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Speaking

さっきの続きです。

祖母の故郷である熊本に車で14時間かけて行きました。すごく田舎で、本当に何もなくて人も全然いない所です。山の中なのでめちゃくちゃ空気が良く、80歳を超えてるオジサン、オバサンはすごく元気でした。でも、何を言っているのかが全然分からないんです。方言がすごくて、父とかいとことかが通訳してくれてやっと会話できるって感じなんです。だから、オバサンが笑いながら話をしてるんですけど、何を面白がっているか分からなくて逆にめっちゃ面白いっていう現象になってしまいました。しかも、オバサンの笑い方が私がゲラを発動させてしまう笑い方だったので余計面白かったです。東京にいるいとこには会えなかったんですが、写真を見せてもらいました。ものごっつい。。ジェーン先生並みにピアスが開いてるんですよ。髪も染めて、私が知ってる頃と全然変わってたんです。でも、それは見た目だけでオバサンが言うには中身は「まだ人間」らしいです笑。私が会いに行きたいって言ったら「いつでもいいよ」って言ってくれたので絶対会いに行きます。熊本の親戚はみかん農家なのでみかん畑に連れて行ってもらいました。「どこ行くの!?」ってくらい山の中に入っていって、『ポツンと一軒家』みたいに車でギリギリのところを走るみたいな感じでした。着いたのは山の頂点で、景色がちょっとおかしいくらいすごかったです。車のナビからも外れていました。みかんの量もだし、そこにあった全てが感動でした。そこでお弁当を食べて帰りました。空気が良かった。。山も海もあるところなので、夏は釣りをするんです。だから来年は釣りをしに行きます。みかんも「好きに持ってけ」と言われましたが、好きなだけ持って行ってもその倍の倍の倍の倍くらいあるので、また送ってもらいます。

まだまだ話したいことはあるんですが、もうすでに長いしもっと長くなるのでここまでにしておきます。

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メメント・モリ

私のこと話させてください。

祖母が亡くなって、今日で1週間が経ちました。ちょうど私は先週の水曜日から3日間期末テストで、お昼に帰ってきていました。本当に突然祖母が入院していた病院から「嘔吐したのですぐ来てください」と言われ、母がすぐに病院に向かいました。それまでは体は弱っているものの、このままいけば退院できると言われていました。コロナの影響で子供の面会は禁止、大人も1日1人で15分。私が最後に会ったのは救急で搬送されて、面会禁止の部屋に行くまでの時間でした。その時祖母は全然しゃべれなくなってて、「帰ってくるんだよ」って言ったら少し体を動かすだけでした。それから少し回復し、面会も少しの間ですができる部屋に移りました。家族で「何だかんだ言って帰ってくるんだよなー」って笑って話してた矢先でした。お昼に連絡があり、母が病院に着いた頃にはもうダメでした。「大丈夫」ってお医者さんも言っていたのに、大丈夫じゃありませんでした。その時お昼休憩で帰ってきていた父が一度仕事に戻ると言って家を出て行ったとき、私は少し泣きました。泣いちゃいかんと思いながら泣きました。そのあと、弟が帰ってきて亡くなったことを伝えるときはすごく辛かったです。しばらくしていつもの服装を着せられて、祖母は家に帰ってきました。寝ているようでした。いつもの寝顔で少し安心しました。それからしばらく火葬までの4日間くらいは家にいて、みんなと一緒に過ごしました。いとことかも鹿児島から来て、顔をみました。必ず「寝ている顔みたい」と言いました。祖母は明るい性格だったので、しんみりせずに送ってあげようと言って最後まで明るくできました。

重くなってすいません、、。次の書き込みは多分明るめです。