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あの日のこと

ただただ不安でいっぱいだった
もっと出来ることがあっただろうに自分のことばっかりで情けなかったな

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東日本大震災

中学1年の春に、おじに誘われ、宮城県石巻市を訪ねました。第一印象は、復興は進んでいないなということ。がれきの山があちこちにあり、言葉を失いました。
僕自身は、小学校6年の時震災を経験しました。とても大きな揺れに驚き、大きな恐怖を覚えました。群馬県に住んでいるので津波の心配は無かったけれど、家に帰ってニュースの映像を見た時には、テレビの前から離れられませんでした。
震災から5年経つけれど、まだ復興はあまり進んでいないのではないかと僕は思います。未だに仮設住宅で暮らす人、地元にすら帰れない人、辛い思いをしている人は沢山いると思います。出来ることは限られているかもしれないけれど、この事を忘れず、語り継ぐことは、絶対にしなければならないと思うし、経験者としての義務だと思っています。

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あれから5年

2011年3月11日14:46、この日は金曜日でした。そして2016年3月11日14:46で5年が経つ。曜日は金曜日。まったく同じ時間の流れを過ごすことになる。全国の人々がどう過ごすかわからないけど、5年前のことを忘れずに過ごしてほしいものだ。

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震災から5年

未来新聞読んで、震災を経験した人たちは今ものすごく頑張ろうとしていることを感じた。その分、自分はなにもしていなかったんだなって思った。なんか、被災者の話を聞いてるだけで終わってる気がする。
でも、この未来新聞を読んで、自分の出来ること探したいと思った

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確かに

確かに、先生やニュースキャスターは
3:11は忘れてはいけないってよく言う。
また、3月11日だけ、震災の特集をして、その時だけ、忘れてはいけないって言ってる。
それで良いのかな。

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私たちができること

私の住む山形県には被災した方が避難しにきて、今もたくさん住んでいます。
私は小学4年生の時に震災を経験しました。新学期から私のクラスには福島から男の子が1人来ました。私たちは幼いからもありますが思いやりの心で今までもずっと友達だったかのように仲良くしました。その男の子の心の支えに少しでもなったならよかったです。
その男の子は頭が良く、自分の可能性を広げるために、6年生に上がる時に埼玉県へ引っ越しました。
避難してきた方がたくさんいるこの山形県では、住む場所や食べ物を与えるだけでなく
あたたかく大きな心で迎えてあげられた。
そんな人たちが少しでも安心して暮らせるようにできたのだと思います。

ガレキが片付いても心までは機械ではどうにもできない。人と人との繋がりを再確認するのに、震災から5年のこの日がぴったりだと私は思います。

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3月11日

5年たって、忘れるなって言うのはたしかによく聞くんだよね。被災地を知らない金しか見てないおじさんとかの会議するより先に、もっとするべきことがあると思う。
私は何も知らなかったな。無知だった。今年は、聞き手から変わろう。行動しよう。少しでも、貢献したい。

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初めての気持ち

今のメッセージを聞いて、不思議と涙が出てきた。
いつも当たり前にいる人がいなくなったら、、、。
まだ一緒のやりたいことたくさんあるのに、、。
ちゃんと感謝の気持ち伝えられてないのに、、。

私自身、縁があまりないし、場所も離れすぎてるという言い訳であの日のニュース見ても、その後5年経った今でも他人事のように考えてたけど、今日少し成長できた気がする。

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震災から5年

震災から5年が経ちます。
当時高校1年生だった私も、今は大学3年生です。
大学入学を機に東京に移り住み、
就職活動を機に、客観的に故郷である福島を見つめ直しています。
ミーハーな気持ちで東京にずっと住みたいと思っていましたが、この歳になって福島のために働きたいという気持ちが強くなっています。
どんな形で、どんな仕事を通して故郷に貢献できるのか。
震災のノウハウは、それを経験してきた私たちしか知り得ないことです。震災を受けた故郷のために、そして今後震災を受けるであろう日本各地のために、自分の気持ちを大切にしたいです。

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今も後悔してる

うちのあたりは東北ほどの被害はなくて家にいたけど、中途半端に被災したこともあり自分のことで手一杯で何もできなかったことを今も後悔してます。そのころ小学生だった私は募金くらいしかしませんでした。今思うと物資の支援とかボランティアとかもっと出来ることがあったんじゃないかと今も思っています。