8年前は高校生で地元の新潟で部活してた。
野球部で外で練習してたけど、新潟ですらグラウンドが波打ってた。
そこから、かれこれ時間が流れ福島で仕事をしてる。
福島に住み始めて4年
仕事柄、県内の色々なところに行くけど、震災の爪痕はまだまだ残ってた。
でも、せっかく福島で仕事させてもらって若い人たちの夢を叶える手伝いができてることに、誇りを持って、頑張っていこうと思ってます。
東日本大震災から8年。
僕はテレビで見たあの光景を今でも忘れることができません。本当に起きていることなのか?と信じることが出来ませんでした。学校の3階まで上がる津波。屋根の上で助けを待つ人達。明るくなって見えた家の瓦礫。小学生ながらに言い表せないような感情が湧き出てきたのを覚えています。
そして8年経った今、決して風化させてはいけない、受け継いでいかなければならない、そう感じています。
僕も少しでも復興のために力になれるように行動していこうと思います。
1番言いたいこと。地元宮城もそうだし、隣の福島県産の食品は未だに風評被害を受けて値段を安く設定されたり買うのを躊躇われたりしている現状が続いてる。
でも国の基準を満たして安全って分かってるわけだから積極的に食べて欲しい。買って食べることで生産者の復興にも繋がるわけなんだから。
美味いよ!東北の名産品は!
先日、母とTVを見ていて震災について話しました
「お母さん、震災の時にニュースで津波が流れてるの見て泣いちゃってさ。それを見てた貴方たち(子供4人)はお母さんの前で震災の話あんまりしなくなったしTVで震災に関することやっててもすぐに変えてたよね…おかあさんのせいだね…ごめんね」
そう、謝られました
たしかに、私は覚えていませんが(当時小学校1年生)震災に関することは母を泣かせてしまう。そういう意識が働いていたのかもしれません
とりとめのない話でスミマセン
2年前に伺った岩手県陸前高田市の様子が報道番組で取り上げられていて、ちょっとずつ前に進んでいるっていうことがわかったけれど、それでもまだ変わっていないところもあって。
高校生のとき、部活で震災のことが綴られた歌や鎮魂の思いが込められた歌を歌っていました。東北に伺って直接お話を聞いたり、歌わせていただく機会もいただきました。歌うだけでなく自分たちも知って、考えて、そしてそれを歌を通して伝えられたらいいなってひたすら表現していました。
そういう活動を通してでもそうだし、被害にあった学校の校舎を震災機構としてそのまま残すというのも今朝のニュースで知ったけれど、8年目になり、物理的な支援もそうだけれどそれだけでなく、知らない世代に伝えていくことが大事になってくるんだって改めて思った。
あの東日本大震災から丸8年が経った。
あの日の恐怖は今でも覚えている。神奈川でもかなり揺れていた。小二だった僕達は泣いたり、驚いたりしてパニックだった子もいた。
あの時、僕は事の重大さを理解出来ていなかった。今になってやっと事の重大さが分かってきている。
あの時の自分はちっぽけな存在だったから何も出来なかった。
今の自分もちっぽけな存在だと思う。でも、今だからできることがあると思う。何が出来るのか知りたい。そして、もっと被災者の思いや、震災当時の状況を知りたい。
そしてこれからもあの大震災のことを忘れてはいけないと思う。
8年前の地震速報のあの音を今でも覚えてる。
小1の私には本当に怖かった、
きっと東北のみんなはもっと怖かったんだろうな、
これから先も3.11を忘れないように