していた。
「…」
グレートヒェンに気付いたのか、ナツィはむくりと起き上がる。
「濡羽色の羽根」
グレートヒェンはぽつりと呟く。
「さながら悪魔、ね」
グレートヒェンがそう言うと、ナツィの背から羽根が消えた。
グレートヒェンはナツィの頭に付いた雪を手で払う。
ナツィは嫌そうな顔をしたが抵抗はしなかった。
「それにしてもよくやったわ」
グレートヒェンがそう言うと、子ども扱いするなとナツィは返す。
ふふふ、とグレートヒェンは笑った。
「屋敷に戻りましょう」
グレートヒェンはすっとナツィに手を差し伸べる。
「…そうだな」
ナツィはグレートヒェンの手をとって立ち上がった。
「いやぁ、今回は本当にありがとうございました」
雪がちらつく中、屋敷の主人はグレートヒェンに頭を下げる。
「これで我々も領民も、安心して過ごせます…」
グレートヒェンは早く終わらないものかと屋敷の主人の長話を聞き流していた。
「流石は”緋い魔女”、我らには到底出来なかったことを…」
「ちょっと」
とうとう長い話に耐えられなくなったグレートヒェンは、思わず話を遮った。
「あ、はい?」
屋敷の主人はぽかんとした表情をする。
「”コイツ”、本当に貰って行っても良いのかしら?」
グレートヒェンは親指で背後にいるナツィを指し示した。
「え、えぇ、大丈夫ですけど」
そもそも貴女様が報酬に欲しいと言いましたし…と屋敷の主人は答える。
「むしろ、”アレ”は優秀な貴女様にお似合いだろうと思われます」
屋敷の主人にそう言われて、グレートヒェンは、お似合い、ね…と反芻する。
ちら、とナツィの方を見ると、ナツィは何だか恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「まぁ良いわ」
グレートヒェンは屋敷の主人に向き直る。
「こちらこそ、色々とありがとう」
またどこかで会えると良いわね、とグレートヒェンは屋敷の主人に背を向けて歩き出そうとした。
だがすぐに足を止め、ナツィの方を見やった。
「行くわよ」
グレートヒェンにそう言われて、ナツィははっとしたようにその後を追った。
ナツィが付いて来るのを確認すると、グレートヒェンは再度歩き出した。
「…なぁ」
暫く歩いた所でナツィは聞いた。
「お前、俺が欲しいって言ってたけど…本当に正式な主従になるつもりなのか?」
グレートヒェンはぴたりと足を止め、振り向いた。
「もしかして嫌なの?」
「別にそういう訳じゃ…」
何だか恥ずかしそうにナツィはそっぽを向く。
その様子を見て、グレートヒェンはふふっと笑った。
「今はまだ、そこまで考えていないわ」
おいおい決めるつもりよ、とグレートヒェンは微笑んだ。
「何だよそれ」
ナツィは思わず突っ込んだ。
「別に良いじゃない」
正式に契約しなくても支障はないんだし、と言ってグレートヒェンはまた歩き出す。
「もしかして契約して欲しいの?」
グレートヒェンはいたずらっぽい笑みを浮かべながら後ろを見やる。
「…どうでも良い」
ナツィはぷいと向こうを向いてしまった。
「何よ、どうでも良いって」
グレートヒェンはナツィに近寄る。
「どうでも良くない訳がないわ」
困った奴、グレートヒェンはナツィの頭を撫でる。
ナツィは暫く黙ってされるがままになっていたが、不意にグレートヒェンの手を掴んだ。
「…別にお前が主人になっても"マスター"って呼ばないからな」
何があっても"グレートヒェン"って呼んでやる、とナツィは語気を強める。
「まぁ」
グレートヒェンはふふっと笑った。
「…やっと"グレートヒェン"って呼んでくれた」
グレートヒェンがそう言ってやっと気づいたのか、ナツィは少しだけ顔を赤らめた。
「ふふふ」
グレートヒェンはその様子を見て微笑むと、行きましょう、とナツィの手を引いて歩き出した。
ナツィも手を引かれるまま歩き出す。
2つの人影は雪が降る森の中へ消えていった。
〈おわり〉
どうも、色々と勉強とかに追い詰められてるテトモンよ永遠に!です。
書くって言ったので、「緋い魔女」のあとがきです。
この「緋い魔女」は去年の冬辺りに一旦投稿したものの、途中で途切れたお話を再投稿し、さらに続きも書いたものになります。
元々は自分の中で去年ぐらいから空想し続けているお話がベースになっていて、「緋い魔女」はそのお話の前日譚・番外編みたいな扱いになっています。
ちなみにその「お話」をここで発表する予定は今の所ないです(笑)
少々内容がえげつなかったりしてここに載せづらいのよね…
でももし気が向いたら、ここに載せるかもしれません。
「緋い魔女」は、本当はもっと短くする予定だったのですが、思ったより長くなってしまいました…
まぁ、最初に投稿した時より1回分の長さを短くしたので、40回超という結構な長さになっちゃったんだけどね(笑)
とにかく、ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございました。
次自分がここに出てくるのは春になるかな〜
質問や感想、ツッコミなど何かあったらレスまでどうぞ。
それではまたお会いしましょう。
皆さん良いお年を〜\(^o^)/