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中2です!

今日は「あたくだ逆電」という事で、あたくだという言葉に自信をなくして砕ける側になってしまっている教頭に、私が思う当たって砕けろ精神の良さを熱弁したいと思います!
私は1月末に生徒会選挙に出るのでエールをください!という内容で逆電を頂いてそれこそ夢の「当たって砕けろ!」を教頭と一緒に、しかも一度の逆電で2回もやらせていただきました。あの時はただただ「中2高2にしかない伝統行事って憧れ!」というような気持ちで叫びましたが、よくよく考えてみるとあの時叫んだあたくだ、その後(今)の私にとってもすごい良かったなと感じています。
逆電を頂いた2日後が生徒会選挙の演説だったのですが、正直ちゃんと言えるのかものすごく不安でした。でも逆電後、よくよく「当たって砕けろ」の意味を考えてみると「望んでいた結果にならないかもしれないけど、勇気を出してチャレンジしよう!」という意味だということに気が付きました。
この考え方をすることによって、もし失敗したとしても心の傷は軽減すると思います。また、絶対「やらずに後悔」するより「やって後悔」した方が得だなと思うんです。
選挙の結果はおかげさまで当選でしたが(笑)、このあたくだ精神のおかげで乗り切れたところも少なからずはあるので「当たって砕けろ!」ってすごい大事な考え方だなと思いました。あの時叫べて良かったです。

「あたくだ」の良さについてちょっと語ったらこんなに長くなってしまいましたが(笑)、本当はもっとあるんです!笑
そして何より私は中2が終わる前に「当たって砕けろ!」と逆電で叫びたい!!笑

出演時間はあたくだのコール&レスポンス分の10秒だけでも良いので(笑)、逆電お願いします!!笑

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Perfume研究員の魅力

Perfume LOCKS!歴5年目の私が思うPerfume研究員の魅力はたくさんありますが、一番に出てきたのはあの”わちゃわちゃ感”です!
以前校長・教頭も仰っていましたが、Perfume LOCKS!はなんかいつも女子部屋を覗いている感じです!笑
3人のキャッキャした感じやこども、おばあさん、ネットショッピングのお姉さん、姫、英語教師、ニュースキャスターなど個性豊かなキャラクターが出てきたり、私が聴き始めた時から変わらずわちゃわちゃキャッキャして、聴いている方まで楽しくなるのはPerfume LOCKS!ならではだと思います!
私自身もその楽しさに沢山救われて、いくつもの壁を乗り越えられてきました。
私が初めて自ら聴いたラジオはこのPerfume LOCKS!だったのですが、そこで「ラジオってこんなに楽しいんだ!」ということを知り、今では将来の夢にまで繋がっています!
だからPerfume研究員、Perfume LOCKS!には本当に感謝しかないです‼泣

(そしてもしPerfume研究員に質問できるとするならば私が聞きたい事は、そのように楽しくPerfume LOCKS!を続けるうえで大切にしてきた”思い”はありますか?ということです。私はピアノを”上達したい”という思いで続けている
のですが、”上達”を感じられなくなっている最近は終わりが見えてきてしまっています...。そこでPerfume研究員が13年間楽し気に続けられたのは何か”大切にしてきた思い”があるのではないかなぁと感じて。
でもこの質問は出来たら、でいいので是非最初に書いた魅力だけは伝えさせてください!!!!)

是非直接Pefume研究員の魅力と愛と感謝を伝えたい!!
逆電待ってます!!!!

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2011.3.11

東日本大震災当時、私は4歳で宮城に住んでいました。
地震発生後、保育園から引き渡されて母と1歳だった妹とともに帰ったのは、物が散乱して天井にひびがたくさん入った家。もちろん電気や水は通っていませんでした。幸い私が住んでいた地区は津波の被害がありませんでしたが、たまたま父が出張中で、帰ってくるにも道路が寸断されていたり交通機関が止まっていたりしたので帰って来れず。。母一人の手で幼い私と妹の世話をするのは大変だったと思います。そこから何日間も水と電気の通っていない生活が続き、やっと水を供給してくれるトラック(?)が来たと思ったら7時間待ち。幼い私たちを連れて7時間待つことは出来ないので、お風呂に溜めてあった水や近所の人が水を分けてくださったりして、何とか堪え凌ぐことができたそうです。

当時のことは何となく覚えている程度ですが、あれから10年、我が家には常に水のペットボトルや懐中電灯などがたくさん備えてあるようになりました。私も宮城を引っ越してからはこの日について考える機会がどんどんなくなってきてしまっていますが、絶対に忘れてはならないことだと思います。
あの日犠牲になった方々も、元々は私たちと同じように生まれてきています。みんな平等のはずなのに、たまたま東北に居合わせた人を無差別に落としていく地震は憎くて怖いものです。私たちはそんな犠牲になった人たちの分まで、毎日に感謝しながら生きるべきなのではないかなと思いました。