東日本大震災から6年が立ちました。あの日を忘れたいと思う人、忘れたくないと思う人がいると思います。僕は熊本の地震で被災しました。その時に、今、生きていられることは簡単なことじゃないとわかりました。だから、今生きていることを大切にして行きたいです。
去年の4月、熊本地震が来た時にいつ死ぬか分からないって思ったのを思い出した、東日本大震災の被災者の人はこんなに辛い思いをしたんだって思ったのを思い出した。
福島の仮設のおばあちゃんたちは元気かな
また福島行きたい
明日、卒業する予定です。
寂しいような嬉しいような
もう会えないとわかって初めて、普通の友達といる日々が幸せなんだって気付きました。
1にち1にちを大切にすればよかった…
皆、今まで
ありがとう。
フェスというもののチケットを取りました。
閃光と未確認には行ったことありますが、あれはフリーライブだったので。
私は音楽が大好きなのですけれど、狭く深く聴き込むタイプなので、基本、フェスよりもワンマンに行きたい派なのです。
でも最近、人との別れについて気づいたことがあって。
今まで出会ってきた沢山の人たちとの別れは、「あの日が最後だったんだ」とも気づかないような、さり気ないものが圧倒的に多いんだなと思ったのです。
大切な、特別な人との別れは覚えているかもしれないけれど、でも、ちゃんとお別れできることの方が稀なんだって気づいたのです。
音楽もそうで……いつ好きなバンドが解散しちゃうかなんて分からないし、この先ワンマンをやってくれたとしても自分が行ける保証もない。そもそも自分もいつどうなってしまうか分からない。
だから、「いつかやってくれるであろうワンマンを待って、今回のフェスは行かなくていいや」って済ませてしまうのではなくて、行けるなら、曲で出会って大好きになった人と実際のLIVEでも早く出会っておきたいと思ったのです。
そして、今日が最後かもしれんぞと頭の片隅で思いながらも、全力でLIVEを楽しみたいと思います。
3月9日の放送後記を見て思ったんですけど校長と教頭とTOSHI low先生の他にもう一人いました。誰ですか?
あの日から今日で6年
僕はほとんど被害を受けなかったこともあるせいか、ふとした時に思い出す程度になってしまっています。
しかし、大きな被害を受けた地域の方々にとっては、まだ "日常" は戻らないし、悲しみも癒えないのだと思います。
僕がこんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが、完全に復興するのは、早くても僕らが大人になってからでしょう。
東京に住んでいる僕に何ができるか、正解はわかりませんが、思いついたことは実行に移してみようと思います。
六年たつんですね。停電が復旧して喜んでテレビつけたときの津波の映像は衝撃でした。そして、今自分は福島の大学に通ってます。震災があったからっていうのがすべての理由ではないけれど、被害が大きかったところだからこそ再生に向けての取り組みを直に体験して感じることができるんじゃないのかなみたいな気持ちはありました。もう一度今日を境に気持ちを入れ直して頑張っていきたいと思う。
6年前の今日。私は小4でした。あの大きな揺れ、先生が慌ててつけたTVで見たあの映像。この世のものとは思えない映像。黒い真っ黒な手が人の命を奪い取って行くようでした。車で逃げている人が、家でまだ中にいる人が、その真っ黒な波に飲まれていくのを見ました。その映像は地獄のようでした。小4ながらにして、あの時死を考えました。あぁ、死ぬのかもしれないと。終わるのかもしれないと思いました。昨日の事のように思い出されます。怖くて仕方がなくて泣いた。私は被災地ではないけれど、東北人です。あの日を経験した身として、絶対に忘れない。忘れてはいけないと毎年今日を迎えるたびに思います。まだ、復興できない所は沢山あるんです。まだ、悩み苦しんでいる人がいるんです。毎日毎日、復興に向けて頑張っている人が沢山いるんです。どうかみなさん些細なことでいいのでご協力おねがいします。
東北人は負けません。
来週からテレビにflumpool たくさんでますね!
そしてなにより来校♡
楽しみで仕方ない!!
警備員たちのゆるーいトークワクワクですw