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3.11〜日々の生活のありがたさ〜

明日3月11日午後2時46分、あの日から5年が経つ。正直言ってしまうと、あの日のこと、僕の頭から徐々に消えつつある。今日、授業を聞いて、僕らと同じ年代の人たちは、どんなに時間が経とうともあの日の記憶を消せきれない苦しさ、被災地以外の地域の人たちの無責任な配慮が被災地の人たちに迷惑をかけていること、そして、日々の生活のありがたさを感じた。
あの日、東北には巨大な津波や原発事故に襲われた。未曾有の大災害と言われるくらいの甚大な被害を被った。そして、日々の生活を失った。でも、僕が住んでる三重ではなんも影響なかった。強いて言うなら、テレビに津波のことや被災地の状況がながれ、ニュース以外の番組が放映自粛になっていたくらい。今日の授業でやっぱり日々の生活は大切なものなんだと感じた。中学の仲間と部活をしたこと、高校の仲間と毎日受験勉強を励ましながらやってきたこと、好きな人と出会い、お互い笑い合いながら話してたこと、全部被災してないから当たり前になっていた。でも、これらのこと、被災直後はもちろん不可能だったことも、改めて感じた。
正直、僕1人で被災地をどうすることもできない。募金に協力したりすることしかできないと思ってる(それも大事なことだけど)。でも、被災した実際の僕らと同じ年代の人たちに「毎日の生活は当たり前じゃない」と聞いた今日の授業。ならば、毎日の生活に感謝しようと思った。仲間と話せること、帰れば親がいる、飯が作られている、浪人決めて、塾のお金を払ってくれること、全てに感謝すること。明日はこのことを考えて過ごそうと決めた。

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原発

自分は原発がたくさんあるとこに住んでます。
あの事件以降原発は停止や廃炉などで稼働していません。
稼働していれば不安なことがたくさんあります。
その気持ちもわかります。
でも、止まってたら地元は活性化しません。
人も来ません。
原発頼りにしすぎと思われるかもしれません。
あの事件前までは動いており地元は活性化してました。
今日また原発が停止しました。
あの事件が怖くて動かしてるのが不安かもしれません。
しかし、むやみに稼働停止にしないでください。
少しは地元の人の話を聞いてください。
原発が動いてるおかげで生活が少しは豊かになる人もたくさんいます。
その人の話も聞いてください。

自分で何言ってるかわからなくなってしまってるけど、とにかく否定的な話だけでなく住民の言葉にも耳を傾けて。

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腹を括って生きる

いつもは勉強とかしながら聴いてるけど今日は部屋の電気消してベッドで目閉じて考えながらSOL聴きました。 生徒の言葉と校長教頭の黒板から感じたこと思ったことを行動にしていきたいです。今から未来新聞読みます。

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明日で

僕は今日の授業を勉強をしながら聞いていました
でも、東北の生徒の本当に意思の伝わってくる言葉、校長、教頭の強い気持ちの言葉、全て忘れてはいけないなと思いました
東北の方を被災地とは呼ぶのはどうなのか(けっして悪い意味ではなく)
政治家が日本で起こったことなのに責任逃れをしようとしている
僕たちの意識
問題はまだまだある
だからこそ、今だからこそもっと東北の事を考えなきゃなと思った

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頑張ろう

俺にできるのは声を届けるぐらい。でも何もできないのを認めたくない。これが被災者の力になれるかは分からないけど、それでも言わせてください。頑張ろう。何度でも立ち上がろう。頑張ろう。

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ありがとう

毎年忘れないでいられるのも、SOL!のおかげ。未来新聞を読んで、生徒の皆さんの話を聴いて、やっぱり風化させてはいけないものだと思った。
ここに来られるのも奇跡。
今日も幸せをありがとう。
校長,教頭の話、沁みました。
明日からも前を向いて生きよう。
どんな時でも支えてくれる仲間がいるから。うちは頑張れる。ありがとう。
大好きな仲間達。

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やるべきこと

もう5年、まだ5年 被災地の様子を目にする度に進まない復興を感じます こっちではほうどうはあれど日常の中では東北での状況というものが身にしみて感じられない状況です。 段々とあったことすら忘れてしまうかもしれない。でもみちのくの地の復興を支え、あの時の経験を次の大災害の時に活かすのは私たちの義務。まだまだやらなくてはいけないことは、たくさんある。あの思いを将来の人に経験させたくない。だから今やるんだ。
まだまだボランティアが必要とされているそうなのでわたしは参加しに行きます

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今日もありがとうございました‼️

今日もありがとうございました‼️‼️
震災についてもっともっと考えていかなゃ、もっと意識しなきゃな…改めてそう思わされました。
少しでも力になりたい。
そう思った。
だからこれからも震災について色々知っていきたい。

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グサッときた。

今の言葉。すごく、グサッときた。他人事に思ってた。最近テレビでよく震災のことを言っていて。あれ?5年も経ったんだ。東北の人大変だなーなんて。けど、ダメだ。今できること。腹をくくること。日本にすんでる一人としてなんて、言えるほど大きい存在じゃないけど。でも。でも。未来新聞でたくさん伝えてくれることをみて、考えて、繋げていくこと、何かできないかな?って思うこと。それが大切だし、やってやろう!って思うことが私にできることなんだと思う。すごく小さいけど、今までこんなに考えてなかった。寄り添うことで、何か変わればいいな。

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確かに

今の日本は責任転嫁の繰り返しばかり。くだらないことをゴタゴタいっている暇にもっと出来ることがあるだろ、と思う。

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明日も

SCHOOL OF LOCKは夜10時にふたたび開校


また明日!明日も元気に生きていく

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校長のことば

最後の言葉、すごく重いです。
熊本にいて、当時の状況をテレビを通してしか知らない自分にとって、すくおぶのおかけで生徒のみんなの気持ちを知ることができた。
そして、生の声が聴ける。
これってただ伝えるニュースなんかより、とても大切なことだと思います。
ラジオ、ありがとう。


5年……ですか。
時は過ぎても、忘れてはいけないですね。

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この2時間で

皆さんの言葉を聴いて思いました。
本当に辛い。悲しい。涙が止まりません。耐えられず、途中でラジオの電源を切りたくなりました。
でも、耳を背けてはいけない。覚悟を決めなければならない。そんな思いが強く、切れませんでした。
それでは、今の僕に何ができるのか。大したことはできないかもしれません。
それでも、忘れない、風化させない、そのために僕なりに何かしたい。
そう思わされた2時間でした。

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腹をくくる

校長の言葉は毎回本当にグッとくる!!
本当にがんばる!!
ここからまた良い方向に変えられていけるから、絶対あきらめない!!

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遠く離れた私は

震災を全く体験してない私は、震災についてあれこれ語る資格はないと思ってた。
でも私はいつの間にか震災を他人事と考えていた。
けれど、私は震災のことを知る、知ろうとすることができるんだと思った。
日常の片隅に、震災の現実を添えて

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今日の授業

今日たくさんの声とか話を聴いて自分の中の何かが変わった気がする。
もう5年が経ったけどむしろこれからなんだと思いました。
少しでも役に立てるようにできることをやっていきたいです。
最後の校長と教頭の話本当に感動しました。今日の授業聴けてよかったです。

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3.11

明日で、東日本大震災から、5年が、経ちます。私は、友達と「花は咲く」を、クラスのみんなで、歌いたかったので、先生に提案したところ、学年みんなで、MTの時間に歌うことになりました。
きょうの帰りに、試しで私のクラスだけで、うたってみました。 クラスの男子に、「はな」ちゃんと付き合っている人が、いてどうしてもみんな、ふざけてしまう方向に行ってしまいます。
それが、許せません。
鹿児島では、あまり実感のなかった大震災。校長が言うように悲しみを、分け合うようになりたいと、わたしは、思います。

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担任が言ってた

「頑張れ」じゃなくて「頑張ろう」と。被災者にとって頑張れほど無責任な言葉はない。突き放してるだけだと。それならせめて頑張ろうと。被災者だ被災者じゃないとか関係なく共に歩もうと。頑張ろうと。自分はあっと思った。俺の力はやっぱり届かない。だからせめて言わせてください。
頑張ろう。頑張ろう。

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当たり前の毎日がある幸せ

起きる。食べる。話す。好きな事をする。寝る。大切な人の側にいる。
当たり前かもしれない。
でも、当たり前なんかじゃない。
あの時を境に、それが出来なくなった人がたくさんいる。
毎日が幸せ。生きていられる幸せ。
好きなことができる、SCHOOL OF LOCK!が聴ける幸せ。
この幸せを当たり前に感じないように。
これからも、震災を風化させずに、後世に伝えていこう。生きたくてもそれが出来なくなってしまった人に恥じぬように毎日を生きよう。生きていられるのは当たり前ではない。毎日毎日呼吸できる毎日にありがとう。ありがとう。ありがとう。

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あぁ

3.11からもう5年もたつんですね。
復興したと言えばしたけどしてないと言えばしてないと思う。
自分に直接的な被害がなかったから実際に被災された方の気持ちはわからない。
でも、エールを送ることはできる。
この掲示板でこの書き込みをしてるのも東北の被災された方に届いているかもしれい。
まだまだ沿岸部の津波がひどかったところは基礎しかできていなくて人が戻ってこれる状況ではない。福島の原発周辺もまだ人が戻ってこれる状況ではない。
でも、震災後1年よりは進んでいる
時間はかかっているかもしれないけど同じような事故が起きたときにあのときの経験をいかして被害をできるだけ少なくしようと工夫もたくさんされているだろう。

なんであのとき起きたのか、どうしてこんなに辛い思いをしなくてはいけないのか後ろ向きにとえらえるとこうなる。
しかし、前向きに考えればあのとき大地震が起きたおかげで堤防も新しくなりより頑丈になった。この経験をいかしてこれから起こるかもしれない地震に対策を打てるかもしれない。
こう考えることができる。

亡くなられた方ご冥福お祈り申し上げます

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海岸に現れた巨大な防潮堤

震災後、いつ来るか分からない巨大津波に備えて被災地のあちらこちらで巨大な防潮堤が建設されています。でもかつての砂浜があった場所も含まれていたりして、潮干狩りの場が消えていったりしています。災害に備えるのはいいですが、その代償として海岸を潰す…これを思って、俺は海や海岸を怖い場所と思って欲しくないんです。海岸や海は美しい場所です。

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いつまでも、いつまでも

私は東北地方でも、青森なので被害が少なくとても恵まれています。
兄が宮城の高専に通っていて、宮城の被害状況を見てまさに壊滅的、復興は絶望的だと思っていました。
しかし、今すこしずつ復興していることに、感動しています。
私も来年度から、宮城の高専に行くので、毎日を生きれる事に感謝しながら一日一日を生きていきたいです。

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教頭のことば

教頭がさっきおっしゃっていたことは、きっと心からの言葉だと思います。
人って何かをきっかけにして、何かと関わることになると思うんです。
あしざわ教頭も、すくおぶの教頭に就任したからこそ、これらのことを深く考えるようになったんだと思います。

大事なことですよね。

文章おかしくなってるかもしれません。
許して下さい。

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言葉

東北に住んでいなかった私が頑張れなんて言っていいのか、復興なんて言っていいのか、
想像したり、共感(出来ないか)したり、
そこのとさえも申し訳ない気がして。

東北行ったことないんです。岩手の海鮮食べたいです。福島のハワイアンズ行ってみたいです。
お米とか、野菜とか、おいしそうです。
大人になったら行ってみたい。楽しみだ。

頑張ろとか頑張れとかそれをいう前に
私達一人ひとりが行動に移すことが大切かなって思います。




教頭。自信もって。教頭なら大丈夫だよ。

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もしものこと

もしも明日、震災が起こってしまったら。
考えたくはないけれど、備えておかないといけないよね。
震災なんて、起こってほしくないよね。

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改めて考える

この授業を毎年聴いてて、あらためてSOLの良さを感じ、震災を改めて考えさせれるときっかけになった。ありがとう、SOL。

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震災から

あの人達は、運が悪かった。そんな一言で終わらせてはいけないと思った。ここでいろいろ言っても何かが変わるわけじゃないと思うけど、大事なのは今ここからどう生きていくかだと思った。一人の日本人として。

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道徳

私は学校で道徳の時間が嫌いです。だけどSOL!ではこのような事でも向き合っていけます。

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未来新聞

ここからは何らかの手段で残す事も考えなきゃいけないのかもしれない。未来新聞やSOLといった形で。
昼にネットで見て、今も悩ませているのは支援ゴミの存在だそう。自分は支援のつもりが自分の効用を満たす為だけに成り下がる。そして送られた自治体は困ってしまい、廃棄のコストがかかってしまう。だから、一歩立ち止まって支援は何か考えなきゃいけない。
伝えるって事は、各々が一瞬でも考えること。NHKや民放で毎日流すってのは違う。震災を思い返すのは辛いと思う。辛いなら、生きなきゃ。SOLにも亡くなった人はいるかもしれない。亡くなった者達の想いも背負って生きなきゃ、伝えなきゃ。それが自分の最善になると信じて。

長文失礼しました。

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読みました

未来新聞読みました。改めてあたりまえがあたりまえじゃないと言うことに気づきました。
毎日学校に通う。家族や友達と話す。電車にのる
バスにのる。毎日やっていることが幸せと感じるのはなかなか難しいことだ。人はなにかをなくすとその存在がいかに大切だったかよくわかる。

私たちに今できることって何なのだろうか?
未来に伝えることもそうだけど震災前のまちの風景を伝えることも大事じゃないのかと思います。

1日でもはやく復興できるように祈っています。

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簡単に言葉にしていいのか

簡単に言葉にしていいのかと思います。東京にいる私は、震災というものについて、「何か」を「誰か」を通してしか知らないからです。私はそれが悲しい。実際に行って自分の目で見たい。未来新聞を読んでその思いが強くなりました。
行って何かが変わるのか。目に見える復興に変えるのは難しいかもしれません。でも、自分の中で何かが変わる気がする。何人もの人がそんな変化に出会えれば。1人でも多くの人が震災を身近に感じることができている。そんな未来を私は待っています。

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明日で5年

明日で東北大震災から5年が経ちますね。
あの時は自分の住んでる所も電気、ガス、水道全部止まってました。
それが1晩だけだったけど、1晩だけでも大変だったのに東北の人はどんだけ苦しい思いをしてるんだと想像もつきませんでした。
でもその中であきらめず一生懸命生きてる姿に本来勇気づける側のはずなのに、逆に勇気づけられました。
これからは少しでも役に立つことができるように頑張りたいです!

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明日

今日日付が変わって明日、少しでも良いから東北の事を思い出して下さい。

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ともぼーちゃん

未来新聞読みました。
2011年の閃光ライオットに行っていろいろ見て歩いてたら、「らっち♪さん!」と、声をかけてくれて、「会えてよかったー!」と、涙を浮かべながらも笑ってくれた、ともぼーちゃん。車椅子に座る私と同じ目線に自然となり、軽くしゃがんで話をしてくれたことも覚えてる。とても嬉しかった!元気そうでよかった。元気そうとか、それだけじゃ無いのは分かるけど、声聞けてよかった!また、どこかで笑顔で会いたい!また声かけてね!

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明日は

それぞれが、それぞれの5年間を振り返る1日であればいいと思う。明日1日が、穏やかな日でありますように。

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そうだ

明日は金曜日
5年前のあの日もたしか金曜日
金曜日は小学校のクラブ活動の日だったからよく覚えてる
小学生だった私がもう高2
でもその時から時間が止まってしまった人がいることを忘れてはいけない

生きてることが奇跡

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あしざわ教頭

私も実際沿岸部の事は
同じ宮城、仙台のことなのに異世界の話みたいに
目を塞いでる部分があって

それで、それを認めて
今出来ることを考えてる教頭の話を聞いて
私もちゃんと考えなきゃって思った

そういう考えようって気持ちが
いっぱい広まることも
復興へ繋がることだと感じた

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あの時は

本当に怖かった。机の下に潜り込んで、本当に怖いと体ってすごい震えるんだと身をもって知った。妹が社会科見学に行ってた。無事に戻ってきたがそれまでの間は何度も妹の顔が頭をよぎった。母が来たとき妹は泣き崩れた。自分も泣きそうになった。あのときの恐怖、被災地はこれとは比べ物にならない恐怖と戦ってた。今妹とこのことを話すと「気持ち悪笑」と妹に笑われる。自分の力が被災地の方に届かないなら、せめて側にある大切なものだけは守るよ。いつ東京に大地震がくるか分からない。そのときはお前を絶対に守るよ。あの日を忘れないとはそういうことだと俺は思います。

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あの日から5年

同じ体験をしないとわからないくらい被災した方たちの気持ちは計り知れないものだと思っていたけど、無理矢理理解ばかりしようとしなくても他に自分にできることはたくさんあるからそれに取り組むことが大事なのかな。小さいことかもしれないけど、この前会津のお米を食べました!美味しかったです!

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あの日

正直今日のスクールオブロックだけは聴きたくなかった。私の祖父は、震災の日の次の次の日になくなりました。直接地震の被害だったかはわからないけど、何か深い意味がある気がしました。でも、毎年この時期、震災の話しをしているとどうしても祖父のことを思い出してしまいます。
今日のスクールオブロックを聴いて、正直な思いを言います。私も何か行動しようかと思っていました。気づけばボランティアのページを開いていました。私にできること、今を精一杯生きること。ありがとう、校長教頭。大切なことに気がつかせてくれて。

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「今、できること」

教頭の言葉、すごく胸に響きました。
教頭が、隠すことなく、想ったこと全てを言ってくれて、今の想いを知れてよかった。教頭,そして、校長の声が毎日聴ける幸せに感謝。こんな幸せな日々も当たり前ではない。あの日を境に、聴けなくなってしまった人もいる。だから、その人達の分まで聴いていきたい。その人達の分まで生きていきたい。

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氷の水族館

震災が起こる何年か前 多分今からだと7~8年前
私のお母さんが岩手に住んでた時に通った学校を見に東北旅行に行ってました
その学校は内陸なので津波はなかったはずですが地震の影響は分かりません
その旅行の1つで気仙沼に行きました
ある建物に入ってそこには何があったかあまり覚えてませんがお寿司屋さんがあった気がします
その建物の中にあるのが氷の水族館です
厚いコートを着て中に入ると寒いのなんの
氷で覆われた魚たちが展示されてました
そこで私と妹の3人で写真も取りました
今もアルバムに入ってます
今ホームページを見たら

東日本大震災の影響により、「氷の水族館」は中止しております。

って書いてありました
今はその水族館にいけません
私が大きくなって結婚して子供産んで家族旅行した時に「お母さんは子供の時にここに行ったんだよ」って話せたらいいな
また行ける時が来たらきっと行きます
いや、絶対行きます
また氷の水族館が開館する日を待ってます

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もう5年か…

あの時は中2でした帰りのホームルームの時にものすごい揺れの地震で震度は5弱でした
でも宮城の方では震度7って聞いて驚きました
そして津波が来て津波が落ち着いた時にはもう暗くて被害の様子はわかりませんでしたが
次の日の朝様子を見に行くと変わり果てた街でしたアパートが倒され電信柱も折られリニューアルしたばかりの野球場も壊れもう世界が終わったような気持ちでした

でも音楽で勇気づけられました桑田佳祐の「Let'stryagain」ですテレビでもよく流れてました。歌詞に本当に勇気づけられました

そして震災から5年の今年は震災後初めて東北で国体が岩手で行われます自分は岩手大会の方にソフトボールで出場します沿岸出身は自分含め2人しかいません
そして自分が今できることはその国体で結果を出して被災地の方々や日本の方々に勇気などを与える事だと思います!!

5年経ったけどだからこそもう一度立ち上がる時だと思います日本や世界の元気未来に向かって

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石巻

僕も中学3年の時に一人で石巻まで被災地を見に行きました。家の基盤だけが残ってる沿岸部や傾いたガードレールが印象的でした。日和山公園にも行って震災の爪痕をみてきました。愛知に住んでる僕には被災地の方の気持ちは正直わかりませんが、同じ国に住んでる人間としてこの震災を乗り越えていかなくてはならないと感じました

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解放感

学年末テスト終了ー!!!!!!!
やっとだヽ(;▽;)ノヽ(;▽;)ノヽ(;▽;)ノ

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風邪引いて寝てます

せっかくだから久しぶりに聴こうと思って、今授業を聴き始めました。咳ゴホゴホする度に体力がゴッソリ持って行かれてツラいけど、校長教頭の声を聴いたら、少し辛さが和らぎました。

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あの日から5年

5年前わたしは小学校6年生でした。
地震発生時はひとりで家にいて
ニュースを観てとても驚いていました。
分単位で増えていく行方不明者や死者の数がとても怖かったのを覚えています。
未来新聞を読んで被災地の方々は前向きに生きている方ばかりではないと思いました。とても心に刺さる言葉ばかりで苦しくなりました。同情なんてできないししたらいけないと思うけれど1日でも早く皆さんが明るい未来を思い描けるようになってほしいと心から願います。
今生きていることに感謝しなければならないと改めて強く感じました。
5年前卒業式もできなかった私と同い年の高校生2年生。東北の未来のために力を尽くしてほしいなと思うし私自身できることをしていきたいと思います。

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教頭

去年の震災の授業の時、教頭の様子がいつもと違って、次の日の授業の初めに「無関心」だったと言っていた教頭。それから1年経った今、未来新聞を読んで、教頭が生徒1人1人に向き合ってくれたことが嬉しかったです。
教頭が生徒に、そして震災に向き合ってくれた。そしてまた誰か1人が震災と向き合っていく。これが連鎖していけば、風化することなく、未来について考えられるのではないかなと思いました。

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是非是非来てね♪

これからもどんどん東北のうんめぇもの沢山食って欲しいな~!

たんげうめーはんで!!

皆!東北さこいへ!!☆⌒(*^∇゜)v

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東日本大震災について

わたしは、小学生四年生の頃地震にあいました。
近畿地方だったのでそんなに揺れは感じませんでしたが、テレビを先生がつけた時東北地方が津波で家も何もかも流されている中継を見ました。胸が押しつぶされそうでした。わたしには募金をするぐらいしかできることがないけれど、いつか、被災者の方達の役に立てるボランティアをしたいです。