今日の放送、本当に聴いて欲しいです。5年経った今でも辛い思いをしてる人、苦しんでる人がたくさんいます。あの日のことを忘れないでください。
私は震災のあった年に、高専に入学しました。入学前に大きな余震があり、始業が4月末まで遅れたことを今でも覚えています。その時は、将来に明確な目標もなく、「これから暗い世の中に飛び込んでいくんだろうな」と不安に思っていました。
それから数年過ぎて高専5年生になり、進路を考えなければならない時期に、先生からある会社を紹介されました。福島県にある製薬工場でした。「まだ原発とか、風評被害とか色々あるけど…」と先生は言っていましたが、私には何か思うところがあり、その会社を受けることにしました。
工場で案内をしてくれた人事の方が、「四年たって少しずつ復興してきたけど、一旦町から離れた人たちが中々戻ってこない」と寂しそうに言いました。…それを聞いて、悲しくなりました。復興してるのに、そこに経済があるのに、そこに人がいないなんて。
ほんの少しでも役にたてれば。町の力になれるなら。その思いで面接を受け、無事内定を頂きました。春から福島で働きます。たとえ暗い世の中であろうとも「こんな素敵な町があるんだぞ」と、「見事に復興してやったぞ」と、いつか言えるように。
長文失礼しました。上手くまとめられなくてごめんなさい。
今日は公立入試の発表でした!第一志望高合格してました٩(ˊᗜˋ*)و私がここまで来れたのは、今まで支えてくれた皆と、スクールオブロックのおかげです!!本当に本当に本当にありがとうございました!!
Whistlesong楽しみにしてます!!
今日は中学最後の球技大会でドッチをしました。今まで大縄大会や体育大会、合唱祭などの行事でいつも僅差であるクラスに負けてばかりでしたが、最後の最後に勝つことができました。本当に最高の瞬間でした。
あの日から5年がたとうとしています。あの時はまだ小学生で家に帰ってドラえもんを見ることを楽しみに帰宅しましたが、テレビをつけると津波が流れる映像とともに右下に津波警報の赤白や紫の線に囲まれた日本列島の地図があり、あまりの光景にただただ呆然としていました。わたしの住む島での揺れはありませんでしたが、その日を境に連日報道された震災の爪痕の記憶は今でもわたしの中に深く深く残っています。
今日クラスのみんなと球技大会ができたこと、毎日学校に行けたこと、そして16日に卒業できること、全てが幸せなことなんだと思います。震災でわたしと同じ年の子も命を落としたかもしれません。そう思うと本当に自分がいかに幸せ者なのかを痛感します。
震災で亡くなられた方のご冥福を祈ります。また1日もはやく行方不明者がみつかることと被災地の復興を願います。
私はブサカワで常にやる気がない、とあるゆる〜〜いキャラクターが好きなのですが、友達に私がそのキャラクターのことが好きすぎるので最近似てきたよと言われました。これって悪口ですか、みんなが見る部活の定期演奏会のパンフレットにも勝手に書かれてすごくショックです(;_;)しかも、友達はみんな内面的なことを書いてもらっているというのもあり、先輩後輩、両親や祖父母にも見られるのが恥ずかしいです。部活の練習は、パートの副リーダーということもあって、任命されてからずっと昼休みとか部活後とかに自主練したりして全力で取り組んできたつもりだし、パートのメンバーとも仲良かったつもりでした。
私が人として優れてるとは思わないけど、たまには認めてもらいたいよ。こんなことで勝手に病んでる自分も嫌だよ。
震災から5年です。5年前の3月と今年の3月は、曜日配列が全く同じです。いつもの金曜だったらFRIDAYで1時間あるはずでしたが、クロノスの中西さんがメインの報道特番が放送されていました。ラジオから伝えられる情報に衝撃を受けながら、とーやま校長とやしろ教頭の心配もしていました。週明けの月曜、2人の声が聴こえてきた時にはとても安心しました。遠く離れた愛媛に住んでいた僕でさえそうなのですから、東北の生徒さんはもっと勇気をもらっていたのではないでしょうか。
明日、学習発表会で、5分間プレゼンテーションします。台本もなく、うまくいくか分からないので、せめて、緊張を和らげる方法を教えて下さい。
いつもSOLを聴くばかりで、何も書き込みをしたことがなかったのですが、私にとって大切な5年という節目に 今日、初めて投稿します。私は5年前の3月11日 14時46分 小学校にいました。当時、私は小学5年生でした。5年経った今でも、あの時の地震の揺れは忘れられません。小学校のプールの水は階段を滝のように流れていました。あの日、家族はみんな別の場所にいました。海の近くではなかったので津波の心配はありませんでしたが、父は珍しく関西への出張で 母と兄弟と安否を確認したあとも不安でした。福島県は原子力発電所の問題もあり、すぐに避難はできませんでした。断水もしてしまい、お風呂も約1週間入ることができませんでした。テレビでは地震の報道がずっとされており、余震も続きました。そして、余震は今でも続いています。5年経った今、福島は復興しています。しかし、海岸のほうは まだ震災の傷跡が残っています。震災は悲しいことが多かったのですが、震災後、比較的被害が少なかった私の小学校の私のクラスに転校生がやって来ました。その時はまだ、その人がこれから先 最高の親友になるなんて思ってもいませんでした。その子の家は原発に近くて、被害も大きかったはずなのに、いつも笑顔で人のことが気遣える素敵な人です。最高の親友であり、最高に尊敬できる人です。中学にあがり、同じ部活で活動し、もっともっと仲良くなっていきました。中学2、3年ではクラスも一緒になり、毎日ずっと一緒に過ごしていました。相談をするのも その子、ふざけるのも その子とが1番です。現在、別々の高校に通っているのですが、関係は変わっていません。これから先、誰に出会っても その子を越える人は出てこないような気もします。震災がなかったら東日本に悲しいことは起きなかったのですが、震災があって人と人との絆や助け合いの心が多く生まれたことも確かです。この震災を忘れないためにも、震災の話しを受け継いでいきたいと私は思っています。そして、偶然か必然か分かりませんが、震災後に出会えた最高の親友との思い出を これから先もたくさん作っていきたいです。長文失礼しました。最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。
今日は、高校の合格発表の日でした。
結果は、無事に合格!
公立一本で塾も行かずに自学のみで勝ち取った合格。
ものすごく嬉しい。
まだ入学許可候補者 だけど、新しい未来が始まる。
春からもがんばろう。
支えてくれた家族、先生、友達。
ありがとう。