75年前のこの日、6日の広島に続いて長崎に原子爆弾が米軍によって投下されました。
なぜ、米軍は二度も原子爆弾を投下したのか?
それは、もちろん戦争で勝利する為です。
ですが、それに加えて自分達の仲間を守る為でもありました。米軍は、長く続いたこの大戦により、多くの兵士が犠牲になっており、残る兵士の疲労も過大なものでした。そうした仲間を救う為に、原爆を落とすことで日本に降伏させ、戦争を終わらせようとしていたのでした。
一方、日本は広島が今までにない程の被害を受けたにも関わらず、国民にその全容を隠し、戦争を続けると言い張ったのです。
もちろん、どちらが正しくて、どちらが間違っているという訳ではないと思います。
今日は時間があまり無かった為、簡単にしかまとめられませんでした。
ここで書き込んだ事はあくまでも、私が本やテレビで見聞きした物です。戦争に関する情報や記録は他にも多くあり、これはその一部でしかありません。
しかし、この書き込みを読んだあなたが少しでも戦争について考えてくれたなら幸いです。
今日、お母さんが
「庭にスズメのヒナが落ちてたよ」
と言っていたので見に行くと、まだ毛も生えていないヒナが2羽落ちていました。位置からして、高い屋根から落ちてしまったようでした。
1羽はすでに死んでいましたが、残りの1羽は息をしていました。私は急いでその1羽を安全な日陰に連れていきました。
見つけたときは元気がなかったヒナは、数十分のうちに元気に鳴くようになりました。
私は、死なせてはいけない、という思いで必死で見守り、ネットで調べて少しだけエサも食べさせることができました。
しかし、それを見た家族は、最初はまあまあ協力してくれたけれど、だんだんと
「放っておきなさい」
みたいな感じのことを私に言うようになりました。私は、とりあえず命だけは助けなきゃいけないから、あともう少しだけ、と粘っていましたが、数時間経った頃に
「課題は終わったの?いつまでもそんなことしてたら終わらないでしょ。」
「鳴いてるからってずっと見ててもきりがないよ。」
「ヒナが落ちてたよ、なんて、言わなきゃよかった。」
と言われました。
私は腹が立って、いいからほっといて!と怒鳴ってしまいました。
小さくても元気に鳴いて、やわらかい羽を必死にパタパタしているヒナを見ていたら、自然に涙が出てきました。『これは怒られて泣いてるんじゃない、この子の代わりに泣いてるんだ。』って自分に言い聞かせてました。
もし私がこの子を捨てたら、この子はどうやって生きてくんだろう。
もし私がこの子をずっと見てたら、この子は助かるのかな。
考えた末、私はヒナを庭の安全なところにおいておくことに決めました。
地面にヒナをそっと置いてお別れしました。
自分の判断はほんとうに正しかったのか、今でも迷っています。
命を大切にする、というフレーズはよく聞きます。でも、この言葉は簡単には使えないと思いました。
今年の8月9日で長崎に原爆が落ちて75年が経ちました。長崎平和祈念式典での長崎市長の平和宣言での言葉が胸に刺さりました。「新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。」正にこの通りだと思います。2度とこの惨事が繰り返されないように一人一人が平和について考えることが大切だと思います。
今年の未確認フェスティバルはないんだろうけど、わざわざお知らせしてないですよね?
今年開催しないのは、コロナと関係ないってことですか?
あいつヤバイって!
後ろ向きでボールめっちゃトラップするもん!
そんなん普通できひんやん!
あーレバすごいなー!
どうやったらあんなプレーできるんやろ?