「推しは好きでも、推しに依存する自分は嫌い」
こんなこと書きこんでいいのか分からなくて、でも誰かに聞いてほしくて、分かるよって言ってほしかった。今日のテーマに背中を押されました。書きます。
私には推しがいるのですが、最近自分の生活や趣味が全部その人を基準にしてしまっている気がして息苦しさを覚えたんです。自分は全然興味のないことなのになぜか興味がわいてしまって、でもその興味はあくまで自分ではなくて推しの興味であって、私はそのものの奥にただ推しを見ているだけなんです。
たとえば「推しに影響されて私もこのバンド好きなんです」とか言ったら本気でそのバンドを見てないからそんな「好き」なんてそのバンドに失礼だし、なによりふと我に返ったときに本来の自分の趣味とか精神的な軸とか、とにかく「自分」というものがどんどん空洞になっていく感覚があるんです。
だからほんとにここ2,3日はちょっと推しから距離を置いていて、自分の好きな音楽を聴いたり生活の質を異常に高めたりして、少し自分の内側に目線を向けて大事にしていました。実際少し自己肯定感が上がった気さえしてます。でも、私は学校に友達がいないんです。分かち合って、共感して、さらにその世界を広げてくれる人がいなんです。だから寂しくなっちゃって、全力で推しを推せてた間は一人でも全然平気で、気づかない間に推しに依存していた自分に気づかされました。
でもその推し本人は新しい趣味を人と分かち合って順調に自分の世界を広げているから、それを見てちょっとむかついちゃったんです。妬ましさとでもいうんでしょうか、推しに対してこんな感情を持つなんて、もう自分の中ではありえないほどの衝撃です。最近は本当にこの悩みでこんな風に感情が二転三転してます。
別に推し疲れて推すのをやめたいというわけじゃないんです。今でも変わらす大好きだし全力で応援したいし、11月のライブはもうめちゃくちゃに楽しみにしてます。
ただ「推しは好きだけど、推しに依存する自分は嫌い」という現状です。
推しって何なんでしょうか。自分を大事にしつつ推しも応援できるような、適切な距離感って何なんでしょうか。これを誰かと徹底議論したいです。ご意見お待ちしております。