昨日ぶち当たった。
親が怖かった。
俺の話聞いてくれない。
「……いいよ。母さんと話すの怖い。
俺の話聞かないなら独り言話してれば?
相手のこと気遣うのが『会話』だろ。
親が上で子供が下、だもんな!」
昨日親に放った言葉。
……嫌だな、この家族。
『大丈夫』
飼ってる鳥に覚えさせたこの言葉。
鳥は気に入っててよく話す。
『大丈夫』
大丈夫じゃないって。
今回は富士急ハイランド新エリアNARUTO×BORUTOワールド体験した模様をまとめてみた。
富士急に行く前に天気の子の舞台となったビルを見に行った。
天気の子を見たとーやま校長は感動しRADWIPSの曲を聴きながら余韻に浸りながら家へ帰ったそうだ。
富士急では新エリアを存分に楽しだ。
シューティングゲームでは大点数を見つけると大はしゃぎになる子供のようなとーやま校長。
結果は中忍。
お土産コーナーでは7代目日影になった。
富士木ノ葉隠れの里ではナルトの歴史を見れる。
とーやま校長は我愛羅が好きらしい。
忍術カーニバルではゲームをしてクリアすると商品が貰えるところ。
校長は生徒のプレゼントとして泣きの2回目をやったがクリアできず、プレゼント無し。
螺旋丸を打っているように見える撮影スポットで記念撮影。 ポーズがイマイチ。
今回のまとめ
とーやま校長は中忍。
今でも、はっきり覚えてる
9年前の3.11のことを
母とお店に入ろうとした瞬間に緊急地震速報が母の携帯そして周囲にいた人からの携帯からなった。その数秒後に強い揺れが私達を襲った。外の棚に積んであった、トイレットペーパーが落ちてきてお店の中から慌てて人がたくさん出てきた。幼いながらに今まで感じたことのない恐怖を感じた。
家の帰ると家の中がグチャグチャだった。テレビや棚は倒れ、食器は割れていて私のおもちゃも散らかっていたのを覚えている。
すぐに近くに住んでいた祖父母の家に避難した。
食べ物を買いに行ってもお店の棚はからっぽだった。
水道が止まり、電気も止まった。たびたび起こる余震が怖くて仕方なかった。
私は当時幼稚園の年長さんで毎日のように卒園式の練習をしていた。楽しみにしていた卒園式は結局できなかった。
最近よくこんなことを考える。
この世界には77億人を超える人がいて、一人として同じ人はいない。
今この瞬間、私は苦手な数学の宿題をしている。
弟はゲームをしている。
お父さんとお母さんは働いている。
テレビでニュースを放送している。
どこかで誰かが昼寝をしている。
どこかで誰かがお菓子を食べている。
どこかで誰かが歌っている。
どこかで誰かが笑っている。
どこかで誰かが怒っている。
どこかで誰かが泣いている。
どこかで誰かが何かと戦っている。
どこかで誰かが傷ついている。
どこかで誰かが死んでいる。
どこかで誰かが生まれている。
私には私の人生があって、それは私のものでしかない。そのかわり、私は私以外の人生を体験できない。他の人の価値観も幸せも悲しみも不安も、想像するしかない。でも想像すればほんのちょっとだけ相手の気持ちがわかる気がする。それでわかったような気になって満足したら周りが見えなくなってしまうけど、ちょっとだけ想像してみることは大切なんじゃないか?
2011年3月11日、日本ではたくさんの人が傷つき、生活も大きく変わった。5歳だった私は、そんなこと何にも分からず、自分とは関係のない遠いところで起こった出来事だと思っていた。
でも9年経って、少し難しいことがわかるようになった今、当時の映像を見ると被害を受けた人の表情が脳裏に思い浮かぶ。想像でしかないけれど、胸が痛くなる。
でもこうやっていろんなことをのんびり考えていられることが現実として考えられていない証拠でもあるのかもしれない。何不自由なく恵まれた環境にいるから本質はみえていないのかもしれない。
だからこそもっともっといろんなことを考えてみないといけないのかな。考えがぐるぐる回ってよくわからなくなった。
(長くてまとまりがない文章ですみません)
私は、アホだ。
よく階段から三段落ちして
笑われとる。(家族に)
エスカレーターも乗るタイミングが難しくて
いまだに人よりワンテンポ遅くないと乗れない。
よく忘れる。
これ運んでドレッシングだしてって言われたのに
ハンバーグを運んで、そしたらもうドレッシング出すことは忘れてて怒られた。
んー。
難しい。
最近は
ピカチューのぬいぐるみを
ぎゅー(*´-ω)(ω-`*)ってしてなきゃ
落ちつかない。
うん。アホだ。
プロ野球アンケートの結果を出そうと、
おもいましたが、そんな今日ではなかったです
あの日3月11日何がおきたかはときどき頭に映ります
僕は当時青森県にいまして、直接被害を受けてはいなかったですが、まだ小学校に入っていなかったので、詳しいことは分かりませんでした
復興に僕もちょっとでも触れたいと思いました❗
ただし今の僕はこれしか言えません。
頑張ろう東北❗
あんときちょうどインフルで学校休んでるタイミングで映像死ぬほど見てたんだよね
気分的にはなんか海外かなんかかな的な
日本のことだと思えなかったね
後にやって来た断水に繋がったアレの時少しだけ
そういう感じかって思った
レベルが違う話ではあるけどね
毎年この日が来るとある人のことを考える。
その人は原発の事故によって自分が前住んでいたところに引越してきた。数え切れないくらい話して笑って、楽しかった。
でも、自分が今住んでいる場所に引っ越す1週間前に、些細なことで喧嘩をしてしまった。結局、その子とはちゃんと仲直りをしないまま引っ越してしまった。
何年か経って、用事があり母と一緒に前住んでところに行った。当時のクラスメートと会ったが、話によるとその子も別の場所に引っ越してしまったらしい。しっかり仲直りして笑顔でさよならしたかった。当時書いてくれた手紙には、たくさん感謝の言葉を書いてくれていた。今、あの子はどこで何をしているだろう。でも、心から言いたい。こっちこそありがとう!!!