いじめの現実を自分なりに考えてみた
現実として、いじめは無くならない、と思う。
いつぞやのSEKAI NO OWARI LOCKS!でも言ってたけど、金魚でも、上下関係はあって上の金魚は下の金魚にエサをほとんど食べさせない、らしい。
だから、いじめは動物の本能なのかもしれない。RADWIMPS先生の「針と棘」の歌詞のみたいに。
僕だって気づかないところで人をいじめているのかもしれないし(僕がいじりだと見なしてやってたことが)、その線引きは難しい。正直、いじることは楽しいと思ってしまっているから、そういう意味では僕は加害者予備軍だし、すでに加害者かもしれない。
そのときのFukase先生がおっしゃっていた言葉。「いじめはカッコ悪い」と言っても意味がない。
これは本当に的を射ていて、自分がいじめているかどうかなんて分かるわけないし、まして本能だとしたら…。もし食欲とかと同種並列である位置にあったら。
こんなことを考えると、いじめが絶滅するとは、到底思えない。
だからと言って、断じて放置してはならない。
いじめによって命を絶ってしまう人も残念ながらいるから。もちろん、根本解決も大事だと思う。でも、その前に現実を考えて被害者へのサポートを徹底すべきだと思う。被害者を守ることは最優先課題だから。
手がいっぱいなのは分かる。でも、忙しくて、生徒のいじめをスルーして、自殺してしまったら。誰が得するのか。先生だって、自責の念に駆られてしまう、はず。生徒のために尽くすはずが、それが理由で生徒が自殺してしまったら。辛い思いをしたら。元も子もない。
冒頭でも述べた通りでいじめは残念ながら完全に「防ぐ」ことは無理と言っても過言ではない。でも、その悲劇を「減らす」ことはいくらでもできるはずだ。
だから、生徒ももちろんだけれども、「先生」と「大人」がしっかりサポートすることで悲劇を減らすことはいくらでもできるはず。テレビをみると幾度となく「いじめと認識していなかった」とかそういう言葉を見る。これではいけない。
いじめの悲劇を減らすために如何にすべきか。まだまだ考えないといけない。