口に出していたのだろうか。そそくさと勘定を済ませ、出て行こうとするとサラリーマン、とびきりの笑顔を俺に向け、「じゃあね」と手を振った。
「そういう笑顔は女性に向けたまえ。笑顔の無駄打ちだ」と言って外に出たらそこは居酒屋のカウンター。振り返ると男子トイレ。
「……お客さーん、閉店でーす。……閉店ですよ」
またカウンターで寝てしまった。最近、酔って寝て目覚めると、夢だったのか現実だったのか妄想だったのか区別がつかない。確かめるすべもない。まあいい。生活に支障はない。あんみつをかき込んで、店を出る。
飲み会シーズン。最近は路上で吐いている奴を見かけなくなった。酒が弱い奴、飲めない奴は無理に飲みにつき合わなくなったからだ。
いまの年になっても、過去をやり直したいと思うことがある。だがもし過去の記憶をすべてなくしてしまったとしたらどうだろう。過去をやり直すというのはそういうことなのだ。
姉はよく、近所や親戚を引き合いに出して、旦那と子どもの自慢をしていた。女はひとと比べなくては自分のポジションがわからないからな。つまり女の幸せとは、相対的なものであって、絶対的ではないのだ。
ばかばかしい。本当に幸せな奴はひとのことを悪く言ったりはしない。幸せとは、性別や年齢を超越したところにあるのだ。
「自分の自慢や他者の批判ばかりで自分の間抜けさには気づかないのか気づいているが棚上げしているだけなのかどうかはわからないが、他者批判したら自己批判するかおのれの間抜けさをギャグにして相殺することだ。でないと自己客観化のできないただの間抜けで人生を終えることになる」
カウンター常連の若いサラリーマン。とびきりの笑顔をわたしに向けて言う。
「おーい、みち。刺身終了。オーダー止めて」
「りょーかいでーす」
サラリーマンに笑顔を返し、座敷席に急ぐ。
着物姿の女性店員。こなれた感じ。暑いが熱燗を一合頼む。蕎麦味噌をなめ、ぐいっとやる。気温に合った。ちょうどいい温度。さすが老舗。こういうところに差が出る。小松菜のおひたしも頼む。器がいい。津軽の金山焼というのだそうだ。冷や酒を追加。
辛味大根蕎麦が出てくる。いつ頼んだのだろう。記憶にない。まず大根おろしを入れずにひと口。美味い。大根おろしを入れて、豪快にすする。辛さが蕎麦の香りを引き立てる。新緑の季節にマッチした味わい。
蕎麦を食べ終え、残った大根おろしをそばつゆにすべて投入。それをつまみにして冷や酒を飲む。若いサラリーマンが一人、入ってきて隣のテーブルに。大根おろしを、冷や酒でやっつけてから蕎麦湯。デザートに、あんみつを頼む。隣に目をやる。サラリーマン。ちゅっ、ちゅっと、うつむき加減で蕎麦を吸いこむようにすすっている。
いくら味覚がしっかりしていても、食べ方がなっていないと味のわからない奴だと思われてしまう。ついでに育ちまで疑われる。職人になめられる。もったいないことだ。俺は若いころからあんな食べかたはしたことがない。
不意にサラリーマン。顔を上げ、蕎麦を咀嚼しながら、「自分の自慢や他者の批判ばかりで自分の間抜けさには気づかないのか気づいているが棚上げしているだけなのかどうかはわからないが、他者批判したら自己批判するかおのれの間抜けさをギャグにして相殺することだ。でないと自己客観化のできないただの間抜けで人生を終えることになる」と、こちらを見ずに、言った。
気づいたら七十を過ぎていた。長いようで短かった。短いようで長かった。むかし、人生とはゴムひものようなものだと言ってゴムパッチンをするお笑いコンビがいた。多分あれがゴムパッチンの元祖だ。
小さな町工場を定年で辞め、警備員などやってみたが、夏場など、思ったより過酷で、長続きしなかった。いまはパチンコ店の清掃係を週四でやっている。金はないが、のんきなものだ。ずっと独り身で、親はとっくに亡くなっている。きょうだいとは何十年も連絡をとっていない。
年をとったら、食欲も性欲もなくなる。老後の資金なんて心配する必要はない。年寄りに大金はいらない。足腰立たなくなって、病気になったらそのまま、自然のままに死ねばいい。
朝の五時に寝て、昼に起きた。好きな時間に寝て好きな時間に起きる。独り身はいいものだ。久しぶりに、蕎麦でも食おうと思った。駅の立ち食いなんかではなく、老舗の、美味い蕎麦。
田舎にいたころ、姉は、友だちも恋人も作らない俺をよく馬鹿にしていた。姉は結婚が早く、子どもと大企業で働く旦那の自慢ばかりしていた。まともな就労経験のない専業主婦で、保守的な価値観しか持たないくだらない人種の典型だった。
旦那が大企業で働いていて年収が手取り七〇〇万ぐらいだったとしても、嫁が働いていないぶんの損失を考えたら都会の平均的な共働き夫婦の総収入と変わらない。世の中に出て見聞を広めなければ子どもに多様な進路を提示してやることもできない。知らぬがなんとやらだ。
いまでもこのようにたまに思い出してむかつくことがあるが、言い返してけんかなどしなくてほんとによかった。愚か者相手にけんかしたらきっと自己に対する嫌悪感にいまでもさいなまれていただろう。けんかする価値もない愚か者。ファーストフードのハンバーガーが美味いと言っている人間に、割烹の旬の野菜を使った料理を食べさせても素晴らしさがわからないように、つまらない人間に俺のような優れた人間のよさはわからない。べつにそれでよい。好みの問題だ。
こんなことを考えているうちに、蕎麦屋に着いた。
「はーい。今日は最近、SNSで話題になっているパン屋さんに来ていまーす。……こちらのあんパンは一〇円。こちらのクロワッサンは五円。どうしてこんなにお安いんですかぁ?」
「腐ってるんです」
あなたは夢見る乙女。いつか白馬の王子様が現れると信じている。いっこうに現れないのは言うまでもない。ある日あなたはヨーロッパに行こうと思い立ち、ヨーロッパ旅行に出かける。なぜなら王子様といえばヨーロッパだから。レンタカーを借り、田舎道をドライブしていると、道の真ん中に白馬が現れる。あなたはあわててブレーキを踏み、車から降りて追い払おうとするが、逆に近づいてくる。白馬の毛は、つややかで、甘い香りがする。あなたはたちまち白馬のとりこになる。あなたの耳元で、白馬がささやく。
「わたしは白馬の王子です。あなたを迎えにきました」
いつの間にか、あなたは馬になっている。あなたと白馬は、軽くじゃれ合ってから駆け出し、森の中に消える。
年長者からの封建的支配が遠い過去のものとなった都市部の教育機関において、生徒たちが集団を律するために自発的に作った制度。卒業してからもついてまわる制度ではないため、かつての上位カーストが居酒屋のバイトとして低賃金で働いているなんてことは珍しいことでも何でもない。掃除の時間に何もしないでくっちゃべってたあの子も、いまでは毎日トイレ掃除をやらされているのですよ。
①村の掟を破ること。これをやると、良くて死刑、悪くて半殺しまたは追放となる。
②才能に恵まれた人物が成功後に語る物語のこと。凡人がこれを真に受けて真似ると、良くて死刑、悪くて半殺しまたは追放となる。
反対語 常識
子どものころ、他人は景色だった。いまは他人も人だ。
「俺なんか一生貧乏だ」
「死んでから実現するということはあり得ないから永遠に貧乏だ」
メディアと現実との調整がうまいからやりすぎないおしゃれができる。おしゃれさんは情報リテラシーが高いのだ。
「ハウスダスト、カビによるアレルギーは密閉性の問題。ハウスダスト、カビ自体が問題なのではない」
「洗濯物取り込んでなかった」
「言語を持たない人は行動が言語なのよ」
「ずれを調整する能力に長けているのがカリスマなのさ」
人前で泣く虫のこと。幼虫の時期には慰めてもらえるが、成虫になるとほぼ害虫あつかいされる。
前回に引き続きとても面白いです。
あの、自分も書いてみたいのですがタグお借りすることって出来ますか?
望月朔様、レスありがとうございます。どうぞ自由にお使いくださいませ。
面白いなぁ…!たしかに害虫扱いされるなぁ
ありがとうございます。使わせていただきますね。
【春。長雨。時期遅れの風邪。】
人間疲労しているときはマイナスの発言をしがちである。マイナスの発言をしている時、ふつう人は自分は疲れているのだなと自覚し、休む。常にマイナスの発言をしている者は疲れていることに気づきにくい。
【スポーツ番組。夜の。】
プロのアスリートを育てるのは監督でもコーチでもない。所属団体とスポンサーである。そもそもプロスポーツ界ありきでプロなのだ。プロスポーツ界がなかったら努力などしないだろう。プロを育てるのは資本主義なのである。
【バラエティ番組。昼の。】
最初は地でやっていたキャラクターもテレビ局側から求めいられるようになると地ではなくなってしまう。最終的に本人も地なのか演じているのかわからなくなり破綻する。破綻しない臨機応変さを含めた強さを持つ者が生き残る。
【健康番組。午後の。】
高血圧は自律神経系の疾患。高血圧の人は怒ったり動揺したりすると血圧が上がりっぱなしになってしまうため感情をコントロールしにくい。
長生きできない、病気になるのは不衛生な環境で不衛生なものを食べているから。過酷な環境そのものが問題なのではない。菌やウイルスの問題なのだ。
【スケールの小さい人間を相手にしていると疲れる。】
春。長雨。ミネラルウオーター。サイトカイン。発熱。ヘルパーT細胞。キラーT細胞。マクロファージ。B細胞。漢方薬。漢詩。春眠。睡眠。スウェットの染みたスウェット。シャワー。ロマンチックは妄想にとどめておけ。リアルでやったら狂気だ。リフ。リフレイン。テレビ。
わたしはなぜ生まれてきたのか。
たまたまだ。
わたしはスカートははきたくない。化粧にも興味がない。おかしいのだろうか。わたしは脳が男なのだろうか。
ファッションは文化だ。文化は後天的に学ぶもの。したがって、女性のファッションが好き、女装が好きといった趣味嗜好の持ち主イコール女性脳という考えかたのほうがおかしい。
生きることの意味は。
たまたま生まれてきただけなのに意味なんてあるか。人は意味で生きているわけではない。生命力があるから生きているだけだ。
たまたまなのかー。
たまたまだ。
たまたま。
たまたま。
たまたま。
たまたま。
昔、あるところに、おじいさんとおばあさんがいた。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯に行った。昔の川はきれいだった。おばあさんが洗濯をしていると、川上から大きな桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきた。ところでこのどんぶらこというフレーズを最初に使ったのは誰なのだろう。絶妙だ。おばあさんは桃を家に持ち帰り、おじいさんと食べた。桃はあまり美味しくなかった。桃を食べ終えるとおじいさんはおばあさんに、愛してるよ。と言った。おばあさんは、いつものようにきき流した。六〇過ぎて旦那に愛されているなんていうのは嫁にとってストレスでしかない。年をとると男性は依存的になる。何もできない小さな子供に愛されているようなものだ。これでは疲れてしまうだけだ。自分の生んだ子どもと違い無償の愛は注げないわけだし。
身体を動かしたくないのは体力が落ちているか体力がないからで、考えたくないのは脳の体力が落ちているか脳の体力がないからだ。
女性の男性ホルモンの分泌量は女性ホルモンの10倍。男性はその10倍。男性の女性ホルモンの分泌量は女性の2分の1。女性の男性ホルモンの分泌量は男性の正常値範囲の10分の1から20分の1程度。
わたしが憂鬱なのは花粉症だからで恋愛がうまくいかないからではない。
恋のせいではない。
きずなを形成、維持するのが水槽人にとっての結果であり成果なのである。勝てなくても頑張ったということは仲間のきずな形成、維持またはさらにきずなを強固にすることに貢献したわけだからいいのである。水槽人が大事にするのは結果ではなく過程。逆に頑張らないで勝ったら駄目なのだ。勝つことよりも、頑張りを見せることが大事なのだから。
ずいぶん遠くに来てしまった。彼ら、彼女らと遠くへだたってしまった。あのころよりも、はるかに友人は多いが、そのぶん冷たい人間になってしまったように思う。
戻りたくはない。ただあの小さな水槽はきれいだったなとふと思い出してみただけだ。
「……わるぐちを言う人は嫉妬心が強いのです。わるぐちは相手を下に見て相対的に上に立ちたいという意識の表れなのです。嫉妬心も見下したいも劣等感の表れです。
わるぐちを言っていっとき劣等感を忘れることができても、消すことはできません。わるぐちは麻薬です。言えば言うほどやめられなくなります。わるぐちはいずれあなたを滅ぼします。
わるぐちはいけません。身体は生きていても、心が死んでしまいます。
お茶にしましょう。甘茶です。頭がすっきりしますよ」
喜怒哀楽の激しい人間に共通して言えることは自己愛が強いということだ。
そうだそうだ。飛べ、ペガサス。
他者と接し、他者を記憶することで他者が内在化され自己客観化につながる。
フェニックスよ、情熱の炎でその身を焼き尽くせ。
自己愛を捨て多くの他者とのオープンな関わりを持たなければ社会や人間関係の深い理解は得られない。
スパークせよ、ドラゴン。その光で暗闇を照らせ。
自分に対する執着を捨てることだ。自分の考えかたに執着していたらいつまで経っても成長できない。
走れ、ユニコーン。そのたぎる血液で民を温めたまえ。
人を批判するのは自分に自信がない証拠。
ニンフよ。恐れるな。その目で現実を見るのだ。
本当の大人は自分の欠点を指摘されても笑い飛ばせる。
笑ってよ。メキシコサラマンダー。
文明が発達すると信仰は廃れる。なぜ信仰が廃れるのかというと合理的でないからだ。近代化とは合理化なんだよ。信仰が廃れることによって文明はさらに発達する。だが人間の気持ちはなかなか合理化できるものじゃない。合理化できるどころか、文明の発達によって生活が豊かになると、ロマンチックな恋愛を望み、結婚相手に妥協しなくなる。晩婚化が進み、少子化に拍車がかかる。
せっかくの休日に何をやっているのかって? テレビを見てゴロゴロ。ゴロゴロしながらテレビだ。しょうがない。金がないからな。テレビにも飽きた。久しぶりに本でも読みたいが、手元に本はない。図書館に行く気力もない。なぜなら今日は雨が降ったりやんだりして寒いから。
雨が降ったりやんだりするのを、神の仕業だと考える人はもういない。どういう仕組みで雨が降るのか、知っているからね。だが、知らないことについてはどうだろう。
原子力発電のことをきちんと理解している人間はそうはいないだろう。だが原子力発電を神のわざだと考える者はいない。わからなくても何らかの合理的な仕組みによってはたらいているのは自明のことだからだ。
オカルトの罠にはまってしまう、短絡的思考、単純因果論でしかものを考えられない人もいるが。
疲れたな。後悔はないよ。すべては運のなせるわざだ。人生なんて偶然の産物でしかない。
どこを見ても、俺みたいな年寄りばかり。つまらん世の中だ。
ちょっと眠らせてもらうよ。そうだな。目覚めないかもしれない。ははは。年寄りジョークだよ。
合理化できないから祖先信仰が廃れないのだろう。
かまってちゃんを本気でかまってくれる人はいない
なぜならかまってちゃんを本気でかまうのはめんどうだから
本気でかまってもらえないかまってちゃんはいつも不完全燃焼でだからますますかまってちゃんになる
本気でかまってもらおうと思ったらかまってちゃんをやめなくてはならないのだけどかまってちゃんにはそれができない
思考の始まりは沈黙である
沈黙とは
話さないことではなく
話すのをやめることである
自然発生的に出たものが主体の場合は、る。自然発生的に出たものでないもの(誰かの手によって作られた。運ばれた。並べられた。)が主体の場合は、れる。ている。
自生する。自生している。
売られる。売られている。
え? わたしは、る? れる?
大人に慣れてないで、原点にかえろう。
近交弱勢種が雑種と交配したりして近交弱勢種の特徴が消失してしまったりしていたころはまだ、春の訪れを告げていたのは春告げ鳥でした。
婚姻圏が拡大縮小を繰り返すうち暦ができ、春告げ鳥を意識する人はいなくなりました。
春告げ鳥は稲の実を食べたりしたので害鳥に指定され森の奥深くに押しやられました。
それでも春告げ鳥は春を告げるため早起きして鳴いています。
雨にうたれ羽毛が濡れそぼっても。巣穴に隠れることなく。
忘れないでください。春告げ鳥があなたたちの身近にいたことを。
いや、べつに忘れてもいいけどね。
日本に初めてチョコレートを伝えたのはポルトガルの宣教師ルイス・フロイスである。現在、日本で流通しているチョコレートとは違い、食料にとぼしい時期に庶民が食していたもので、あまり美味しいものではなかったようだ。信長に謁見するさい、あげられるようなものがほかになかったので(ルイス・フロイスは質素倹約が信条のイエズス会)ビロードの布に包み、なんとかプレゼントらしくして献上したとされる。信長がチョコレートを食べたかどうかはさだかではないが、このとき、バレンタインの風習も伝わり、豊臣秀吉がわざわざオランダから材料を取り寄せ作らせたものを淀殿に恋文といっしょに送ったのがバレンタインデーのはしりだと言われる。
秀吉の恋愛が成就したのはチョコレートのおかげかもしれないと考えると感慨深いものがある。
こんな話を作ってしまうぐらい暇な一日であった。
最近読んだ本に、女性の男性ホルモン分泌量は男性の十分の一(卵巣と副腎から分泌)。性欲はもっぱら男性ホルモンによるもの。よって性欲も男性の十分の一。とあった。なるほどそりゃあバレンタインに男子がそわそわするわけだ。女性の十倍だから。
イベントだし。と、大して好きじゃないけど仲のいい男子にチョコをあげようと考えスーパーに行った。自分の好きな板チョコが、安かった。買った。もちろん自分用じゃないけど。
帰路、ショートカットしようと公園に入ったら幼稚園の年長か小一ぐらいの、男の子がブランコに座って泣いてて、どうしたのってききたい衝動にかられたけど子どもとはいえ好奇心にまかせてたずねるのは失礼。トラウマになったら困る。さりげない感じで隣のブランコに座り。さっき買った板チョコの包みを開け、ぱきっとやって差し出した。男の子は、少しびっくりしたみたいだったけど受け取り、口に入れてずいぶん長い時間もぐもぐやってからのみ込んで、照れくさそうに笑った。つられてわたしも笑った。
二人、しばらく無言でチョコをほおばってブランコをきこきこやってたら男の子のお母さんらしきと妹らしきがきて男の子はいっしょに帰った。
だから明日はチョコは無し。
起きたら十一時だった。妹は、お母さんと出かけたみたいだった。
冷蔵庫を開けた。鰹のにんにく醤油漬けがあった。ご飯にのせて、もみ海苔をかけて食べた。いい感じだった。
テレビでベテラン芸人が、芸能界は少ないパイの奪い合い。人気芸能人のスキャンダルをリークすれば空きができる。と、コメントしていた。出かけようと思った。
財布に九〇円しかなかった。図書館に行くことにした。
入口近くに、春の本、と題したコーナーがあった。春告げ鳥、夜桜、桜町商店街マップ、春のアレルギー、春画の世界、梅の香、梅酢ドリンクで医者いらず。雑なチョイスだと思った。
背中をたたかれた。振り向いた。中学のときの同級生だった。向かいの、喫茶店に誘われた。「お金ないから」と断ったら、「おごるから」と、にこにこしながら言った。
「そんなわけにいかないから。ほんとにお金ないの」
「いいの。いつもおごってもらってたから」
喫茶店で、一時間ばかり話した。といっても、向こうの話にあいづちを打っていただけのような感じだったけど。話のほとんどは、彼氏と自分がいかにうまくいっていないかというもので、どうしたらいいかみたいなことをきかれるんだろうなあ。と思ってたらやっぱりきかれたので、「負けてあげる楽しさを覚えよう」と、コメントしたら、なんか目から鱗みたいな顔になったから調子に乗って、「折れない人は楽しい人生を送ることはできない」と、続けたら、あんま調子に乗んなよ。みたいな顔になり、「じゃ、これから彼氏とデートだから」と言ったので、「ごちになりました」と言って別れた。
帰り、スーパーで納豆を買った。たれとからしなし、七四円税込。どうして納豆なんだろう。と思ったが、そんな心理学を包含した哲学的なテーマについて考える気力はもはやなかった。
幼虫・成虫って(笑)サイコーです。
タグありがとうございます。LOCKワードバンク、ですね。
せこみちさんのようなクリエイティブさに自信はないのですが、なにか思い付いたら使わせてもらいますね。シリーズ楽しみにしています。