表示件数
0
3

よしなし

「子どもはピーマンが嫌いである。少なくとも食べていきなり好きになった人はいないだろう。なぜなら子どもの腸内にはまだ野菜のアルカロイドを分解する菌が育っていないからである。野菜の苦味は毒素と考えてよい。もちろん野菜を食べることで育つ。母乳の影響もあるだろうが。
 子どもに好き嫌いをしてはいけないというが、そもそも日本人の腸はピーマンなど外来の野菜を分解するのに向いていない。ピーマンやほうれん草が嫌いな子どもがいても蕪が嫌いな子どもはあまりいないだろう。トマトも野生種に近いような酸味の強い種が敬遠され甘い物が志向されてきたのは日本人に合うからである。
 ピーマンのような凶暴な文化を取り入れなければ大人になれないのが現代社会である。メタファーとしてのピーマンを、わたしは食べることができたのだろうか」
「おじさん、急いでるから早くしてくれる?」



「はーい。今日は最近、SNSで話題になっているパン屋さんに来ていまーす。……こちらのあんパンは一〇円。こちらのクロワッサンは五円。どうしてこんなにお安いんですかぁ?」
 レポーターがマイクを向けると、感情移入を拒絶する爬虫類の目で店主は言った。
「腐ってるんです」



「人類だってバクテリアから進化したものだ。バクテリアにだって意思はある。人間の意思はバクテリアの延長だ。それを自動機械ととらえるかどうとらえるかは自分しだい。バクテリアの記憶も脳の記憶も筋細胞などの記憶も同じものなのだ」
「君がそのバクテリアなのだ」
 だそうだ。


 久しぶりに銀座に出た。老舗デパートのレストランでフレンチを食べた。料理を写真に撮り、インスタにアップした。
 冷たいものが飲みたくなったのでコーヒーショップに入った。学生時代の友だちから、ラインが来ていた。結婚するのだそうだ。適当なスタンプを送っておいた。
 父からラインが来ていた。スルーした。
 ワンピースを買った。帰宅してから、インスタにアップした。いいねがたくさんついた。
 バスグッズを並べて撮影し、インスタにアップした。
 髪を乾かし、ネイルを落としながら動画を見ていたら眠くなった。寝不足が続いていたので、早めに寝ることにした。
 ベッドに入り、朝から一言も発していないことに気づいた。

0

わたし

 通学途中、駅のホームで、わたしを凝視している中年サラリーマンがいるなと思ってよく見たらわたしだった。
 そんなばかな、わたしはここにいる、だいいちわたしは男ではない、中年でもない、女子高生だと自分に言いきかせたが、どう見てもその中年サラリーマンは自分なのだった。
 中年サラリーマンが近づいてきた。
「僕じゃないか、何やってるんだ。こんな所で」
 わたしはショックで言葉を発することができなかった。
「まさか僕の前に現れるとはね。……とにかく家に戻ろう。まいったなぁ、今日会議なのに」
 中年サラリーマンがわたしの手を握り、引っ張った。わたしが振りほどこうとすると、中年サラリーマンは声を荒げて言った。
「いい加減にしろ! 君は僕なんだぞ」
「どうしました?」
 若いサラリーマン三人組がわたしたちの間に割って入った。
「いや、この子が……」
 中年サラリーマンが説明しようとする。
「お知り合いですか?」
 三人組のなかの先輩っぽいのがわたしにきいた。
 わたしは首を横に振った。
 先輩っぽいのが目くばせした。中年サラリーマンは、後輩っぽい二人にがっしり肩をつかまれ、先輩っぽいのに先導される形でホームから消えた。
 電車に乗り込むと、一気に力が抜けた。わたしはバッグからコンパクトミラーを取り出して開いた。わたしが映っていた。わたしはわたしだった。もう大丈夫。

0

クーデター

「わたしは流行に左右されないの。
 って。
 むかしの流行引きずってるだけでしょう。
 つまりだからあなたも流行に左右されているのですよ」
 知をともなわない想像を妄想という。
 ある先進国の出来事。自己効力感が得られる場所が職場以外にない五十代の男がつい暴走してしまう。派遣社員の若者に声を荒げて五分少々、ヤンキーが因縁つけるがごとく詰め寄ったのだ。したらさすがいまどきの若者、すぐには反撃せず、その場から逃げ、男の上司に相談。男は上司より年上であることもありなかなか興奮がしずまらなかったが、なんとかなだめられその日は落ち着いた。
 さて翌日、男は上司に呼ばれ、上司のさらに上司に叱責される。もちろん男は納得いかない。悪いのはあの若者だ。だいたい日頃から態度がなっていない。社会の先輩として教育してやらなければ。と、若者をいじめるようになる。若さに対する嫉妬があるから執拗さがパない。若者は退職する。
 一年後、クーデターが起き、先進国は軍事国家となる。クーデターのリーダーは例の若者。若者は、五十代になったら試験をパスしないと若者に発言できないという法律をつくる。男は、不満分子としてとらえられ、処刑されてしまう。
 エピソードに言葉のタグづけをすることで記憶は長期にわたって保存される。
 人口の少ないところに住んでいたら自意識過剰にならざるを得ない。

0

カカユキヤカハ食べたことありますか

 花火が鳴った。祭りが始まったのだ。僕は一日ベッドで本を読んでいたかったが、妹にカカユキヤカハをせがまれていたから、しぶしぶ着替えて、会場の公園に向かった。
 ゆあを中心とした派手なグループが、ステージの前でわいわいやっていた。ゆあの二つ上の彼氏のバンドが、演奏するのを見に来たのだ。ゆあがカカユキヤカハを買っている僕を見つけて、近づいて来た。
「ひと口ちょうだい」
 ゆあが言った。僕はそういった不衛生なことは嫌だったのだが、ゆあは勝手に袋を開け、手を突っ込み、カカユキヤカハをちぎった。暑さで少しとけかかったカカユキヤカハのかけらが、口の中に消えた。ゆあはマニキュアを塗った指を舐めると、グループに戻った。バンドの演奏が始まった。僕はステージに背を向け、帰路についた。
 リビングで人形遊びをしていた妹にカカユキヤカハの袋を渡すと、妹はすぐに袋を開けた形跡があるのに気づき、「お兄ちゃん、つまみ食いしたでしょう」と、からかうように言った。
「うるさい。買って来てやったんだから文句言うな!」
 つい怒鳴ってしまった。すると妹はびくっとしてしばらくフリーズしてから、「お兄ちゃんのばかぁっ!」と言って隣の部屋に行ってしまった。
 僕は、あははと笑った。認知的不協和を払しょくさせるための笑いだ。
 本を閉じて、天井を見上げた。僕に妹はいない。カカユキヤカハなんて菓子も存在しない。

5

或秘密結社入口会話仲間不仲間見極合言葉(馬鹿長)

「こちらは創業何年になるんですか」
「今年でちょうど、三百年になります」
「ご主人は何代目ですか」
「初代です」
「iPhoneのパスワードは」
「3150、さいこお です」
「好きな音楽は」
「椎名林檎一択」
「本当に?」
「坂本慎太郎とチバユウスケ」
「きゅうり好きですか」
「アレルギーです」
「トマトは?」
「今ポケットの中に」
「今何時?」
「マクロファージ」
「ここはどこ?」
「南ブータン村」
「色即是空」
「不規則に食う」
「空即是色」
「食う得レシピ」
「一切合切全ては空」
「実際問題食えれば食う」
「…せーのっ」
「「お父さんいつもありがとう」」
「からの?」
「「アミノ酸+オリゴ糖」」
「海!」
「川!」
「齋藤!」
「飛鳥!」
「かわ!」
「いい!」
「写真集買った?」
「買いました!」
「どこで?」
「もちろん!」
「「Amazonで!」」
「…」
「…」
「スパイナンバーを言え」
「3928です」
「本当は?」
「7です」
「いいだろう。入れ」
「あの…ホントにこれって必要ですかね?」
「しょうがないよ。上の命令だもん。」
「ですよね。お疲れ様です」
「今度飲み行くか」
「良いですね。」
「…!」
ーーーーーーーーーバキュンーーーーーーーーー
「結構情報漏れてるな…。あと少しで入られるところだった。」
情報管理が大切な時代ですね。と、マダムは笑った。

2
3

マリオネットガール

 脳のネットワークが単純なうえにオッドアイ──右目がブルー、左目がブラウン──であるわたしは、上京して数か月、ずっと孤独を噛みしめていた。
 ある日の夜、たまには都会的な気分を味わってみようと洒落たかまえのイタリアンレストランに入ると、ピエロがカウンターでマリオネットを操っていた。白塗りの、赤鼻をつけた定番の。
 客はわたしのほかに一人もいなかった。マリオネットからメニューを受け取り、しばらく考えて、瓶ビールとパスタを注文した。ピエロは瓶ビールをカウンターに置くと、キッチンに立ち、調理を始めた。
 ビールを飲みながら、ちらちらとピエロを盗み見た。頬の輪郭、胸のふくらみ、腰まわりから女性だとわかった。パスタを食べ終えてから、ビールを追加し、舌がなめらかになったわたしは、「女性のピエロなんて珍しいね」と言った。するとピエロはわたしをじっと見つめ、舌ったらずな口調で、「偏見を持たれがちな見た目のあなたでも偏見で人を見るのね」と言った。
 わたしはおそらく、驚いた表情を浮かべていたと思うが、ピエロは頓着せず、わたしを凝視し続けていた。澄んだ瞳で。
 まだ子どもなのだ。少女なのだ。はっきり臆せずものが言える段階に彼女はいるのだ。
「年はいくつなの?」
「十四」
「十四か……それくらいの年に戻りたいな」
 わたしはため息をついて言った。
「戻って、どうするの?」
「ダンスがしたい。わたしが育ったのは田舎で、学校にダンス部とかなかったから」
「それから?」
「さあ……そうね……永遠に、踊り続けていたいかな」
 うつむいてそうこたえると、ドアが開いて団体客が入ってきた。わたしはメニューを持ってカウンターから飛び降り、団体客のテーブルに向かった。
「このマリオネット、左右の目の色が違うのね」
 団体客の一人が言った。
「珍しいでしょう。気に入ってるんです」
 わたしは少女の足元で、盛大に踊った。
 

0

ヴィーナス

 脳のネットワークが単純なうえに知識、経験のインプットもない田舎者である俺は、上京して数か月、ずっと孤独を噛みしめていた。
 そんな俺がある日の夜、たまには都会的な気分を味わってみようじゃないかとしゃれたかまえのイタリアンレストランに入ったところ。
 カウンターの向こうに、女神がいた。
 後ろで束ねた長い黒髪、澄んだ瞳、豊満な乳房、豊かな腰まわり。ふっくらとした唇。
 メニューを持って微笑む彼女を白熱光が照らす。
 ひと目で恋に落ちた。
 常連になり、彼女の大学生活の話や悩みなどをきいたりするような仲になって、自然に連絡先を交換した。
 のだが、何度デートに誘っても、予定がある、とかわされてしまう。
 あきらめかけたころ、夜勤明け、眠れなかった俺は、そういえばランチ営業もやってたなと思い、店に行った。
 俺は驚いた。
 彼女がいた。
 夏休みなので昼も入っているのだと言う。
 俺が驚いたのは昼働いていたからではない。
 ノーメイクだった。
 ノーメイクの彼女はまるで地蔵のようだった。
 いや、地蔵そのものだった。
 彼女が動揺している俺に追い打ちをかけるように続けた。
「わたしはあなたのおじいさんの代から村にまつられている地蔵です。わたしはあなたのおじいさんに、都会に出た孫が心配なので守ってほしいと頼まれ、やってきたのです」
 俺はパスタを注文し、待つ間、彼女が忙しく働く姿を目で追った。この店に来ることは、もうないだろう。

2

巨大積乱雲がふつうの積乱雲になって空はこころなしか高くなり

欄干から見下ろすと

制服姿の君が自転車を押しながら手を振っていた

本当に好きになってしまうとものにしたいという気持ちより嫌われたくないという気持ちのほうが先立ってしまうって君の言葉を思い出し

僕はなすすべなくすべすべの君の焼けてない頬に手をふれるイメージにひたった

落ちこぼれの僕は覚えようとしても覚えられないことばかりなのに忘れようとしたことは覚えている

気づいたら君は僕の後ろにいて

強い風に長い髪をなびかせてた

口に入りそうな髪を僕は指先でよけてやり

ついでに毛先から髪をすいた

髪は毛先からすくのが美容師のやりかたなんだ

うん

知ってた?

うん

ううん

僕のこと好きだろ

うん

ううん

女は生殖にコストがかかりすぎるから脳に作用するホルモンの合成が男性に比べると劣るんだって

男っぽい女性でも男性に比べると不安が大きいのは男性よりもセロトニンが不足しがちだから

不安が大きいから依存的になって結婚願望が強くなって結果的に結婚して妊娠出産という形になるわけだから上手くできてるんだって

ママが言ってた

すべてはささいなことだと

すべすべの頬を手の甲で撫でながら思った

大人になったつもりだったが

もやもやがつのってただけだった

もやもやは上昇気流に乗って

来年の積乱雲になるのだそうだ

薬飲まなきゃ

人間は記憶の生きものだから薬の効果で気分が上がったところで長続きしない

僕は彼女の手から錠剤を奪って川に捨てた

自転車のベルにはっとし

僕は鞄を肩にかけなおして

バス停に向かった

気だるそうな長い列が

バスに吸い込まれ

マフラーから吐き出された

吐き出された人たちは

上昇気流に乗って雲になり

雨を降らせた

雨に濡れながら僕は

今日は会社を休もうとスマホを取り出した

夏が終わる

1

恋に落ちて

 男がロバに乗って旅をしている。男は預言者である。なんてことはなく、腹の突き出た、ただの中年男である。
 人間はなぜ自由意思があると思い込んでしまうのだろうか。それは可能性を妄想することができるからだ。
 そんなことを考えて、にやにやしているところに、質素な身なりの、まあまあの美女が現れる。男はロバから下り、手綱を引きながら女に近づく。女が微笑む。
「乗るかい?」
「いいの?」
「そのつもりだろ」
 二人はロバに揺られながら、話を始める。
「おじさんは何の仕事してるの?」
「油を売ってる。さぼってるって意味じゃないよ」
「油商人ジョークね。……わたし、旅行が好きなの……海外行ったことある?」
「台湾とニューヨークに行ったことありますね」
「わたしはない」
「ないんかい」
 不意に女が口をつぐむ。男が振り返ると、女は懇願するような目で男を見てから口を開く。
「わたしの身体に油をかけて火をつけて」
 男は動揺して、「なぜ」と問う。女は続ける。
「この世のすべての不幸はわたし発信なの。わたしが死ねば不幸の種が消える。一人の犠牲で世界が救われるの。お願い」
 男は女を見つめて言う。
「俺は世界より目の前の愛する人間を優先する」
 表情から、女のハートに火がついたのがわかる。
 男が満足して前を向き、崖っぷちに来ていることに気づいたときにはもう手遅れ。男と女はロバとともに谷底に落ちていく。