「えっいや別にいらな……いや、まあ、うん……ありがと……」
少女はしばしの逡巡の末にハルパの差し出したパンを受け取り、ちまちまと齧り始めた。
『うわすっごい頑丈な歯ごたえ……そういえば聞いてよハルパちゃん』
不意に少女から発信された念話に、ハルパは顔を彼女の方に向けて反応する。
『うちのマスターがだらしなくってさぁ。今朝だって全然起きなくって、大体あれは昨日マスターが……』
少女の愚痴をニタニタとしながら聞いていると、入り口扉が開いた。そこに立っていたのは少女の“マスター”である20代後半ほどの男性だった。ハルパは立ち上がって彼に接近し、パンの片割れをやや萎縮しているその男性の手に置き、再び折り畳み椅子の上に戻って少女に視線を送った。
『……え、何。嫌だよマスターがいる前で話す内容じゃないじゃんさすがに……』
少女の念話にハルパは首を傾げ、壁掛け時計を注視し始めた。しばらくするうちに、室内にはドーリィやそのマスター、対策課職員などが増えていき、やがて9時の時報が鳴り響いた。
ハルパは椅子から飛び降り、責任者のデスク前までにじり寄った。
「うおっ……ハルパか」
そこに掛けていた痩せ型の中年男性は、普段通りの不気味な笑みを口元に浮かべたハルパにたじろぎながらも、冷静にクリップボードを差し出した。そこに挟まれた資料を1枚ずつ確認し、やがてハルパは1枚を取り出して男性に見せた。
「ああ、そこか。その辺りは人口も多いからな。ビーストの出現事例も多いし、頼むぞ」
ハルパは口角を更に歪に吊り上げ、軽く頷いて窓から外に飛び出した。
防御に使っていた右腕が、遂に限界を迎えた。7発目を弾いたのと同時に、爆風が右の手首から先を消し飛ばした。
「あっまずっ」
撃ち落とさなきゃならない弾はまだまだあるってのに……。
もう1度、あいつの方を見る。距離は…………十分かな?
「なら、いっか……」
頭が生体ミサイルに貫かれ、衝撃で弾け飛ぶ。脳を破壊されたことで、一瞬意識が薄れ、反動のままにその場に落下する。
「……ぅー…………」
家の方からガラガラと崩れる音。目を向けると、ビーストがこっちに近付いて来ていた。見てみると前脚だけじゃなく、頭もほとんど再生してきている。あいつの家を随分喰って回復したみたいだ。
目が合った。彼我の距離約3m。3対6つの眼が、私を見下ろしている。
「ぁー……うー……そうだな…………」
生憎とこちらは片方しか眼が残っていないけど、しっかりと睨み返してやる。
「くたばりやがれ、ばーか」
奴が片方の前脚を持ち上げ、私に向けて振り下ろす。全身が潰される直線、私の身体はぐいと引っ張られ、辛うじて抜け出すことができた。
「誰……?」
「俺ぇ」
私を助けてくれたのは、ついさっき逃がしたはずのケーパだった。
「はぇ……え、なんで⁉」
「いやだって、お前死にそうだったし……」
「ドーリィが死ぬわけ無いんだけど⁉ むしろあんたの方が……もう良いや。私のことしっかり摑まえといて」
「え、わ、分かった」
瞬間移動。ビーストの視界から外れない程度に1度距離を取る。ヤツはすぐに私達を見つけて、バタバタとこっちに突進してきた。
少女が固く抱きしめるテディベアの右腕が、ビーストを捕捉する。それと同時に、ビーストは少女から距離を取るように跳躍した。高速で伸長したテディベアの腕が、いち早く回避行動を取っていたビーストの脇を通り過ぎ、元の長さに縮んでいく。
そして、テディベアの腕が完全に縮み切ったと同時に、ビーストの背後にもう1人、ビーストの正面でテディベアを抱えているのと『全く同じ外見の』少女が、虚空から出現した。
突然の事態に対応する前に、その少女は身体強化を乗せた拳を直撃させ、ビーストを遥か下方の地面に叩きつけた。
少女は短距離転移によって尖塔の上に移動し、自身と同じ姿の少女に抱き着く。
「ササ、クマ座さん貸してくれてありがとう」
抱き着かれた側が、テディベアを抱き着いた側、“ドーリィ”ササに差し出す。
「ありがと、サヤ。私もこれ、返すね」
ササも腰にリボンで結い留めていた『クマ座さん』に瓜二つのテディベアを“マスター”サヤに差し出した。
テディベアの交換を終えた2人は、屋根の端から顔を覗かせビーストの様子を見ることにした。地面に叩きつけられ、相当のダメージを受けたはずの怪物は、しかして大したダメージを受けた様子は無く、起き上がって上方の2人を眼の無い顔で睨みつけている。
「ササぁ……あんまり効いてないよ……」
「だ、大丈夫だよサヤ……クマ座さんの攻撃は1回当たって腕を片方切れたし、私のパンチもちゃんと命中したし……」
顔を見合わせて話す2人の耳に、石材を突き砕く激しく断続的な音が入ってくる。
「「?」」
再び見下ろすと、ビーストが壁面を駆け上ってきている。
「ぴゃあぁっ!?」
「に、にげ、にげようサヤ!」
ササはサヤを抱き締め、そのままビーストの向かってくるのと反対側に屋根を転げ落ちる。端に転がっていた何者かの指に触れると同時に、2人の身体は空間歪曲に飲み込まれ、そこから数十m離れた廃墟の陰に転がり出た。
ハルパが走って約1時間。目的の都市は既に戦火に包まれていた。
「………………」
ハルパは転移魔法でその中心地にまで移動し、ビーストを探した。それはすぐに発見される。
体長約20mの巨大な猛獣。その口の端からは炎が漏れ、背中から生えた山羊と竜の頭部は不吉な咆哮をあげている。
ニタリ、と口角を吊り上げ、ハルパがそちらに突撃しようとしたその時、鋭い破裂音と共に銃弾がビーストの胴体に直撃した。
「…………?」
ビースト、ハルパ共に、銃弾の飛んできた方向に目をやる。
『おいビースト、こっちだ! これ以上好き勝手させてなるものか!』
拡声器を通した男声が、辺りに響き渡る。
ビーストがそちらに向かおうとするより速く、ハルパは飛び出していた。身体強化による超加速でその声の主の元まで駆け、勢いのままに飛びつく。
「えっうわあ!」
彼を押し倒し馬乗りになったハルパに、声の主は一瞬動揺を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「なんだ……ハルパじゃないか。久しぶりだね。もう5年……6年くらい会っていなかったかな?」
その男がワイシャツの左袖をまくり上げると、ハルパの左前腕にあるのと同じ位置に、獣の咢を模した紋様が刻まれていた。
「それより、一度退いてもらえるかな。ビーストが来ているから……」
そう言うその男の目には、間近にまで迫っているビーストの姿が映っていた。
「…………」
ハルパは黒槍を取り出し、形状変化によってドーム状の防壁を作り出す。
「いや、僕らだけ守られていても駄目なんだけど…………、1回下りてくれる?」
再び頼まれ、ハルパはしぶしぶ男を解放した。
どうも、テトモンよ永遠に!です。
企画の開催期間が早くも後半戦にた辿り着いたので、企画要項の再掲です。
「今企画に気付いた! 参加したい!」って人は今からでも大歓迎です。
では以下企画要項。
タイトルは「Flowering Dolly」。
異界からやってくる怪物“ビースト”に対抗する少女の姿をした存在“ドーリィ”とドーリィと契約した人間“マスター”たちの果てしない戦いを描く企画です。
ルールは公序良俗とこの後投稿する世界観・設定を守った上でタグ「Flowering Dolly」(スペルミス注意)を付けていれば何でもOK!
開催期間は8月30日(金)まで(遅刻投稿も大歓迎)。
投稿形式・分量・回数は問いません。
今度こそぼくにとって最後の本格企画になりそうなので、よかったらご参加ください!
…ところでなんだけど、「今回で企画を最後にする」って言っておきながらまた新しい企画にできそうなアイデアが降ってきたんだよね。
ただまだ設定が固まり切っていないし難しいことになりそうなので本当にやるかどうかは未定。
まぁやるとしたら年明けになるでしょうけど。
「おいビースト来てんぞ。どうする?」
「どうするって言われても、私がこの状態じゃ応戦は無理だし……」
「じゃあ駄目じゃねーか」
「私のプランじゃあんたが増援呼んでくれるはずだったのー」
「それはごめん……」
「あ、そういえば、けーちゃんの家、かなり喰われたよ。守れなくてごめん」
「初撃で既にぶっ壊されてたから問題ない」
「さて……どうしよっかなー」
さっき吹き飛んだ右手を見る。まだ4分の1も再生していない。
「けーちゃん、私重い? 物理的に」
「いや、半分くらいになってるから結構軽い」
「それは良かった。じゃ、私のこと抱えてしばらく逃げ回ってくれる?」
「了解」
彼は私のことを小脇に抱えて駆け出した。直後、さっきまで私たちがいた場所にビーストの踏み付けが突き刺さる。
そんなことより、今は回復に努めよう。あんまり重くなってもケーパの逃げる邪魔になるから、足や頭、お腹の傷は放置して、右手の治癒だけに集中する。今欲しいのはここだけだから。
「……あ、やべっ」
突然ケーパが私を放り投げた。
「むぐっ……どしたの、けーちゃ……」
あいつはすぐに私を抱え直して、逃走を再開する。
「あっぶな……踏み潰されるところだった」
「大変だったじゃん。怪我とかしてない?」
「してない。ギリセーフ」
「それは良かった」
右手の治癒は掌全体の再生にまで至った。これだけあれば、大丈夫かな。
固く抱き合っていた腕を放して立ち上がったササとサヤを、1人の女性が見下ろす。和風の装束に身を包んだ長身の彼女には左腕が無く、残った右手には彼女の背丈よりいくらか短い程度の短槍を持っている。
「ヒロさん!」
「ヒロさん!」
「ヒロさんありがと!」
「ありがとヒロさん!」
ササとサヤに交互に言われ、ヒロと呼ばれた女性は苦笑した。
「発音としては『フィロ』、なんだがねぇ……まあ良いや。状況はどうだい?」
ヒロ、もといフィロに尋ねられ、2人は顔を見合わせてから揃ってサムズアップを示してみせた。
「パンチ1発いれた!」
自慢げに言うササの頭を撫でてから、フィロは短槍を肩に担いだ。
「そいつは立派だ。せっかくちびっ子たちが頑張ってくれているわけだし、私も張り切ってこようかねぇ」
短距離転移によって、フィロはビーストの後方約10m地点にまで移動した。
ビーストもすぐに気付き、戦闘態勢の構えを取る。
「やぁ、化け物。相見互いに左腕欠損。尾と槍でジャンルこそ違えど、奇しくも得物も長物どうしでお揃いだ。ミラーマッチと行こうじゃないか」
ビーストが超高速で突進し、右の拳を心臓部目掛けて突き出した。
「ありがとうね……。さて、積もる話は色々あるけれど……まずはごめんね。長いこと君を1人にしてしまって。寂しくなかったかい?」
男の言葉に、ハルパは首を傾げた。全く理解できなかったためだ。彼女の左前腕に色濃く刻まれた紋様は、マスターたるその男との明確にして絶対的な繋がりの証であり、ハルパが寂しさを覚えたことなど1度として、また一瞬たりとも無かった。
男の奇妙な謝罪に、純粋な疑問と共にうずうずと湧き上がる言語化できない感情を抱いたハルパは、彼の首筋に噛みつき、鋭い牙を出血するほど深く突き立てた。
「いたたた……何だ、やっぱり寂しかったのかい。ごめんね。この街を離れられない事情があってさ……でも安心しておくれ、もうすぐ帰れると思うから。あと少しだけ辛抱してくれるかい?」
男の言葉にようやく口を放したハルパは、男が右手に握っていた突撃銃に目をやった。
「ん、これかい? ビーストは文明の利器に強い敵意を示すみたいでね……銃や爆弾で攻撃すると、ダメージは与えられないまでも意識は向けられるんだよ」
黒槍のドームが大きく震えた。外からビーストに攻撃されているのだ。
「む、来たね。それじゃあハルパ、久々に君の戦い、見せてもらおうかな」
男の言葉に顔を輝かせ、ハルパは何度も頷いて跳ぶように立ち上がった。ドームを解除すると、ビーストが3つの頭部で覗き込んでいる。
「……〈ガエ=ブルガ〉」
ハルパの口から、掠れた声が漏れる。黒槍を長さ1m強のジャベリンに再形成し、石突を蹴り飛ばした。
彼女の『射出』した槍は、至近距離にいたビーストの右前脚に突き刺さる。
「よし、勝った。逃げよう、ハルパ」
「ぇあ」
ハルパは男を肩に担ぎ、身体強化を利用した高い脚力でその場を離脱した。
「チトニア、頼らせてもらう」
「うん!指示ぷりーず!」
いつの間にかチトニアは梓の腕にべったりくっついていて、はしゃぎながら斧を渡した。
「じゃあ早速だけど。ゴルフの要領であの看護師を飛ばしてほしい」
短い指示だが、チトニアはその意味を正確に理解した。梓は常に片手を塞がないと目が見えない。更に、貧弱な梓は片手で斧を振るうことはできないため任されたのだ、と。チトニアは斧を振りかぶり、平らな面を看護師の腰に当てた。
「きゃっ!」
うまい角度で飛ばされ、看護師は病室の外へ。すかさずチトニアはベッドをひっくり返して病室の入口を塞いだ。幸いこの病室には梓しかいなかったのでベッドは有り余っていた。
「…強いな」
「パワー型だからね!」
梓が戦うのを宣言してからこの会話まで、およそ30秒。ビーストは蛇口から出切った。それは細長いおびただしい量の人間の腕の塊に、頭や胴体と呼べるものはなく、魚の尾びれのようなものが大きく一つついている姿をしていた。
「ビーストってなんか能力使う?」
「使う子もいるよ?ビーストって皆大型だけどこいつ小型だから、こいつには『大きさを変える』みたいな能力があるかも」
「なるほど…」
ビーストは、悲鳴ともつかない雄叫びをあげた。
「ところでさ」
「ん、どうしたフィスタ」
「アリー」
「何でも良いだろ」
「名前なんですがぁ? 一番何でも良くない場所でしょー?」
「……いやまあ、うん。たしかに。これ俺が悪かったな」
「分かればよろしい。で」
「うん」
「けーちゃんって私のこと好きじゃん?」
「何か語弊があるな?」
「あーうん。けーちゃんって私の音楽が大好きじゃん?」
「うん」
瞬間移動によって彼の手の中から抜け出し、彼の目の前に現れる。
「右手、出して?」
「え、何いきなり。っつーか足治ってないんだから勝手に抜け出すなよ」
ケーパは宙に浮いていた私を捕まえ直してしまった。
「ノリ悪いなぁ! せっかくあんたを私のマスターにしてあげようと思ったのに」
「何馬鹿なこと言って…………はいぃ⁉」
あいつが急ブレーキをかけた。ビーストはすぐそこまで迫ってるんですが。
どうも、公式です。
最初の最初は属名だけじゃなくて種小名も入れようと思ったんですけど、名前が長くなるのでやめました。
後々気になったこともあったけど、今はまぁいいかなって思います。
ソレの目の前の女性、右手の武器から推測するに“ドーリィ”であろう彼女は、ビーストの拳を回避することも無く胸部を貫かれた。
腕は彼女の肉体を貫通し、背後にまで抜ける。しかし、手応えがおかしい。肉や骨を砕き押し退けた感触が無い。彼女の背中から突き出る腕の長さも、本来想定されるより僅かに長く見える。その差、ちょうど彼女の胴体の厚みに等しい程度。
「っはは、どうだ驚いただろ。お前が言葉を理解できるかは知らないが、勝手に自慢させてもらうよ。私の魔法、『肉体を“門”とした空間歪曲』。ざっくりいうと、『私の身体に触れたものが、私の身体の別の場所から出てくる』。要するに……」
フィロの刺突と同時に、ビーストは飛び退いて回避する。
「お前の攻撃は全て、私を『すり抜ける』」
ビーストが尾で薙ぎ払う。フィロはそれを跳躍して回避し、地面に突き立てた短槍を軸に蹴りを仕掛ける。
「ところで化け物。私の魔法、一見防御にしか使えなさそうに見えるだろ? ところがどっこい、面白い特性があってさ。“門”にするのに必要な『身体の一部』って、切り離されていても適用範囲内でさぁ」
フィロが懐から、小さな骨片を取り出す。
「これ何だと思う? 正解は『私の左腕の尺骨の欠片』」
フィロは骨片をビーストに向けて放り投げ、『自分の足』に槍を突き立てた。その刃は空間歪曲によって骨片から現れ、通常ならば在り得ない角度から刺突が放たれる。身体を折り曲げるようにして回避したビーストは、逃げるようにその場を離脱した。
「む……私にダメージを与える手段が無いからって逃げるのかい。まあ……あとはあの2人に任せるとするかね」
煙幕の薄れつつある中、少女キリは片手剣を右手に握り直し、再びビーストに突撃する。閃光手榴弾を投擲しながらビーストと衝突する直前で直角に曲がり、そのまま背後に回り込む。閃光弾の光と音に一瞬気を取られたビーストの隙を突いて振り下ろされた斬撃は、鱗に深い亀裂を走らせた。
「チィッ! まだ軽い、ヴィス!」
「了解!」
“ヴィス”と呼ばれたドーリィは頷いて指を鳴らした。瞬間、キリの手の中に“ドーリィ”ヴィスクムの固有武器、7本の片手剣のうちの1本が現れる。
左手の剣による刺突は、鱗の亀裂を正確に捉え、砕き、その奥の肉に深々と突き刺さった。
想定外の痛覚反応に、ビーストは9つの頭部で咆哮をあげながら、全ての頸で牙を剥き、一斉に頭突きを放つ。
「スワップ!」
ヴィスクムが叫ぶように言い、手を叩く。
瞬間、2人の位置が入れ替わり、ヴィスクムは両手に握っていた剣で敵の攻撃を受け流しきった。
「ぎりぎりセぇーフ……」
短距離転移によって“マスター”キリの隣に移動し、そちらに向き直ったビーストと睨み合う。
「身体の調子は大丈夫、キリちゃん?」
「いや全く。多分内臓駄目になってる。骨と筋肉も」
「全部駄目じゃん」
「ただの人間なんで」
「んー……とりあえず、順番にスワップしていこう。お腹の中から順番に。脚は動く?」
「……動く」
「それじゃ……ゴー!」
ヴィスクムが手を叩くのと同時に、キリはビーストに向けて駆け出した。
ハルパ達を追跡しようとしたビーストが、勢い良くその場に倒れ込む。
「よし、着実に『根』が伸びてる」
「うぃ」
ビーストが数秒の苦心の末に右前脚を持ち上げると、その足裏から黒色の枝分かれした長い棘が突き出している。
「……ある伝説に登場する英雄の扱ったとされる、『必殺』と謳われた槍の名だ」
ハルパに担がれたまま、男は誰にともなく呟く。
「その由来は何てことはない。貫いた瞬間、穂先は無数に枝分かれした棘に変形し、敵を体内から破壊する。どんな生き物も、内臓は柔らかいからねぇ」
「はぇー…………」
「あれ、ハルパ知らないでこの技名使ってくれてたのかい」
「マスターが、くれた名前だから……」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「んひひぃ」
距離を取ろうと走り続けるハルパの背後で、湿った破壊音が響く。2人が振り向くと、棘の増殖によってビーストの前脚が千切れて落下する瞬間だった。棘は更に長く、数を増やしながら伸長を続け、そのうちの1本はビーストの肉体を突き破って山羊頭の脳幹を正確に撃ち抜く。
「おやラッキー」
「んー」
ビーストの獣頭が炎を吐き出そうと口を開くが、伸びてきた棘に縫い合わされ、口腔内で暴発する。
「何立ち止まってるの。ビースト来てるよ」
私が言うと、すぐに彼はまた逃げ始めた。
「え、あ、お、おう。おいフィス……アリー、お前今何て言った?」
「『何立ち止ってるの。ビースト来てるよ』」
「その前だ馬鹿」
「むぅ。そんなに言ってほしいの?」
「いや、そうじゃなく……いやまあそうなのか……?」
ちょっと揶揄い過ぎたかな。少し混乱してるみたい。楽しいけど流石に申し訳無いか。
「あはは、ごめんごめん冗談だって。私のマスターになれる人間ってどんなのかなって考えてさぁ、私、1つの結論に到達したわけよ。大体2か月くらい前に」
「俺らが出会って半年くらいの時期かぁ」
「あー……そうだねぇ……あの時作ってもらったチーズケーキ、美味しかったなぁ。また作ってよ」
「嫌だよ製菓ってクソ面倒くせえんだぞ? 二度とやりたくねえ」
「ちぇっ。それで閑話休題。私のマスターになってくれるのは、私の音楽を好きでいてくれる人だって」
「そんなのいくらでもいるだろ。お前、演奏も歌も上手いじゃん」
ケーパめ、微妙に分かってないな。説明面倒なんだけど……。
「私が何を奏でても、いついかなる時でも、私の音楽に心の底からノってくれる。そんな人でしか私の相棒は務まらないの」
「つまり……節操無しをご所望か」
「言い方ぁ」
再び瞬間移動で彼の腕から抜け出す。
「だからさ。右手出して?」
ほぼ治癒した右手の甲を、彼に向けて差し出す。
「……クソ、分かったよ」
彼が右手を握り拳にして、手の甲を軽く私の手に打ち合わせた。
ビーストはできるだけ大きな通りを選んで駆け、やがて荒廃した広場に辿り着いた。
そして周囲に気を払う。探すのは、少女の“ドーリィ”だけではなく、長身の“ドーリィ”の肉体の破片。物陰に僅かな骨片や肉片の1つも転がっていないか。『不意打ち』の条件がこの場には無いか。全身の神経を張り詰め、情報を取り入れ続ける。
その時、右後方から物音が聞こえた。何かの動く気配に、攻撃は堪えて物音を立てた存在の正体を確認する。瓦礫の陰に隠れて全体像は見えないが、少女のドーリィの頭を飾っていたリボンと同じものがはみ出ている。
この時点で、ビーストの思考において、対象の正体は2択にまで絞られる。『少女のドーリィ』または『少女のドーリィと同じ外見の少女』。『長身のドーリィ』と異なり、完全回避の手段がない彼女らであれば、ソレにも勝機がある。
そう判断し、ビーストはそちらに向けて跳躍した。空中で回転し、ソレの背丈より長い尾を真上から叩きつける。手応えは無い。“ドーリィ”には短距離を瞬間移動する力があるため、長身のドーリィの魔法が無くとも警戒は怠れない。
「……おーい」
背後から、少女のドーリィの声がする。そちらに注意を向けると、廃墟の窓から彼女が顔を出していた。存在を主張するように手の中のピンク色のテディベアを高々と掲げて振っている。
その様子を確認した瞬間、そのビーストは確信を持って少女に突進した。
少女の主なダメージソースである、テディベアの爪や牙による攻撃は、照準を定めるために手元に抱えた上で微調整を行う必要がある。それにも拘わらず、頭上に持ち上げているということは、翻弄のためのブラフということ。つまり、彼女はドーリィではなく、ただの人間でしか無い“マスター”である。
マスターを失えば、ドーリィの戦闘能力は著しく低下する。その程度のことは、ソレの脳にも標準的知識として備わっている。そして、ただの人間には、ソレが出力する最高速度に対応できる感覚能力は無い。
その自信と共に、ソレは廃墟の壁を蹴り破り、勢いのままに飛び蹴りを少女に命中させた。
昼下がり、街の路地裏にある小さな喫茶店にて。
“喫茶BOUQUET”という小さな看板が下がったその店の中は、5人の客と店主、そして手伝いの少女が1人いるのみでがらんとしていた。
「今日は空いていますね」
青い長髪をハーフアップにしたエプロン姿の少女がカウンターに向かって言うと、そうだなとカウンターの向こうの椅子に座る初老の男は返す。
「今日は月曜の昼間だから、みんな“本職”が忙しくて来れないのだろうよ」
まぁいいじゃないかと男は手元の新聞に目を落とす。
「それにしても普段より少ない気がするんですけど…」
青髪の少女がそう言いかけた時、カランカランと音を立てて店の扉が開いた。彼女が扉の方を見ると、そこには小柄な小学校高学年くらいの少年が立っていた。
「あ、いらっしゃ…」
青髪の少女の言葉を気にせず少年は店の窓際のテーブルへ向かった。そこには青緑色で肩につくくらいのくせっ毛、そして翡翠色のジャケットとスラックスに白いブラウスを合わせた背の高い少女が座っていた。
「…お、やぁ少年」
青緑色の髪の少女は少年に気付くと笑顔で小さく手を挙げた。しかし少年はそれを無視して彼女の目の前の座席に座る。
「それにしてもどうしたんだい」
急に呼び出しなんて…と青緑色の髪の少女が言いかけた所で、少年はあのと顔を上げる。
「お願いがあるんです」
少年の真剣な眼差しに青緑色の髪の少女は少しポカンとする。
「え、なに?」
もしかして…と青緑色の髪の少女は慌てるが、少年は気にせず続けた。
「ぼくと関わるのをやめて欲しいんです」
少年の言葉にえ、と青緑色の髪の少女はポカンとする。
周囲の客たちも、その言葉で2人の方を見た。
「そ、それって…」
「もうぼくに会いに来ないで欲しい、それだけです」
少年がそう言うと、青緑色の髪の少女はなんとも言えない表情で椅子の背もたれに寄りかかった。
「…そんなこと言われてもねぇ」
青緑色の髪の少女は窓の外を見る。
「なんて言うか、どうしてもその辺でフラフラしていると君に遭遇してしまうと言うか」
「じゃあフラフラするのをやめてください」
少年は真面目な口調で言うが、青緑色の髪の少女はえ〜と不満げに返す。
少女への攻撃は頭部に命中し、そしてそのまま『すり抜けた』。
その感覚を、ソレは知っている。たった1度経験した、長身のドーリィの『肉体を門とした空間歪曲』の魔法。何故この少女がその魔法を使えるのか。少なくとも長身のドーリィがあれだけ自慢げに話していたということは、誰しもが易々と使えるような代物では無いということ。
思考で脳が圧迫されたその刹那、壁の穴の脇、陰になった場所から、長身のドーリィの武器であるはずの短槍が突き出された。一瞬の出遅れのために回避行動を取れず、槍の穂先はビーストの脇腹に突き刺さる。
「成功。私の魔法でヒロさんに私の見た目を貼り付けて囮にした」
槍を持っていた少女のドーリィが、呟くように口にした。その言葉を聞き、そのビーストは思考を加速させる。
今の言葉からして、少女のドーリィの魔法はおそらく『外見を変える幻影』。それに加えて、長身のドーリィの空間歪曲による転移術。長身のドーリィの左腕は、細分化されて転移のために随所に仕込まれているだろう。それによって、ドーリィと違って超自然的現象を起こせないマスターにも、限定的な転移術が使えるようになっている。敵は長身のドーリィの転移術を利用し、数的有利を更に多角化させ、自分を追い込んでいる。敵の頭数は、少女のドーリィ・それと同じ外見――あるいは幻影によって姿を変えたマスター・長身のドーリィの最低3名。長身のドーリィも固有武器を扱っていることから、マスターが存在することは確実。未だに1名以上の戦力を隠している可能性すらある。
とすれば、敵の数を減らすことは至急の課題。長身のドーリィを倒す手段が自身に存在しない以上、殺すべきは少女のドーリィだ。
飛び退くようにして突き刺さった槍から脱出し、屋外へと逃走する。
その時、通りの奥から長身のドーリィが駆けてきているのが視界に入った。
私と彼の右手の甲が一瞬光り、太陽に似た放射状のとげとげした紋様が焼き付いた。
「契約完了っと」
「これで、あいつ倒せるんだよな?」
「もっちろん」
ビーストが私たちに追いつき、前足を叩きつける。その直前、彼を瞬間移動で逃がし、私の方は再生した右手で受け止める。
「っひひ。何これすごい、手応えが全然違う。身体強化も、肉体の治癒も、契約が無かった頃とは比べ物にならないレベルじゃん」
私のボロボロの身体は、ケーパとの契約を済ませた瞬間、ほぼ完全な状態にまで急速に回復していた。おまけに、これだけの威力を受け止めたにもかかわらず、骨や筋繊維の1本すら、軋みもしない。
「そいやっ」
軽く押し返し、ついでにヤツを蹴り飛ばす。
「それじゃ、本気出させてもらいますか! ……そうだ、けーちゃん?」
大丈夫とは思うけど、念のため。
「ん? 何だよアリー」
「んー……フィスタでも良いよ。けーちゃん限定で許可したげる。マスター様だしね」
「ああ、で何だよ」
「あぁそうそう。1個だけお願いがあるの。私の音楽、変わらず愛していてね?」
「言うまでも無え」
こういうところは即答してくれるところ、私は好きだよ相棒。
「……というわけでっ!」
右手の中に、私だけの『武器』を生成する。長さ60㎝程度の片手杖。軽く振るうとひゅうっ、と空気の通る音がする。中が空洞になってるんだ。全体は白く、Y字の二股に分かれた先端はグラデーションで緑色に変わっていっている。良いデザインだ。
「 “Allium Fistulosum”! ただ今よりお前をぶっ殺しまぁーっす!」
さてどうするか…梓は暫く思案する。どこが弱点なのか全く分からない。攻撃方法も分からない。だがどちらにせよ確認するためにも軽い刃物が欲しい。
「チトニア、片手で持てる刃物とかない?」
「うーん、果物ナイフで良ければ…」
「ないす」
ビーストはこちらを疑うように距離を取りすぎず詰めすぎずで、先程叫んだ以外に目立った行動をしていない。ビーストの大体真ん中に向けてアンダースローで果物ナイフを投げる。
「ヨ…ケル…」
ビーストは全ての腕を床に付け、関節を曲げて反動で後方に跳ね、果物ナイフを避けた。
「えーしゃべったぁ…」
「うわぁ…」
ビーストはゆったりとした動きで、こちらへ向かってきた。
「果物ナイフ」
「はい」
梓がアンダースローの構えをすると、ビーストは突然移動速度を上げて飛んできた。
「うおっ!?」
あまりのスピードに間に合わなかった。ビーストが細腕を左右に分けると、その中から1つの目が現れた。目が合った。咄嗟に視界を見えないようにしたが遅かったらしい。
「梓!」
「……マスター」
「ん? どうしたハルパ」
「ちょっと、移動するね」
「ああ、うん」
ハルパは男を担いだまま短距離転移でビーストの背中の上に腰を下ろした姿勢で移動した。唯一無傷だった竜頭が2人の方を向いて牙を剥くが、ハルパは片足で鼻面を押さえる。
「このまま死ぬまで待ってよ」
「ああうん……せっかくだから下ろしてほしいな」
「ん」
男はハルパの隣に腰を下ろし、転落防止にハルパを抱き寄せた。
「ちょっと掴まらせてね……っと」
「んー……」
男を押しのけるようにハルパが頭を押し付ける。
「待って押さないで」
「にゃーお」
「『にゃーお』じゃなく……」
2人が背中で騒いでいるにも拘らず、ビーストが動く気配はない。竜頭を除くすべての部位が、隙間ない〈ガエ=ブルガ〉の侵食を受けて完全に固定されていたためである。
「……そろそろ…………かなぁ……」
ふと、ハルパが呟いた。
「ん、そうかい」
ハルパが男を抱え、瞬間移動でビーストから離れた直後、その全身から黒い棘が突き出し、唯一無事だった竜頭ごと肉体をズタズタに引き裂き殺した。
「かった」
「よくやった」
ハルパから解放された男は、彼女とハイタッチを交わした。
書き忘れてたので追記。
設定についてはぼくの過去書き込みを参照すること。
みんな、よろしくね〜