僕がなかなか詞を書けないのは
単に僕がボキャ貧なだけなのか?
そんなんじゃない
言葉が感情を追い越せないほどに
感情が複雑だからなんだ
PS
事実だけど納得いく作品が出来るよう精進します
(書けないのが3個ぐらいある……)
生半可なまま出したくないし……
年に一度しか会えない人を
まず それまで
生きているのかさえも定かでない人を
ずっと一途に思い続けられる
2人ともきっと強い人なんだね
お生憎様
僕は彦星のように強かでないし
君は怒るかもしれないけれど
君も織姫のように優しいだけじゃない
僕らは星の川を通してじゃあ
幸せも
温もりも
寂しいと流す涙でさえも
分け合うことはできないのだろう
僕らは弱いね
彼らのように強くはなれないね
君に会えないと僕は不安に潰されそうだ
電話なんかじゃ満たされないから
僕は明日も君に会いに行くよ
貴方の手の感触も 甘く囁く声も 匂いも その優しい瞳も 唇の熱さも くれた言葉も 少しずつ確かに遠のいていく
それが あまりに切ない
詩的と云うことばの定義をずっと考えていたぼくはきっと、とても散文的な人間なんだろうね。
優しさと云うことばに意味を探していたぼくはきっと、誰かに優しくなんてできない人間なんだろう。
美しさに理由を求めたってなんの意味もないんだって知っていて
それでもいつか、ぼくだけの最高傑作が撮れるとまだ信じている
腰から提げたカメラの重みと、ポケットで転がる鉛筆の音がして
(改行ができるようになると字数が気になって気になって…)
土砂降りの アメが 降りました
びしょ濡れで 家に 帰ったよ
「ただいま」
分かっていたけどね
やっぱり静けさの中に 吸い込まれってった
濡れた事 ちょっと叱って ほしかったな
ちょっと 心配して ほしかったな
今日も1人
「おやすみなさい」
虹がかかっていた事 気づけなかった。
歴史(かこ)は、冷たい固体
現代(いま)は、温かな液体
刹那(いま)は、視えない気体
歴史から融けだした現代の上に浮かぶ刹那
刹那はやがて現代となり、サラサラと流れ、歴史へと還る
只、刹那はいつまでも、観測できなかった
お元気ですか、
どうお過ごしですか、
そちらはまだ涼しいですか、
幸せですか
指先で触れるだけで全部、
伝わって欲しいけど
指先で触れるだけで全部、
伝わってしまったら
面白くないじゃないか
授業中に時々私は思う
特に現代文の授業の時に思う
この理不尽な世界に答えってあるのだろうか