なんか昨日思った
今日の幸せは明日の不幸だと
幸せと呼べるゴール?
か分かんないけどある意味では一つの目指すゴールが幸せと仮定して
そこに繋がる道の作り方のヒントを沢山の人から情報から学ぶ
でも忘れちゃいけないのがそれはヒントであって
説明書ではない
人が話せる 情報が存在する
となると それは敷かれた道 その先の未来には大した価値はない
なんではシンプル
敷かれた道の上ということはその道の最終地点には敷いた本人が立ってる だから一生その道のトップに出ることはできない
だから道の作り方でなく ヒントなんだ
道のトップに出た取り分を得たいなら自分で道を敷いた方が早い
そうすれば始めたその瞬間からその道のトップは自分だからだ
忘れてはならない今この世にある情報の中に
幸せのなり方は絶対に無いという事を
情報はヒントでしかないんだ
人の話 ネットの話
これらの情報を集結させるだけではある一線の価値以上のものにはならない
自分で型枠を作り 自分のオリジナルの生地にその情報を少し混ぜて初めて情報はある一線の価値以上のものとなる
だから結局のところ誰が何を言って自分がどう思ってどうしようが
全ては 自分のオリジナルの生地次第
自分の作った形次第なんだ
そう思った昨日 今までは色んな人の情報に触れていれば新しいアウトプットが生まれると思ってた
でも
その情報というインプットで新しいアウトプットが
オリジナルの道だと
そのアウトプットを行うためのボタンは自動では入らない決して
情報というインプットを得て自分の道というアウトプットを自分の意思で行う
それが幸せのなり方だと
こうして幸せのなり方や定義はどんどん時代と月日を経れば変わる だから今日の幸せは明日の不幸
になってるんだろうって思う