友情って色々な形があるよね。
その時々で形も変わるし、感じ方も変わるし。
だから友情って奥深いのかな?って思う。。。
こんばんは〜僕は思います。
僕は友情はなくなっても無くならないものだ思います。なぜならば、友情という存在は、離れ離れになっても、また、会えなくなったりして形としてなくなってしまっても、心の中には思い出としてのこるり、無くならないと思うからです。
僕自身も親の仕事の関係で小学校の時に一回、中学校の時に三回の転校をしました。その時にも、僕は友だちと離れ離れになってしまい、とても悲しかったです、、、、、しかし、自分は、形としてはなくなっても心の中にはずうっと生き続けると自分に言い聞かせ、前向きに次へのスタートを切ることができました。
また、次へのスタートを切るとともに、自分はたくさんの友情という強い味方に支えられているのだなと、とてつもない勇気が湧いてきました。
なので、自分にとっての友情とは、自分の次への一歩を押し出してくれるかけがえのない強みだと思います。どんなにくじけても友情は、いつでも自分の強い味方になってくれます。この転校という経験は自分に大切なものを教えてくれました。
高校生になり、離れ離れになった友だちとも高校などで会えやすくなりました!なのでまたあって懐かしい話をしたいです!
友情とは『仲間』であり『ライバル』であり、そして『他人』であると私は思います。
最後の『他人』は、悪い意味ではありません。
それは、後で書きます。
まず、『仲間』。義務教育九年終えて、友達と離れてしまいました。
ですがこの間、中学校にアルバムを同じ学校の友達と取りに行ったのですが、他校の友達と会って、たくさん話をしました。
久しぶりに会ったけどあまり変わってなくて、どこかホッとしたのと同時に、やっぱり学校変わっても同じ学校で一緒に過ごした仲間なんだなと思いました。
次に『ライバル』。これは高校に入ってからの友達のことです。
私は弓道部なのですが、見学の時から仲良くなって一緒に部活入った子がいるんですが、同じ部活なので、甘えてもいられません。
これから団体で一緒に戦う仲間だけど、ライバルでもあるので共に高め合っていきたいです。
最後に『他人』。これは至極当たり前のことなんですが、LINEやショートメールだと顔が見えない分、どうしてもオーバーに言い過ぎることがあります。
それで友達との仲が悪くなるのは嫌だし、辛いので友達はあくまで『他人』だということを忘れずにいかないといつか後悔すると思います。
だから後悔しないために、友情が壊れないように、友達と付き合っていきたいと思います。
ずっと一緒にいるからこそ、わからなくなることこそが本当に大切なことなんですよね。
だから私は友達に、友達との友情に改めて感謝したいと思います。
今日から毎日一つ以上書き込みすることをここに宣言します!!
さーていつまで続くかな??
友情とは、不確かだけど確かなもの。
友達だと思っているのは私だけかも知れない。そんな目に見えないものだけれど、それでもその思いは確かにそこにあるから。
目に見えなくても大事に、大切にしていきたいです。