開かない扉が気になり僕は近くの自転車屋に駆け込み喫茶店の様子を伺った。
するとその答えは想像を超える。
「あぁ...あの喫茶店のマスターかい?いつだったか誰かわけー者の結婚式から帰ってきてすぐに逝っちまったよ。」
僕は理解するのに手間取った
「...え?逝っちまったって?...亡くなったってこと?...え?」
予想外の答えにただただ立ち尽くす。
「坊主...マスターに会いに来たのか?」
「はい...」気持ちのこもってない返事が精一杯
「そうか。...なら今マスターが眠ってる所を教えてやるよ」
「...!?是非ともお願いします!」
そうして僕はマスターがねむる土地に足を踏み入れた。
まま、さ、先ず私の虚無論とやらえを聞き給えよ。
そうだなあ、先ず何から話そうか。
ああ、思いついた。
もし、君が死んだとしよう。そりゃもう悲劇的に。でもねそれには全く皆の言う絶対的な意味はないんだよ。
何故って?そりゃあ世界に意味はないからさ。意味ってのはね世界の中でしか生まれはしないのさ。しかしな、世界、すなわち他の世界がこの世界を作ったらそこには意味があるんだよ。絶対的ではないがな。
ある人はな「誰かが強く思ったのだからこの世界は生まれたのだ」というとてもロマンチズムなことを言っているのだがね、まあ、一応これも哲学の一つさ。しかしだなこれでは世界の深淵に至ることができないのだよ。世界の範囲を示せてないからね。誰かが強く思ったのならそこにはまた世界があるはずだ。こことは全く違ってもね。
次は”無”について考えようか。君は無についてわかるかい?何、分かるだって?
「何もないこと」だって。分かった口を利くものじゃない。無は深淵なるものだ。恐らくこの世界に一粒の真実の無が現れたとすると、この世界はきっと消滅し続ける。無は何もないからね。なに?分からないだって?時期にわかるさ、時期にね。
つまり、理解できるものもいると思うが世界は循環しているということだ、只の概念体に過ぎないものが真の無に触れることなどできるものか。恐らくば世界は不変に消滅と発生を繰り返す溶岩に浮いた泡のようなものでしかないということだ。
まあ、今言ったこと全ては間違いなのだがね。ははは、何?意味が
分からない、とな。今私が考えていったのは全てこの世界の概念に則ったものだよだから本物を”見る”ことはできないのさ。これもまた同じことなのだがね。
あなたが幸せを感じているときでも、悲しみの真っ只中にいても、わたしをそばにおいてほしいです。