その日、私は小1だった。
宿題をしようとした瞬間に揺れ始めたというのは、7年たった今でも鮮明に覚えている。これからも忘れない。
私の部屋に飾ってあった鏡が落ちて、割れた。母親と一緒にいたのだが、怖くて泣いた。テレビで津波の映像を見ても、何が起こっているのか全く分からなくて、次の日にはコンビニのものが何もなくなっていて。現実に起こっているものだと考えられなかった。
避難者の方々の声を聴いても、政府や気象庁の発表も何もかも信じられない大きさの地震だった。1年、2年と過ぎていくと同時に新聞で「あれから◯年」という見出しのもと、家族を失った人や自分がけがをした人の様子がひしひしと伝わってくる。本当に怖かった。でも、最後に書いてあるのは必ず「風化させちゃいけない。忘れてはならない。犠牲者の方々のために。」だった。
そうだ。風化しちゃいけない、いやさせない。震災のことを何もかも忘れてきれいさっぱり新しくいこうということはできないし、首都直下地震の危険が去らされている時代だ。次はあってほしくないが、防災、減災のために教訓を守る。被害にあわれた方は語り部として地方を駆け回っている。なのに、私たちが何もしないというのは筋違いすぎる。私たちも何かしなきゃいけない。小さなことでもいい。防災訓練とか、日ごろからの避難場所の確認とか。やらないよりはやるほうがいい。次に襲ってくるかもしれない、私たちの危機のために。
なんか、マッド要素が強いけど、
震災の影響は改めて痛感しました。
やっぱり、宮城行こうって思った。
幸い泊まるところもあるので。
自分、七ヶ浜町と東松島とか、松島には、行ったんですけど…
震災の爪痕はありましたが、
ただ、美味しいものが多いから、みんな行って欲しい。
牡蠣とかも美味しいし‼️
現地で見るのと、映像で見るのは少し違うと思う…
自分は、震災から1年後に行く機会がありました。
たまに行ってはいますが、あれから7年。
改めて、訪問をしたい!
って感じてしまった。
こんばんは。私は去年宮城県に行きました。とても充実した時間でした。去年自分がいたことが不思議な感じもします。
ボランティアということで行き、震災の時のことなどを教えていただきました。コミュニティをどうつくるか、ということを考えた時間でもありました。
おいしいご飯、綺麗な景色、素敵な出会いがある場所であります。去年自分も初めて東北地方を訪れたのですが、やっぱり街を知ることが今後につながる一つのことのように思います。
テレビでは暗いニュースばかりやってる。
けれど聞いていてそれだけではないと思った。
そこには沢山の努力による多くの笑顔があると思った。
かわいそうでわなく変えようと思うことが大切だと思いました。
スターバックスでドリンクやフードを購入する時はスターバックス専用のカードで支払いをしてます。
何故なら、震災復興支援が出来るから。
実は今日3月12日も地震がありました。当時は、このまま列島がどうにかなってしまうのではないか。と思いました。
あと、日本史をやっていると、いろいろな自然災害に触れることがあります。改めて、災害が多い国に住んでいることを実感します。
防ぐことはできないけれど、備えることはできます。
東日本大地震から7年も経つのか…
私は熊本で震災にあって突然日常が失われることの恐怖や平凡というもののありがたみを知りました。
災害が多い日本に住んでいる以上、みんなで力を合わせていくことが大切だと改めて感じました!