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3、4年前

3、4年前、好きだったおじいちゃんがなくなりました、なくなった後、学校に行ったけど友人たちは普通に接してくれました。ぐっぺさんの友人は、ぐっぺさんに普通接してくれると僕は思いますよ。明日お元気に学校に行ってらっしゃい!

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ぐっぺさん

苦しい時もあるかもしれないけど前を向いておばあちゃんより生き生きしていけばおばあちゃんも空から見守ってくれるよ!

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書きたくなった

ラジオ聴きながら寝ようとしてたけどぐっぺさん
の話を聞いて私のおじぃちゃんおばぁちゃんのことを思い出しました。

私事ですが、おばぁちゃんもおじぃちゃんも亡くなっています。とても実感がないけど、
大晦日とか親戚が集まる行事になると、
いないんだなって思います

亡くなった次の日でも、私のお母さんのお父さん、お母さんである人が亡くなってるのに普通のように
接してくれました、私達の前で泣き顔も見せませんでした。今日、ぐっぺさんの話を聞いて
自分事ですがお母さんってすごいなって思いました。

長文失礼しました

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家族の死

私も、二年前におじいちゃんを亡くしたときには現実を受け入れられずずっと泣いていました。
無理して笑顔でいる必要はないと思います。今はおばあさんの意志を受け止めて、立ち直る第一歩を踏み出すことができればいいのではないかと思います。

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ゆっくりと前に…

なんといえばいいのかな?
すぐにシフトできる人たちは、それはそれですごいんだけど…

大体の人は、すぐになんだろう、消すことができないけど、徐々にみんな前に動いていくと思うんだ。

だからさ、頑張れとかではないけど、自分の思うように前に進んでいけばいいじゃん。

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ぐっぺさん

僕も11月の終わりごろ、突然親友の祖父が亡くなったのを知りました。本当の家族のような付き合いを小さい頃からしていたので、悲しくてたまらないし今も全然関係ないときに思い出してしまったりします。

大学の授業にも一時期出れなかったりと生活も破綻しかけたときものすごく救われて立ち直れた、尊敬する教授がくれたメールの文言があるので、ここにそのまま貼らせてください。

「線香をあげにいくときとかお墓の前にいったときに、話しかけてあげるといい。あと、自分の中でなにかを考えるとき、自分以外に心強い味方がいると思ってみるのもかなり良いよ。そしてお前はいま立ち上がっていないとか言っているけど もう悲しんでる時点でしっかりと立ってるから心配いらない。その次へ行くのはゆっくりでいいから。待ってるぞ。」

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時間

過ぎる事で得る事が出来るものがある
それは知識だったり未来
でも過ぎる事で失われるものもある
それは命
他にも沢山あるけど
でも一番思うのは命

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大切なこと

私は、2017年の冬に、同級生の女の子を亡くしました。その子とは、1年の時に同じクラスでそこまで仲が良いというわけでは無いけれども沢山お話した子でした。2年生からは違うクラスでしたが、いるのが当たり前だと思っていました。
クリスマス明けの月曜日でした。
当たり前の事が当たり前じゃなくなる時ってあるんだなって思いました。
私は葬式に行けませんでした。
今でも彼女は私の心の中にいて、でも実体はないのです。大切に生きようと思っています。

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大切な人

掲示板見てると、大切な人をなくしてしまったという書き込みが沢山あってみんな自分と同じくらいの歳でなくしてるから、自分もなくしてしまうのかな、、とはまだ全然思えません。自分の周りの人はみんな元気でいつも明るくて、全くいつかはいなくなってしまうなんて想像することすらできません。だけどいつかは大切な人を亡くしてしまう時が来るんですね。まだ経験がないからどんな思いをするのかなんて、考えてもはっきりとはわからないから、今を大切にしていこうと思いました。

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つらいよなー

私も一昨年の大晦日に祖母がそして去年の年末に祖父が亡くなりました。
会いにいこうと思った矢先に亡くなりしばらくは放心状態でした。
悲しみがずっと続くわけではないけど今でも思い出すと涙が出ます。

私が立ち直るのに役立ったことがあります
1家族や友人のサポートを受け入れる
最初は意地を張ってそっとしておいてほしいと思っていましたが周りからの助け は大きかったです
2食事や運動、睡眠をしっかりとる
悲しいときはおろそかにしがちですがストレス軽減に役立ちました
3投げやりにならずに意識を切り替える
別のことを考える時間を意識的にとって悲しいことを考える時間を減らしました
4人の役に立つことをする
幸福感が出て前向きな気持ちになれました

あとは悲しいときは決定を間違えがちなので常に優先順位を考えて重大な決定は完全に立ち直ってから決めたほうがいいです

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ぐっぺさんへ

私は大好きな祖母を半年以上前に亡くしました。
まだ生きていると思ってしまいます。
ぐっぺさん、きっとおばあちゃんはぐっぺさんのこと見守ってくれています。だから今はゆっくりで大丈夫だと思います。

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わかる

私も高3のときおじいちゃんが亡くなりました。
亡くなったこと自体初めてで学校行っても呆然としてました。
それでも周りは普段通り接してくれました。
受験の時、おばあちゃんに言われたのが
「じーさんがきっと見守ってるよ」と言ってました。
きっとどこかで見てるのかなと思ってます。

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すごいなって。

校長と教頭の話聞いて、じいちゃん亡くなった時のこと思い出して久々に泣いた。人にこうやって何か大切なことを伝えていける校長と教頭かっこいいなって。この世に存在しなくても心の中で生きているんだなーって。。。

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結構前だけど

私は、小1の頃学校に親が来て、ばぁちゃんがみたいな感じで、病院に行って、病室にも入れないまま、さよならしちゃって正直悲しいです。
病院に入院する時、救急車で運ばれたけど、ばぁちゃんを見ることが出来なくて、お見舞いにも行けなくて、今になってお見舞い行けばよかったなって思います。だから、共感します

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もう居ない

時間と共に慣れていく
本当は慣れちゃいけないかもしれない
でも人は時間が経てば慣れてしまう
突きつけられた現実から逃げたいからなのかは分からないけど
ただ真っ向から向き合えない
向き合うのが怖い
だから慣れる事を選択してしまうのかな

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人が亡くなるとまぁ、あの制服の線香の匂いは…

自分のところは、中2くらいかな?
自分の周りはほとんどパニックにならず淡々としていました。

自分も最初は悲しいって感じました。
ただ、失ったというか無くなったというものは、取り戻すことはできないんだけど、
それまでにやってきたことは、消すことはできないし、失うこともない。

っていう考えにすぐシフトして、頭の中でそれを思った。

誰しも、おじいちゃんとかおばあちゃんとかが亡くなると、受け入れなれない。
って感じると思う。

ただ、生きてる人たちは、その分、その人たち以上のものというか、なんといえばいいのかな?

辛いとかもあるんだけど、自分たちが前に進むことが大切なんだろうって感じます。

笑顔でいなさいとかは言わないけど、しっかり前を向いて歩いていけば、なんか変わることがあるんじゃないかな?

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お祖母ちゃん

お祖母ちゃんの死を乗り越えられない、か…
私もお祖母ちゃんが中1の時に亡くなっちゃった。大切なお祖母ちゃんで、いつも泊まらせてくれたり、面倒を見てくれた。好きだった。
でもほんとに実感が湧かなくて、悲しいっていう感情も湧いてこなかった、、、当時は「お祖母ちゃんはどこかにいる」っていう感じで、ほんとに分からなくて。今となったら、「別の世界の人だったんじゃないか」って思えてきて。。。
お祖母ちゃんの家を別の親戚に渡すために片付けに行ったときも、「懐かしいなあ」とも思いつつ、色んな袋が部屋中に散乱して、片付けられていくのを見て、「ほんとにお祖母ちゃんがいたのか」っていう感じがして。

だから、凄い教頭に同意できる。いないんだけど、いなくなったっていう感じはしなくて。でも、どこかで見てくれてるって感じがする

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家族の死

僕も先日、祖父を亡くしました
祖父は30年前からガンを患ったり、脳梗塞を患ったりして長い闘病生活を送っていました。
ですが、祖父は楽しいときには笑い、怒るときは怒ってくれた大切な人でした。
僕は目の前で祖父の主治医の死亡確認を聞いて「死」というものをわかっていたのですが、感覚的にはまだ身近にいる感覚があります

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分かる

私も昨年祖父が亡くなりました
家が近くて中学の時は毎日のように通っていたけど、高校は方向が反対であまり行かなくなってて
久しぶりに会ったのが亡くなる1週間前くらい
高級寿司を奢ってもらいました
ずーっとお世話になってきて、祖父の胃を摘出して元気が無くなってからも死ぬとか全然想像出来なくてずっと実感がわかないままです
寂しさもあんまりなくて、それが悪いような気がして辛いです
だけど教頭の話きいてちょっと安心しました

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大切な人の死。

やっぱり、すぐに立ち直るのは難しいと思う
私もそうだった。

だから、少しずつでいいと思う

きっと前を向ける日がくるよ。

大丈夫!!

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ぐっぺさんへ

忘れちゃいけない日ができた
大切な日が増えたんだよ
辛いけど、生きていくのにはいい経験かもしれない。
今を生きられない人の為にも、強く生きろ。

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私は

私はどっちかって言うとおばあちゃん側の人だったな。というのも、入院しまくって迷惑とか心配とかかけまくってたから、みんなの前では笑っていようっていうおばあちゃんのことも分かるんだよね。普通、管とか機械とかいっぱい繋がってたら怖いし痛そうって思うかもしれないけど、辛い姿見せちゃったらもっと心配かけちゃうから。おばあちゃんは強いひとだね。とってもかっこいい人だ。

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大切に。

失って気づくことっていっぱいあって。
おばぁちゃんがいてくれたこと、与えてくれたこと、、、。
今まではいることが普通になってたことが、いなくなって特別だったんだって気づかされる。

おばぁちゃんと過ごした時間は大切にして欲しい。

またこれからも、今あることが特別なことなんだと大切にすごして欲しいね(*^^*)

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グッペさんへ

僕は心に空いた穴が、おばあちゃんの証だと思います。僕も大切な人を失った経験がありますが、時間が経つにつれて、その心の穴は必ず柔らかく優しいものになります。その心の穴は埋めなくていいと思います。その穴がおばあちゃんの証だと思うので。

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お恥ずかしながら、自分のポエム 抜粋

「私、こういう性格なんで、悪く聞こえるかもしれませんが、存在と記憶ってほぼ同じなんですよ。存在しないものの記憶はない。逆に記憶しているものは存在していた。まぁ存在と記憶は『誤魔化しが効くか効かないか』というのが違うので『ほぼ同じ』なのですが。

 もし先輩の見てきたお婆さんが優しかったのなら、先輩の記憶でもずっと優しいお婆さんがいますよ」

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逆電

おばあちゃんが亡くなったって話聞くと自分のおじいちゃんが自分が小5の時に亡くなったの思い出す
グッペのおばあちゃんとは違って病気で入院してていつ死ぬかわからない状況ですごく怖かった。
学校の給食中に、担任の先生から聞いた時は本当に涙が止まらなくて辛かった、、ほんとに涙が無くなるんじゃないかってレベルで泣いた。そしたらおばあちゃんが「おじいちゃんの分まで一生懸命生きて」って言われて泣いてられないなって思った。
グッペの辛いと思うけど、悲しいままだと天国のおばあちゃんも悲しいと思うから頑張って!!

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大切な人

やっぱり大切な人が亡くなるのは耐えられない悲しみがありますよね。
無理に受け入れようとしなくてもいいと思います。
受け入れられない気持ちはすごく分かります。