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無題

ニュースを見てみなさんもなんとなく分かってると思いますが、北海道はこないだの台風10号で被害を受けました。特に南富良野町、新得町、清水町では甚大な被害を受けました。

僕が住んでいる地域は南富良野から車でおよそ30分の場所です。南富良野町では次々とやってきた台風により物凄い量の雨が降り、町を流れる空知川の堤防がけっかい、氾濫し、濁流が町並みを一変させてしまいました。
僕の住んでいる場所も避難指示や避難勧告が出ましたが、被害はありませんでした。

僕の家は自営業を営んでるんですが、その内容上、父親と兄はここ数日南富良野に朝早くに出ていき、夜遅くまで帰ってきません。特に父親は復興の中心に近い人間のようで、連日環境省や国土交通省、南富良野町との打ち合わせに追われています。

父親は南富良野で生まれ育ったため、復興にかける思いも大きいようです。

そして昨日一昨日は僕も家の仕事の手伝いで現地に行ってきました。テレビで見るより遥かに恐ろしい現実が飛び込んできて言葉を失いました。

作業していると、現地の方々が「大変なことを頼んですまないね」だとか、「めんどくさいことばかり頼んで申し訳ないわ」などと言葉をかけてくれます。我々は言葉は悪いですが業務の一貫として作業してますし、温かいご飯も食べれてるし布団でも寝れてます。そんな我々が現地の方から労りの言葉がかけられるとなかなか複雑な心境でした。

同業者さんも各地から応援に駆けつけて頂き、かなり助かっているようです。

父親と兄は疲れのせいか曜日感覚が狂ってたり手元がおぼつかなかったりしていますが、毎日無理のない程度に頑張ってほしいです。

現地の復興にはかなり時間がかかると思います。ボランティアが入り始めましたが、ボランティアセンターがうまく機能してないため効率の悪い作業が続けられているように思います。

なんかものすごくまとまりのない文になっちゃいましたが、被災地の復興を願う気持ちは変わりません。しばらくは休みの日は南富良野で復興に向けて微力ながらお手伝いしたいと思います。



長文すみませんでしたm(_ _)m

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軌道転換

自分は小3の時に地元の陸上クラブに入りました。運よく全道大会に出場したこともあります。

中学に進学してからも陸上は続けました。中学生のころは全道大会まであと一歩のところで届かず、高校でも陸上を続けようと考え、引退してからも部活には行き続けました。ランクの低い地元の高校に推薦で入ることにしていたので、勉強もせずに、ひたすら陸上に打ち込んでました。
そんななか、去年の3月。腰痛に悩まされながら練習中、走りきった流れで倒れ込んで、そのまま起き上がれなくなりました。腰にとどめをさしてしまったのです。後輩に助けられ起き上がりましたが、歩くのも辛い状況でした。
病院での診断結果は第5腰椎分離症というものでした。6ヶ月の運動禁止も命じられました。

高校に進学し、陸上部に入り、マネージャーとしてしばらくは活動してました。そして去年の9月下旬。運動禁止令も解けて少しずつ部活での運動量を増やしていきました。ですが12月上旬くらいから腰の痛みは再発。下半身にも痛みが出るようになりました。色々やってみたものの、よくなるどころか、悪化の一途をたどりました。

そして2月上旬。顧問と話をしました。

練習でも腰の痛みが出てくる。下半身にも最近痛みが出る。練習で痛みが出るようなら、陸上選手としてのモチベーションでもある記録を追い続けること、そして上を目指すことは厳しくなる。そうなってしまうと続けることは辛くなるので選手としての道は終わりにさせてほしい。

そんなニュアンスの話をして、選手を引退し、マネージャーに転身しました。

小、中の時のコーチたちにも同じ話をしました。泣いてくれたコーチもいました。
共に闘っていた仲間にも話をしました。みんなが悲しんでくれました。

このとても大きな軌道転換がいいのか悪いのか、当然今はわかりません。高校卒業後は陸上を教える身になれたらいいなと思います。

自分を支えてくれた色んな方たちに感謝しつつ、頑張っていきたいと思います。

言いたいことがぶれた気がしますが、長文大変失礼しました。