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3.11 震災の日のこと。

10年前の今日、当時4歳だった私。
その日の記憶は断片的ですが、はっきりしているところも多いです。
勝手ですが、そのときの事を書かせてください。
2時46分、幼稚園からバスで帰ろうとしていて、園児は全員揃っていて
「あとは運転手さんが来ればすぐに出発」という状態でした。
その直後バスが大きく揺れて、先生が
「地震です!みんな降りて!」みたいなことを大きな声で叫びました。
私は何が起こったのか整理できないまま、バスを最後に降りてみんなで近くの小学校の3階に逃げました。
その幼稚園は大きな川の近くでした。津波は直接は見ていません。
天気が悪くて寒い日で、そこに泊まると聞いたときは本当に絶望しましたし、頭の中がこんがらがっていました。
幼稚園の硬いカバンを枕にし、薄い布を布団にして寝たあの感覚を今でも鮮明に覚えています。それから、夜中に目が覚めたときに見た先生たちの何かを真剣そうに話し合う姿。
それから翌日、父親が迎えに来てくれて、無事帰りました。そのとき一緒に避難した皆も無事だったそうです。
避難した小学校を出た瞬間、
大人の人の膝まで浸かった真っ黒い水と、たくさんの瓦礫でとこが道なのか分かりませんでした。
私の家族は、近くにある高台の親戚の家へ避難し、全員無事でした。
でも、そこから見た変わり果てた街並みにショックを受けました。
建物がほとんど残っておらず、土だけが広がっていたのです。

その後しばらくして、(転入先の)幼稚園へ向かう朝。
元々通っていた幼稚園のバスが、大きな川に突っ込んでいました。

10年が経過した今、改めて考えると「出発の時間があと少しでも早ければ。」と考えるだけで怖くなります。
だからこそ私がこうして生きていられるのは当たり前ではないと思います。
SOL!の生徒の皆さんにも、
「自分が背負っているのは自分の人生だけではない」ということを考えていただけるとありがたいです。
私もこの10年という節目をよく考え、地元のために、人のために、頑張って行こうと思います。

長くて拙い文章を読んでいただき有り難うございました。

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3.11

覚えてる。
なにもできなくて、ただ怖くて、おばあちゃんにしがみついてた。
緊急地震速報の音、テレビ越しに街が津波に飲み込まれていく様子…。
幸い、自分たちの地域には大きな被害はありませんでした。
でも、水も電気も使えなくて辛かったし、
なによりも寒かった。

だけど、それでもみんなで助け合って夜を共に過ごしました。
私の家はお店を開いているので、食料や飲料などはある分全てをご近所さんに分けていた記憶があります。

そして、その日はみんなの温かい言葉で満ちていました。
「大丈夫だからな!」
「心配しないで」
「一緒に頑張ろうね!」

震災の記憶を思い出すのは辛いけど、
あの日、みんなで一致団結して協力し合い、お互いがお互いを思いやって、助け合っていた瞬間を思い出すととても胸が温かくなります。

今もコロナで大変なことが世界各地で起きているけど、きっとお互いがお互いを思い合い、助け合っていけば、コロナが流行る前には戻れないかもしれないけど、新しい日常にきっと向かえると思います。
自粛や予防など、これまで自分で出来ることはみんな頑張ってきたから、これから先は1人じゃなくて、みんなで支え合っていくことが必要だと思います。


あともう少し、みんなで乗り越えようね!