兄弟。
あたし3人兄弟の真ん中なの。上は姉、下は弟。生まれてからずっと譲ってばっかりだった。上は権力。下はわがままで。お前のものは俺のもの。そんな感じ。やめてって言っても、出ていって、って言ってもやってくれない。我慢するしかない。勝てない。今日もだった。なんか嫌でイライラして。お母さんに涙ながらに訴えた。そしたら戦えって言われた。涙流しながら訴えろって。この性格だよ。なんだよ。どうやったら勝てるんだよ。今言ったってウザがられるよ。わたしは精一杯言ってるんだよ。何が足りないのよ。さっきも姉に言ってきたけど、はいはい。ってなんかいつもどうり。何がまだ足りない?
勝ちたいよ…
つらいよ。泣くしかないんだけど…
みんな3.11について何にも触れてない。つまり話題になってない。伝えるべきなのか伝えないべきなのか迷っている。
中学校卒業しました。
思ったより悲しくなかったです。(笑)
明日はクラスで打ち上げです。
好きな人はとも合うのは最後です。
いい思い出作ってきます。
現在は自民党が政権を持っています。
これはあの震災でそれまでの民主党政権への信頼が失墜したことが一つの理由ではないかと感じています。あのときのことで有権者は「自民党なら何か変わる」と信じたのではないでしょうか。
では、自民党が政権を取って実際はどうだったでしょうか。
他の面では色々変わったのかもしれません。しかし、震災については、どうなのでしょうか?
今の日本にとって、復興地(「被災地」のことを「復興地」と呼ばせて頂きます)への対応は最も求められることだと思うのです。
明日で東日本大震災発生から5年、しかも明日が5年前と同じ金曜日。何かの間違いかもしれないけれど合っている曜日です。
オレは内陸部に住んでいますが、8年前の内陸地震の影響も残っている最中の出来事だったので、パニック状態になっていました。そのときのオレはホワイトデーの準備をするために買い物を済まして、家に帰るときに震度7の大地震に遭遇しました。大地震が起きた後は急いで家に帰って、家の状況を確認しました。幸い、家自体は崩れることはありませんでしたが、精神面で辛い状態になりました。電気は1週間停まった状態となり、暫く寒さと格闘していました。
このまま東日本大震災を風化させない。忘れないでほしいと思うし、いつどこで大地震が起きてもおかしくないので、防災対策や迅速な避難をすることが必要不可欠です。1日1日を大切に生きていることに感謝しています。
私は、小学四年生の時地震が起こりました。
実際には近畿だったので揺れはあまりひどくありませんでしたがびっくりしました。
そのあと先生がテレビをつけたら東北地方が津波で家も何もかも流されている中継を見ました。
私は、こんなに大きな地震だったんだと、とても胸が押しつぶされそうでした。
長い年月が経った今でも、たくさんの人がこころに傷を抱えたままだと思います。
わたしは、募金をするぐらいしかできることがないけれどいつか、わたしもボランティアなど被災者の方達の役に立ちたいです。
その海に会いに行きたい。軽い気持ちで行ったらいけないのかな。でも、その海に会いに行きたい。
震災後の最初の生放送授業のことをふとした瞬間に思い出すことがあります。やしろ教頭は「多分この震災で亡くなってしまった生徒もいる。でもその子達はそれを知らせることはできない。だから,ずっと覚えていろとは言わないけれど,たまにでもいいから思い出して欲しい
。」と涙ながらに語ってくれました。
あれから約3年8ヶ月後,長野県を震源とする震度6の地震が起きました。突然エリアメールの聞きなれない音が鳴り響いて家が大きく縦に揺れ始めました。その瞬間「死」を覚悟しました。とっさに近くにいた妹に覆い被さるようにして抱きしめました。その時は不思議と自分の命なんてどうでもよくなって,私は妹を守らなければいけない,生かさなければいけないと考えていました。結果的に物が落ちてきたくらいで被害は済んだけれどそれから何週間かは不安でろくに眠れませんでした。
東日本大震災を経験した皆さんがどれほど怖い思いをされたか,私はほんの少しではありますが身をもって知りました。それはたとえ復興が進んでも,一生心に残る傷なのだと思います。私がどれだけ力になれるかわからないけれど話をききたい。そして報道などのフィルターを通さない皆さんの本当の声を知りたいです。
震災のとき、いつもあるはずの景色がなくなったりして、ずっと恐怖で泣いていたときもありました。そんなときに家族や学校の先生、友達が助けてくれて…改めて周りの人達の支えが必要なんだと感じました。この震災を経験したことで、たくさんのことを学べたのかなと思います。
テレビとかではあの時のことを忘れてはいけないとか言ってるけど、何を忘れてはいけないか、その内容を忘れてしまっている気がする。震災の様子、復興の様子、それらも確かに大切だと思う。でも、それだけじゃない気がする。亡くなってしまった人の生きたかったという気持ち、今生きていることの喜び、そして、あの瞬間のそれぞれの想い。忘れないで、後世に伝えなければいけないのはこれじゃないのかと思う。震災のことを忘れてはいけないと思うばかりに、それぞれがどう思ったか、というのが抜けてしまっている気がする。俺らは、忘れてはいけないことを忘れていないだろうか。