5年前の今日、私は小学5年生でした。ちょうど音楽のリコーダーのテストをしていたところでした。急に揺れ始め、変な揺れかたで少し気分が悪くなりました。でも東北の方々はこんなものでは無かったのだと思います。友達に仙台の人がいますが、その人も時計が落ちてきたり、とても怖かったと振り返っていました。また、北海道にはとまり原発がありますが、福島第1原発のように半径50㎞が立ち入り禁止区域になったら自分の家も含まれてしまうと気づき、正直、初めて原発の怖さや身近さがわかりました。復興には時間がかかると思いますが、これからも同じ日本人として共に頑張っていこうと思います。1日でも早く復興が出来ることを心から祈っています。
黙祷なうって言う人もそんなこというなと言う人もこんな日に○○しては不謹慎だとか‥。もっとそういうことを言う前に自分ができることあるだろ。私は今日という日を今からもさりに勉強とかテレビみるとかして楽しみ考え有意義に過ごすよ。
震災から今日で5年。自分の住んでいた地元の秋田でも停電し電気のない生活を経験しました。電気が戻ってテレビに映された映像は今まで見たことのないものでした。BUMPLOCKSで藤原先生がガラスのブルースを歌ってく、チャボべLOCKSであっこ先生が泣いていたのも覚えています。きっとまだ復興は進んでいないのが現状なんじゃないかと思います。今年こそは自分でボランティアなどよ行動に起こせたらと思っています。
来週の月曜日中学校を卒業します。
今日学校祭と三学期の終わりに書いている黒板に絵を書く文化?をやってきました。
いつもの黒板には卒業おめでとうの文字。
バカやってる時間も今日食べた給食も今日で終わり。3年間は速すぎたな。
来週、笑って(無理かな、号泣だ。)卒業してきます。
あの日、俺を支えてくれたのは、ラジオ。まだ携帯も持っていなかったからradikoなんてないけど、入りの悪いラジオを聴きながら被害の状況を知ったっけなー。
テレビよりもあの日は、ラジオが心を落ち着かせてくれた( ´,_ゝ`)
春灯 今年もこの季節なんだなって思いました。
何気なくとなりにいる友達。
喧嘩したりすることもあるけど、改めて大切だと思いました。
当たり前のように一緒にいる家族。
強くいってしまったり、ぶつかったりしてしまうこともあるけど、
ただ一緒にいることのありがたさがわかりました。
震災から5年。
毎日「普通」の生活が送れるわけじゃない。
あの日も、街はジオラマのように一瞬で壊れてしまった。
私が住んでいるこの街も、いつどうなるかわからない。
いつも支えてくれるあの人が、いついなくなってしまうかわからない。
テレビは震災のことばっかりで、つまらないって思う人はいると思う。
でも他人事だと思わないで。
今なら言える。野田先生の声聞こえました。
いつも一緒にいてくれる、
友達・家族・先生・生徒のみなさん・校長教頭・職員のみなさん
いつもありがとうございます。大好きです。
家族・友達にも伝えよう。
少し恥ずかしいけど、「いつもありがとう」って。
ありがとう野田先生。
ありがとうRADWIMPS。
だいすきです。
高校受験を終えて家に帰りテレビをつけるとものすごい津波の映像だった。ただただその映像に驚いて地震の怖さを知った。知り合いがいるわけではないけど、同じsol の生徒である東北の人たちのことを考えた。
毎日なにごともなく生活できることが、自分がとてもありがたい環境にいることを実感させられる。
東日本大震災から5年
長いと感じるか短いと感じるかそれは人それぞれだと思う。
ただ起こったことを忘れてはいけない。
今も避難している人がいる、昔のように生活できていない人がいる、先が見えていない人がいることを。
今私がこうやって毎日学校に行き授業を受け、自分の好きな部活をとことん出来ていることに感謝をしないといけない。
私が出来ることはちっぽけだけれど出来ることは何でもやっていきたい。
そして、同じことを繰り返さない様にしないといけない。
南海トラフの大地震、1人でも多くの人が生き残るために、1人も被害が出ないようにするにはみんなで真剣になって考えていかないといけない。
東日本大震災から5年。震災は多くの人々の命を奪いました。また、今もなお原発事故の影響で故郷に帰ることができない方々がたくさんいます。私の住む地域では、幸い被害は大きくなりませんでした。ですが、あの長い長い大きな揺れは今でもよみがえります。本当に怖かった。水が止まってしまったことは辛かった。寒いなか5時間並んだ。早く早くと怒りながら割り込んで来る人もいた。お風呂だって入れない。トイレも流れない。出てくるのは泥水。本当に悲しかった。忘れてはいけない。絶対に。被害にあわれたすべての皆様にご冥福をお祈り申し上げます。
今日の14時46分は、7限の授業でした。SGHのプログラムで、学年全員が揃っていたので、黙祷を捧げさせてもらいました。今まで、学校で全員で黙祷を捧げるなんてなかったので、5年という節目にできたことが私にとって、とても有意義なものでした。
また、今日は日番でした。それは同時に、日誌を書く、ということです。日誌には、昨日の生放送授業のことを書きました。3.11を忘れないために、私の思いの丈を書きました。昨日の掲示板にも投稿したように今まであの日から逃げていた私が、少しではありますが、向き合っていくことができています。これも昨日の授業や、「未来新聞」、掲示板に投稿してくれたみなさんのおかげです。ありがとう。
これから、秦基博先生のライブに行ってきます。今日という日に、楽しみがあることに感謝です。2016年3月11日は、私にとって特別な1日です。