2016年5月13日の日記
高校生になってまともな先生に会えるかなって思っていたけど今までより賢くて自己中な先生で困るな。先生ってみんなにそう呼ばれるから調子に乗っているのかな?ひどいよなー
担任にせよ他の先生にせよ言動は同じ。客観的に見てしていることはおかしくないし多くの生徒は先生と上手くやっている。
何が嫌いかっていうと自分に選択肢を与えないこと。生徒のことを考えているだろうけど一から十まで先生が決めるってよく考えたら変だと思った。完璧にこなすというか準備満タンでやってくるから少しでも違ったら型に引きずられる。
普通は従えば楽できていいって思うだろう。今自分が考えていることは悲観的かもしれない。これはよく分からないだろうからもっと噛み砕いて言うとじっくりじゃなくてもいいから何がいいか聞いてほしい。話がしたい。だけど質問聞いてとか真剣に考えるとかじゃなくて、なぜ嫌かと言うと余計だから。つまり、いろいろしゃべると先生が勝手に決めてそのプランに乗って進みたい方向には行けなくなるから。「こっちのほうがいいよ」とか言ってくるだろうし何言おうと押し通される。先生の考えや言動なんて分からないからだから何されているのだろうかと不安になる。考えた上でだろうけどベストじゃない答えを押しつけられそうで嫌だ。
しかし先生が必要になる時期は当然ある。進路のときである。だから先生は情報を提供してほしい。俺の意見を聞いて〇〇大学の〇〇学部の〇〇みたいにここがいいよって絞って提供するんじゃなくて先生が蛍雪時代でも持ってきたりして自分で探して自分で決めたい。決めたからには応援してほしい。数値とか実績とか考えずに生徒の身になってほしい。先生が見つけるじゃなくて生徒一人一人が見つけることが一番だと思う。
話はずれたけど先生個人の判断と努力と準備と行動で完璧に物事をするんじゃなくてどこかでは生徒に任せることも必要だと思う。だから少しの違いだけで決まった型に
はめようとするのははっきり言って嫌だ。
確かに先生にアピールしていないから独断で決められるっていう考えはもっともと思うけど。