東日本大震災から五年、私は小学五年生でした。
体育の授業中、私が跳び箱をとぼうと助走のために足に力を入れた瞬間でした。今でも覚えています。
私は東北に住んでいますが、秋田はほとんど被害は無く、亡くなった方もいませんでした。
私の通う学校に、被災して来た先輩がいらっしゃいました。友人を亡くしたようで、実際に経験した人の話は、テレビの中の言葉とは重さが違うことを実感しました。大切な人を失った気持ちははかり知れません。しかし、隣で支えていくことは出来ると思います。
震災の調度一週間前に、私は仙台にお邪魔しました。海が一望できるホテルでした。そこも流されてしまったことをあとで聞きました。
とても綺麗なところで、またこれたらいいね、そう会話したのを覚えています。
着実に復興していると思います。今、私に出来ることは限られているかもしれない。でも、少しでも力になりたい、誰もがそう想っていると思います。今出来るのは、経験していない人達に伝えていくこと。
あの綺麗な景色がまた戻ることを祈って。
たくさん話しかけてくれたり、部活では部長になりしっかり出来ているか不安もあったけど、引退まで頑張りたいです!ありがとうございました‼
さっきの書き込みに付け足します。5年前、東日本大震災がありました。
そして今日の14時46分。黙祷の放送がかかりました。目を閉じ黙祷をしました。
私の願いはただひとつ。1日も早い東北の復興を祈っています。
最後に東日本大震災で亡くなられた方にご冥福をお祈りします。
ありがとうございました!来週はベボベ先生のツアー福岡公演。複雑な思いもあるけど、3人のベボベの音楽をしっかり聴きたい!来週もよろしくです!
5年が経っても言い争いが続くのは何でなんだろう。過去の責任を誰に取らせて、謝らせたいんだろう。記者会見のお金があるなら、寄付すればいいのに。過去を振り返ることで罪の意識を減らしたい大人達がいるなら最悪だ。
私の地域は、ひどくなかったけど揺れは大きかった。誰もが予想外だった。「大きさ」にも「タイミング」にも。天災は、人知をはるかに超えるものだから過去にすがりたくはないと思う。
「忘れよう」とかそういうことを言ってるつもりじゃないんです。ただ、「これから」に目をもっともっと向けて欲しいんです。過去の責任を感じるなら動けばいい。私は、そういう大人になりたい。
口だけの人間より、自分を捧げられる人間になりたい。
まだ、子供だから大人のことなんてわからないからこんなこと言えるのかもしれないです。だから、教えてほしい。大人の気持ちを。今、社会に貢献している大人のことを。
今蛇口をひねれば水が使える、電気が使える、ガスが使える。
あの時はそんな当たり前な事が出来なくなった。
その「当たり前」を忘れないように皆もしないとね。
今日で東日本大震災から5年。中学1年生の時でした。当時は海外の日本人学校に通っていました。
2011年3月11日。離任式がありました。東北出身の先生方が深刻な表情で話をしていました。まだ私は何が起こっているのか分かっていない状況でした。
震災があったのを知ったのは学校から帰宅した後でした。
普段テレビをつけない母が言葉少なにテレビでやっているニュースを指差しました。
目に飛び込んできたのは釜石市が津波に飲まれていく映像でした。その映像に衝撃を受けました。息が止まりました。
震災の1年前、福島出身のクラスメイトが日本に帰国しました。彼は海沿いに住んでいるという話を聞いていただけに心配でした。
彼と彼の家族は無事でした。
同時に彼の知り合いや友達は津波に巻き込まれてしまいました。
この話を聞いたときは胸が痛かったです。
海外にいる自分が悔しかった。日本にいない自分は無力だと思っていました。
私は当時委員長をやっていました。
そんな私にできることは何かと考えた時に思いついたのは自分の委員会で既にやっていた募金活動でした。そこで私は少しでも東北の皆さんの力になりたい。今やっている募金を東北の皆さんに寄付したい。と話をしたところ学校の皆が協力してくれました。そして日本大使館に寄付金を渡しました。
当時は海外に住んでいて地震は経験していません。でも私も同じ日本人です。けっして他人事ではありません。そして5年たった今もあの時の悲しみを抱えている方もたくさんいると思います。
あの時のことに耳を傾けること、あの時のことを忘れないこと、いつ何が起こるのか分からない今日を精一杯生きることが今私にできることだと思っています。